今日の日記

2001年12月2日
こういうとき、

めがねしてるとうざったいのです。


なんて・・・。
決心してよかった。


考えすぎて疲れたけど


その後もなかなか実行できなくて、

動揺しすぎて余計に疲れたけど


しかも 実行するまでには

ちょっぴり辛い思いをしなきゃいけなかったりして、

さらに疲れたけど


けど、決心してよかった。


 
 
 
自分の弱さと小ささを痛感して
ちょっと痛い一日だったけど、

決心できたことで、


もう少しいけそうな気がした。


泣いてもいいですか

2001年11月30日
世界史の授業がおわり、
帰ろうとしたとき、

クラスメートのMに真面目な顔で

『いのすけ、もうちょっとズボン上げろよ』

そういわれました。


本気で下がり気味なのかと思ったそうです。


最近クラス内でのつっこまれキャラが定着してきた自分。
いつもなら笑って『うるせーよ』とかって返せるところですが、

Mのあまりに真面目な表情に、
あまりに唐突で素朴な質問に、

つい固まってしまい、すぐには言葉を返すことも出来ませんでした。


もう、これ以上上がらないんです、僕のズボン・・・。


泣きそう・・・。


いつもなんかっていうと、ちょっかいを出してくるF君が
今日に限って、慰めてくれたのが唯一の救いでした。

『足の長さはしょうがないよなぁ』って。

しょうがないんです(泣)
 
 
 
 
 
鈍い反応にはいつだって理由があるはず

それがなんなのかはわからないけど・・・


なんだったんでしょ?

災難

2001年11月28日
なんか、しばらくわりと平和な日々を過ごしてきたんで、

本気で怒りを覚えたのは、ずいぶん久しぶりでした。


チャリで学校からかえる途中のことです。

ぼくはそのとき、普通に歩道の上でチャリを走らせていました。
多少、ボーっと考え事をしていたとはいえ、
前から来る車のこともちゃんと視界の隅で認識していました。
その車が右折(僕がいる方)しようとしていることも。

でも、当然、こっちが優先だとおもったし、
その車、速度緩めててちゃんと一時停止してくれそうだったから、
僕は先にその道を横切らせてもらうことにしたわけです。

ところが、その車ちっとも止まろうとせず、
どんどんこっちに突っ込んできて、
やばいと思ったときには、体の左側をぶつけられ、道路に倒れていました。
その車がなんとか、僕の倒れている直前で止まってくれていたから良かったものの、
もし、もう少し速度が速かったりとかしたら、
多分今日の日記書けてないです。
(『今日の』っていうか・・・)

すっかりびびってしまっていた僕は、
とりあえず、運転手の顔も見ず、
自転車を起こし、鞄を拾いました。
まぁ、そうしてれば、心配して車から出てきて様子を聞いてくるだろうと思ってました。
文句の一つもいってやろう、そんなつもりでした。

ところが、その運転手、車から出てくる様子がありません。
それどころか、僕が車の横に退いた途端、
運転手は『気をつけな』という一言を残し、
さっさと言ってしまいました。

え?

『気をつけな』って、悪いのはおれかいっ!?

そりゃぁ、その運転手がちょっとやくざっぽいお兄さんとかだったりしたらあきらめもつくけど、
そいつはいかにも紳士然とした中年男性。
隣りにはこれまた上品そうな年配の女性まで乗せています。
そんなやつが、いかにも、『全く若い子はルールを守らないんだから』とでもいいたげな表情で、
『気をつけな』といったきり、
何も言わずに行ってしまったのです。

あまりのやるせなさに一瞬呆然としてしまいました。

当然、そのとき、怒りと驚きでナンバープレートを見る余裕もなし。
残された僕には、起きたことを忘れて家に帰るしかありませんでした。
怒ってはいましたが、状況が状況だけに、まぁ、命は助かってよかった。
そう、納得しようと思い直しました。


が。

自転車が進まない。

え?

よく見ると、明らかに前輪が曲がっています。

うわ。

倒れたときは気づかなかったけど、
あのときの衝撃は自転車には相当きつかったようです。

それでも、無理やり乗って漕ごうとしましたが、
やっぱり無理。
押して帰るしかないです。

そこから家まで歩くと約20分。

やり場の無い怒りを抱え、とぼとぼとひとり
夕暮れの街を自転車を押す少年。

ちょっと泣いてやろうかなとも思いましたが、
一応男の子だし、多分心配してくれる人もいないし、ってことで、
それはやめておきました。


やっとの思いで、家に帰り着き、
ほっとくとすごい勢いで凹んでいきそうな僕の心を奮い立たせ、
机の中から1万円ほどをかき集め、
自転車屋に向かいました。

家から自転車屋まで徒歩約10分。

歩くのはわりと平気なんですが、
精神状態は最悪なだけに、けっこう応えました。
気づいたら、口からは次々と呪詛の言葉があふれてきます。
傍から見ると、独り言を言っているようにしか見えないそんな僕に、
道行く見知らぬ人々が無遠慮な視線を向けてきます。
それでも、そんなの気にしてる余裕すらありません。
ただただ、怒りに身を震わせていました。


そして、自転車屋のおじさんの言葉がまたきつかった。

『あぁ、タイヤが曲がってるね。これはねー、自転車修理の中でも一番難しい部分でね。6300円かかるよ。』

6300円!!
きつすぎです。

今度はほんとにちょっと目がうるんだ気がしました。

修理は明日までかかると言うことで代わりの自転車を借り、
お金を払い、家路につきました。


家に帰り着き、もう何もする気力のなくなった僕は、
薄暗い部屋でひざを抱え、体育座りをして、
ひとり凹んでいました。

そんな僕なのに、隣りの部屋でミシンを動かしていた兄が、
『これから床屋行くから、洗濯物取り込むのやっといて』などと言い捨てて
家を出て行くし。

それは本来、兄が母親に頼まれた仕事。
暇そうにしてた僕が、体よく押し付けられた格好になってしまいました。

なんで、こんな精神状態の僕に兄は仕事を押し付けられるの?
なんで、こんなにも一度に災難が降りかかるの?
なんで、みんなして僕を追い詰めるの?
なんで、そんなに僕だけがいじめられるの?

っていうか、
なんで、ベランダの電球は切れてるの?

ベランダの電灯にまで虚仮にされてるよ、おれ。
はは。

しょうがないから、暗くて寒いベランダで、
黙々と洗濯物取り込んでやりました。

今日、僕の身に降りかかる災難が
これで最後になることを祈りながら。


実は、それだけじゃなくて、
もう一つ、家の中で障害物を飛び越そうとジャンプしたら、
ちょうどそこだけ低くなっている天井に、
思いっきり頭をぶっつけたりしたけど、
書いててどんどん凹んできたし、
それは他のと違って自分のせいで起きた災難なので、
これでやめとく。


そんなわけで、なんだか知らないけど、

最悪の一日でしたとさ。

よみがえる記憶

2001年11月26日
前に、この日記にも書いたんですが、
僕は今年、9月末に行なわれた体育祭でセーラー服を着ました。
や、人に着るように言われて仕方なく。
あ、もちろんうけねらいで。

まぁ、それはいいんです。
ぼくだって高校生ですからそれくらい我慢できます。
全校生徒に見られて笑われたりしたけど、平気。
それだけが原因じゃないけど、そんなキャラが定着して、クラスの一部に僕が同性愛者だと信じられてるけど、平気。
『いのすけはいつから男の子しか愛せなくなったの?』とかって
しょっちゅう聞かれたりするけど、平気。
高校生ですから。
今ではすっかりいい思い出です。


ただ、それが家族とかになると話は別です。
友達にそういうの見られたり聞かれたりするのは平気だけど、
家族に自分の恥ずかしい所とかばかやってる所とか見られるのは、
やっぱりつらい。
だから、家族には僕が体育祭でセーラー服着ること内緒にしてたし、
当日も、『どうせ3年生なんだから』ということを口実に、
『来なくていいから』とよく言い含めておきました。
そして、家族も一応納得し、
体育祭での女装は、家族にも知られることも無く、無事済ませることが出来たのです。


で、僕も、てっきりこの話はそれで終わりかと思っていました。
っていうか、すっかり忘れ去っていました。


が・・・。


今日のことです。
自分の部屋で勉強していた僕を、母親が『ちょっとあんた』とかって呼びに来ました。
まるで誰かの秘密をしったかのように、微苦笑を浮かべ、若干顔を赤くしながら。
『あぁ、おばさんがまた何かに興奮してるよ。』
それくらいに考えて、とりあえず、後に従ってやりました。

母が見せてくれたのは、5〜6枚ほどのスナップ写真。

そこには、坊主頭にセーラー服を着込み、
うれしそうな微笑を顔一杯に浮かべた少年の姿が・・・。

・・・。

え…?

ぼく・・・?

なぜこんなものがここに?

混乱するぼくの頭に降りかかる母の声。
「Tさんのお母さんにね、保護者会であったときに、『いのすけ君体育祭でセーラー服着たのよ』って言われて、写真送ってもらうことになったのぉ♪」

しまった。
そういうルートがありました。
私としたことが、そんなことに考えが及ばなかったなんて。

ついさっきまで、すっかり忘れていたことだっただけに、
家族に見られてしまったショックは相当のものがある。
自分の頬がいっぺんに熱くほてっていくのがわかります。


っていうか、Tさんですか。
ふっ・・・。
やってくれます。

ちなみにTさんは同じく応援団の3年生でクラスメートの女の子。
なんかっていうと男子援団にけちをつけてくるくせに、
余計なおせっかいはやいてくる、そんな子です。

そんな、Tさん。
・・・親子そろって、『おせっかい』らしい。
ちっ・・・。

「セーラー服着るから『体育祭着ちゃダメ』って行ったのね。ほほほ。」

くっそー。
笑われたよ。
だから知られたくなかったんだよ、こいつらには。
こういう人の嫌がることを平気で言ってくるんだから・・・。

まじ、恥ずかしいです。

その後も、屈辱的な質問を次々と浴びせられ・・・。

もう僕は泣きそうです。

それもこれも、全てはTさん親子のせい。

・・・許せません。


まぁ、それはいいとして、
改めて自分の写真を見てみて思ったんですが、

・・・女装させられてるのに、このうれしそうな笑顔はなんなんでしょうか。
まるで平気な顔で、思いっきり愛想振り撒きまくりです。
僕は、もともと人に対して笑顔で接してあげたりすることの多い人間だと思うんだけど、
いくらなんでも、こんなうれしそうに笑ってたら、
『そういうのが好きなのかな・・・?』とかって
疑われてしまうじゃないか。
って、もう遅いかもしれないけど。

ほんと、最悪です。
この写真。

 
  
 


や、ほんとはね、今日はわりといい日だったんだとおもうんですよ。
少なくとも悪い日ではなかった。

いつもお世話になりっぱなしのクラスメートに、今日は僕の方から親切してすごい喜ばれたし。
かわいい部活の後輩にも久しぶりに会えたし。
Z会のセンター対策用の数学?の問題やったら満点だったり。
あとはまぁ、いろいろと・・・。

いいことがたくさんあって、けっこう気分はすっきり爽快、みたいな感じだったのに。
そんなことが起こるまでは。

おかげで、せっかくの上機嫌がぶち壊し。
せっかくのいいことも忘れてしまいそう・・・。

なんて。

九州場所の千秋楽に

2001年11月25日
栃東、大関ほぼ確定です。

最高です。

魁皇もなんだかんだいって10勝してるし。


えー、そんなこといってる間に、九州場所が終わってしまいました。

この次に大相撲見るときは初場所です。

そんでもって初場所の中日(なかび)の日は・・・。

そう、センター本番です。


えー、要するに、あぁ、もうすぐなんだな・・・と、
そういうことが言いたかったわけで。


がんばろ。


優勝は武蔵丸。

2001年11月24日
栃東

負けちゃいました・・・

しかも右足怪我したっぽいし


・・・・・・もうなんか、何も言いたくない感じ

 
 
 
なんかいまいち集中できない連休です。
余計なこと考えすぎ。


今日の昼食

2001年11月23日
母と妹が高校見学に出かけ、
父が勤め先の田舎の学校のPTA行事のために出かけ、
今日の昼食は兄と二人。

ふたりでパスタを作った。

兄が今回の料理のコンセプトとそれに見合った食材を選び、
僕が全ての食材を切り刻む。
いつもどおりの役割分担。

兄が考え、
僕が動く。

兄が道筋を示し、
僕が実行する。

二人で作業するときは、いつも決まってこうなる。
『俺が〜やる』とかいったわけではないのに。
まぁ、二人のキャラと能力を考えるとこれが一番妥当なのだろう。


といっても、兄の食材の選び方はいつも良くわからない。
何か料理の本を見て作るとかそういうことはめんどくさいからしないので、
兄が、使う食材を全て冷蔵庫の中から選び出すことになるのだが、

今回は、
ソースとか使わずに、
塩コショウとワインを味付けのベースにした
ちょっとスープっぽいパスタにしようという事になったんだけど、

混ぜる材料として、豚肉とピーマンとニンジンまではまぁ許せるし、
しめじも、まぁ、きのこ好きだからいいんだけど、
冷蔵庫の中に大量にあったちんげん菜を使うのはどうかと思った。
よくわからないけど、
食材を買いにいくということはめんどくさいからしないという原則の下で、
兄なりに考えた苦渋(?)の選択なのだろう。

とりあえず、僕は従って切り刻むのみ。
どうでもいいけど、ニンジンをあそこまで細く切れる自分の技術に感動した。

炒めるのはどっちがやってもいいけど、
今日は兄が『最初のにんにくのいため具合にこだわりたい』、とか
また良くわからないことを言うので、
結局最後まで兄にやってもらう。

だから僕はパスタをゆでた。


できあがり。

ちんげん菜が一人目立ってしまって、
どことなく中華っぽく見えないでもないし、
ニンジン細すぎて、『ニンジンさん、どこ?』っていう気もしたけど、

それでもけっこうおいしかったです。
ちんげん菜もそれなりに役立ってくれてました。
兄が適当に選んだ食材たちにしては、いちおうそれっぽくなっていました。
パスタをもうほんの少しだけ早く取り出せばもっとよかったかも・・・。


そんなわけで、やたら時間はかかったけど、
楽しい昼食でした。

初鍋

2001年11月22日
だれかに話すことで、
自分の中で完結させたかった、かつての自分。

長い間抱いていたそんな希望が
ようやくちょっとだけ果たせた気がします。
 
 
 
 
 
 
 
えーと、今日の我が家の夕食は、
今年初めての鍋でした。

父ちゃん以外の家族4人で一つの鍋を突っつきました。

鍋をして改めて実感。
やっぱり、家族、いいです。

鍋によって、いつにもまして異常に盛り上がる家族の会話。

妹の矛盾に満ちた人生観とか、
母親の決して狙ったのでない天然ボケとか、
それにたいする突込みでの兄と僕とのコンビネーションとか。

いろんなことが楽しすぎです。


いつもご飯時には誰かが必ずつけるテレビも、今日は無く、
一瞬も笑いと会話の絶えない夕食でした。

後は、やることなすこと全てがネタになる父親も加われば、いうことないんだけど・・・。
ちょっとそこが残念。
(けど、したら、とんでもなく騒々しくなって落ち着かなくなるけど。)

鍋だと、なんでこんなにみんながフレンドリーになれるんだろう。
不思議なくらい楽しい夕食だった。


家族。

いいです。大好きです。
毎日、日記を書く時間と大相撲を見る時間は、お勉強できません。
もったいないんで、何とか改善しようと、
二つを一緒にすることにしました。

そんなわけで、大相撲中継を見ながらの更新です・・・。
 
 
 
土曜日、髪を切りました。
っていうか、『刈りました』です、
坊主なので。

この時期、髪を切れば風邪を引くだろうな。
そうわかっていながら、伸ばしっぱなしなのも見苦しいので、
やむを得ず、切りました。

風邪でもなんでも来るなら来い、逃げるもんか。
それくらいの覚悟で、エイッとばかりに切ってやりました。
まさに『覚悟の断髪』です。

そして、見事なまでに、きれいに予想があたり、
かぜ、引きました。

もう、『これで今シーズン風邪引いたの何度目でしょう』って
この日記に何度書き込んだことでしょう。

・・・3度目ですけど。

でも、今回は当たり前すぎて、悔しさもありません。
わかっていたので。
そんな自分が、
それでも髪を切った自分が、
『男らしい』とさえ思いました。


なのになのに・・・。

今日学校に行ったら、
こっちが言うより先に髪切ったことを指摘してくれた友達が、
一人しかいないし・・・。

あるクラスメートなんか、
『俺髪切ったんだけどさぁ・・・』といっても、
信じてくれませんでした。
『全然変わってねぇ』とかって・・・。

そりゃまぁ、坊主ですから、
髪切っても気づきにくい面もあるかもしれないけど、
そんなまじまじと見つめて『変わってねぇ』もないだろう・・・。

っていうか、僕の場合、
風邪引く覚悟までして髪切って、
しかも実際に風邪引いてしまった断髪だったのに・・・。

そんなんじゃ、僕の風邪も報われないってなもんです。


なんだか、
僕の人生、これでいいんだろうか。
そんな疑問が胸をよぎった一日でした。


っていうか、気づいてくれた唯一の友達・・・。
ちょっと感動しました。

この日のことは生涯忘れません。

そう思ったけど、
多分明後日には忘れてる・・・。

そんな僕。

冬眠しません?

2001年11月18日
毎朝寒い。

起きるのがつらすぎです。

こんなに寒いのに、
こんなに眠いのに、
なんで起き上がらなきゃいけないんだろう。
なんで布団から出なくちゃいけないんだろう。

まだ覚め切れない意識の中で
そんな疑問が渦を巻く。

朝っぱらから、活動を始めるためだけの膨大なエネルギーを消費し、
そして起き上がったときには遅刻寸前。
朝ご飯もろくに食べずに家を飛び出す。
そんな日が続く。


こんなに寒くて眠いのに起き上がらなきゃいけないなんて、
やっぱり何かがおかしい。
そうとしか思えない。
体がおかしいのか、世の中の仕組みがおかしいのか。

そして、ぼくはおもった。

人間はほんらい、冬季の活動に適していないんじゃないだろうか。

夏までは目覚し時計一つで普通に時間どおりに起きられる。
体調にもよるけど、さして精神をすり減らすこともない。
ところが冬になった途端に、この辛さ。

これはやっぱり、人間が冬に活動することの過ちを示しているとしか思えない。

そう、人間とはほんらい、熊やリスやカエルのように、
冬眠する動物なのではないだろうか。

そうであるなら、冬季にも夏季と同じように、
学校や企業が活動するのは間違っている。
冬季には全ての人間活動を休止するべきだ。


 
などという論理を、布団の中の悶々とした意識の中でくみたてた僕は、
やっとの思いで起き上がった後、
居合わせた家族に自らの新発見について公表した。

当然、僕に注がれる、冷ややかな家族たちの目。

そして兄の一言。

『冬眠中って何も食べないんじゃん?お前耐えられるの?』

え?

・・・。


ごめんなさい。
無理でした。

今日は・・・。

2001年11月17日
今日は、うちの高校の百周年記念式典だったみたいです。

僕は行かなかったんですけど。


言い訳になるけど、
いこうと思ってたんです。
木曜日に全校生徒が体育館に集められて、
『式典に当たっての注意』を聞かされるまでは。

最悪でした。
気分が悪くなった。
別に、誰に対してってわけではないけど、怒りが込み上げてきた感じ。

入学式までは座ったままテープを流すだけだった国歌斉唱が、
起立した状態でのそれに変わるとか言うし。
いままで、この学校で聞いたこと無かった
『高校生らしい服装と態度』なんて言葉を、
うちの学校でその手の言葉が一番似合わないと思われる先生から聞くことになるし。
当日は卒業生を中心に、来賓が200人ほどきて、
そういう人が注目するのは現役高校生の姿なんだから、
充分気をつけるように、とかって言われるし。

うちの高校はこれまで、わりといろんなことが生徒の自主性にゆだねられていて、
生活指導とか、その手のことが行なわれたことは、ほとんど無かった。

それが(来賓のたくさんくる)百周年記念式典だからって、
先生方のこの(微妙な)気合の入りよう。

先生たちもほんとはこんなこといいたくなんだけど、しょうがないから言わされてます、
みたいな態度がみえみえ。
うちの高校は普段、先生たちもわりと自由にお仕事してるように見える事が多いのに、
そんな先生たちが上から言うことを聞かされてるところなんて、見たくなかった。
なんか、かわいそうになってくる。

そこには、当然、
式典における、
っていうか、学校生活における、『秩序』を、
重んじていきたい教育委員会の意向が反映されているのだろう。
先生もそんなことをほのめかしていたし。

そう、国歌斉唱にしても、式典前の指導にしても、
結局は上からの押しつけ。
そんな波がうちの高校にまで押し寄せてきたのだなと思うと、
なんかむかつく。


しかも、うちの学校はかつての東京府立第2中学校、
都内有数の進学校としての栄光の時代を知る卒業生などというものは、
えてして、学校運営に我がことのように口を出すのが大好きらしい。

今回の式典でも、
自分の母校の『後輩』たちの現在の姿を観察し、
『昔はこうだった』などと偉そうに評して帰るのだろう。

考えただけで反吐が出る。

この学校で学び生活するのは僕たちなのに、
なんで卒業した人たちに言いたいこと言われなきゃいけないんだろう。
そんな人たちをがっかりさせないように、
普段の生活をこわしてまで『高校生らしく』ふるまわなくてはならないんだろう。

『昔はこうだった』なんてどうでもいい。
今、僕たちはこういう風にやりたいから、
現在、こんな学校になっているんだ、
そのことくらい認めてくれてもいいと思う。

行事の規模・レベルが低下してるのだって、
我が校独自のカリキュラムが廃止されてるのだって、
進学校としてのレベルが下がる一方なのだって、
かつて、うちの高校の生徒が普通にこなせていたことが、
現在の生徒には手に余るようになってしまったからというだけのこと。
そして、それは生徒たちの一つの選択。
そりゃ、そういう流れを止めようとする生徒もいるけど、
現実に大勢がそうなっているのだからしょうがない。
同じ高校でも、時代が変わればそこに通う生徒の質もレベルも変わる。
そうであるなら、自分たちの間尺にあった高校生活を送るしかしょうがないのだ。

愛校心はいいけれど、
かつて自分のものであったもの、かつて自分の愛したものが、
いつまでも自分の思い通りになると信じて疑わない、
そんな人たちって、
人間として、現代人として、どうかと思う。
っていうか、かっこ悪い。


だいたい、現役の生徒に『百周年だから祝え』とか言うのも無理があると思う。

そりゃ、大昔うちの高校に通っていたじいさんばあさんは、
自分の母校が百周年を迎えたらうれしいだろうと思う。
誇らしいだろうと思う。
けど、僕たち現役生にしたら、この高校の存在を知ったのでさえ、
せいぜい4〜5年前。
だから、自分的には、この学校もまだ5周年でしかない。
それなのに、いきなり、この学校は百周年だ、とかいわれても、
実感なんてわくわけない。
うれしくも誇らしくも何ともない。
自分としては、
『百周年と言う節目の年に、自分が居合わせるなんて、ラッキー♪』なんて
単純に喜ぶような性質でもないし、
受験前にそんな気分になれるわけない。

だからじいさんばあさんが、どうしても母校の百周年を祝いたいのであれば、
じいさんばあさんだけでやればいいのであって、
学校の教職員まで働かせたり、
貴重な授業時間減らしたり、
生徒の参加を強制したりする必要はない。
そんな極めて個人的で主観的な式典に、
教育という場が利用されてもいいのだろうか。
何はともあれ、えらいいい迷惑だ。


そして、そんな卒業生たちの、そこまで百周年に気合を入れる動機が、
おそらくは自らのプライドや自己満足のためであろう、ということが一番むかつく。

そういう奴らって、
なぜか都立高校全てに妙なライバル意識を燃やしている。
特に旧制府立中じだいからある高校に対しては。
あの高校には、大学進学実績で負けるわけにはいかないとか、
あの高校は出来てまだせいぜい30年くらいのくせにとか、
あの高校で取り入れられた制度が、なぜうちの高校には取り入れられないのかとか。

現在の自分の生活に関わるようなことは何もないのに、
母校だ、というだけでなぜかやたらとうちの高校の行く末を案じてくれている。
それは結局、自分がかつてそこに在籍していたと言う事実があるから。
自分の経歴の中に、この高校の名がある限り、
この高校は常に他校に比べて優位になくてはならない。
世間の高い評判を獲得していなければならない。
ようするに、そういう論理なのだろう。

そんな彼らにとって百周年式典は、
高校の歴史を誇示するのにはうってつけだ。
そりゃ、気合も入るだろう。
4年前から準備をしちゃったりもするだろう。

でも、だからって、関係ない僕たちまで巻き込むのはやめてほしい。
そう思うのである。
 
 
 
とりあえず、百周年式典について考えれば考えるほど、
腹が立ってくる。
我ながら若いなと思うが、実際に腹が立つのだからしょうがない。

そんなわけで、今日、会場の市民会館に向かうだけの意義付けを
自分の中に見出すことが、結局出来なかった。

手っ取り早く言うと、サボりました。

そんな前生徒会長。

何はともあれ思ったことは、
こんな下らないことに、思考力とエネルギーを費やしてしまったな、ということ。

あぁ、やだやだ。

明日は・・・。

2001年11月16日
うちの学校は今年、百周年を迎える。

その記念式典は、明日行なわれるらしいんだけど、
今日は記念植樹を学校でやっていた。

っていっても、参加者はPTAとか同窓会とかの代表者と、
あと、おそらく教職員と、そして生徒代表だけ。

生徒代表は、出来れば3年生からだしたいということだったらしく、
当然3年生で元生徒会長である僕にも『やってくれない?』と言う声がかかった。

けど、毎度の事ながら、
めんどくさがりの上に、身勝手な僕は、
『かったるい』と断ったばかりか、
同じクラスの元文化祭実行委員長Oと元中央委員会議長Fを
『こいつらならやってくれますよ』と、先生の前に差し出した。
全ては、自分を候補から外すために。

あぁ、僕ったら、なんて悪い子。


FもOも真面目ないい奴なんで、先生に頼まれていやだといえず、
引き受けたらしい。
その後、『おまえのせいだ』と言って蹴られたけど・・・。


で、今日が、その記念植樹の日。

せっかく4時間目の授業を公欠にしてもらって玄関前の会場に行ったのに、
同窓会の方々がなかなか来ず、
寒い中待たされた挙句、
やっと始まったと思った直後に4時間目の授業が終わり、
校舎から出てきた生徒たちに、
スコップを持って木を植える様子を見られて恥ずかしい思いをしたFとOは、
植樹が終わった後、こう聞かれたらしい。

『どっちが生徒会長なの?』

そして、Fの報告によると、困ったOは

『いや、生徒会長は英語の授業サボりたくなくて、参加していません。』
と答えたとか。

・・・。

やばっ。

どうしよう。

そんなこと言われて、悲しげな表情を浮かべる同窓会のおじいさん方の顔を想像するのが怖い。

『授業サボりたくないから』参加しなかった僕は、
本日英語の教科書忘れてたりするわけで・・・。
どうしよう、思いっきりかっこ悪いです。

やっぱり、身勝手すぎたでしょうか。
ちょっぴり、罪悪感。

っていうか、何もそんなありのままに説明しなくてもいいのに、O。
もうちょっと、こう、巧みに取り繕うことはできなかったんでしょうか。
まったく、使えない奴らです。

・・・なんて。

 
 
そしてそして、
生徒会長欠席の理由を聞いた同窓会の方は、

『うーん、そうかぁ。英語の授業は大切だからねぇ・・・。でも、百年に一度のことなんだから・・・。』

『・・・。』が痛すぎです。


確かに、今回のことはちょっと僕も、めんどくさいからって、悪いことしたかなという気はします。

反省・・・。
 
 
 
でもでも、僕は思うのです。

『百周年なんだから・・・。』
『百年に一度なんだから・・・。』

百周年記念式典が近づいてきたここ最近、
生徒の式典大量サボタージュも予想される中、
決まりきったように繰り返されるのが、こういった言葉です。

『百年に一度』なんだから参加するべきだ。
もしくは、参加する価値がある。
そのような論法が強調されています。

でも、よく考えたら、こんな言葉には何の意味もないと思うのです。

例えば、
『百年に一度のお祭り』とか
『百年に一度の逸材』とか
『百年に一度の豊作』とかって、よく言います。

上の3つとも、なんとなく、『おぉ、すごいぞ』という感じがするのは事実です。

けど、『おぉ、すごいぞ』がかかるのは、『百年に一度の』ではなく、
あくまでも、『お祭り』『逸材』『豊作』なのです。

『百年に一度の』という言葉には、後に続くおめでたいもの、楽しそうなもの、素晴らしいものの持つ意味を、
さらに強める働きしかありません。

つまり、『百年に一度』と言う事実自体には、
何一つ喜ばしいことは何も無いのです。

したがって、後に続く言葉が、『式典』とか『植樹』とかだったりして、
それらがおめでたかったり、楽しそうだったり、素晴らしかったりするということが、決して無いという場合、
『百年に一度』と言う要素には、それらを逆転させて、『参加すべきもの』にするような機能は、
無いというわけです。

だから、
『百周年だから・・・。』とか
『百年に一度だから・・・』とかいわれても、

『だから何?』としか、思えません。

そんなこと言われても・・・、って感じです。


それなのに、それがあたりまえのように、
先生にも、同窓会の人にも、PTAの人にも言われて、
ちょっとやだ。

それでなくても、生徒たちを不快にさせる要素で満ち満ちている今回の百周年記念式典。
(式典前日である今日、それについて触れるのは避けますが。)

漠然とした腹立たしさを感じます。

そんな今日この頃。

今日の日記

2001年11月14日
あぁ、素敵。

うれしさのあまり、舞い上がってしまいそう。
 
 
 

だって、学校から帰ってきたら、

栃東が朝青龍に勝ってるんだもの。


栃東最高です。

これまで、実力は認められながらも、
今ひとつ星が伸びなかった彼だけど、
最近は、足腰の安定感が増してきて、
ちょっと一皮向けた感じ。
今場所はちょっと、このまま行きそうな気がします。

今日も、朝青龍の出足に押し込まれながらも、
両足の安定が揺らぐことがないし。
やっぱり、若さと勢いだけの朝青龍なんかとは格が違う感じです。
っていうか、朝青龍は嫌い。


魁皇がやたら弱くて、
相撲を見るのもちょっとつらい今場所。
もう、栃東だけが、心の支えです。


ふと思ったんですけど、

「ルネサンス時代には『万能の人』が理想とされた」って、言うじゃないですか。

万能の人ってえらいのかな?

そう思いません?


なんでもかんでも出来るのがえらいんじゃないとおもう。

だって、一人の人間が業績をたくさん積み重ねたところで、何か得があるわけじゃないじゃん。
それよりも、特定の分野での業績がどれだけ大きいか、
どれだけ優れた才能を発揮できるのか、って言うのが、
偉さの基準なんじゃないだろうか。

例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチがえらいのは、
万能だからではなくて、
世界的な名画を描いたからであり、
自然科学とかでも偉大な実績をあげたから、
だとおもうんだけど。

べつに、レオナルド・ダ・ヴィンチが偉い人だっていうことに異議を唱えるわけじゃないけど、
何でも出来たからって『偉い』って言うのはちょっと違うよなぁ、ってちょっと思った。

だから、
文武両道とか才色兼備とか言ったりするし、
秀才な上にスポーツ万能な奴とかっていたりするけど、
そういう奴らって、

すごいなぁ、とか
えらいなぁ、とか
かなわねぇなぁ、とか
むかつくなぁ、とかって思ったりするけど、

別に、『すごい』とか『偉い』とか『かなわない』とかって思う必要はない、って思う。
何か一つでもそいつに勝てるものがあれば、それで…。

むかつくけど・・・。

  
 
 
 
や、だから何だって感じなんですけど・・・。

今日は

2001年11月11日
模試でした。

志望校のオープンプレとか言うやつです。

最近、自分の志望校の難しさにちょっとした脅威を感じていて、
塾とか言ってなくて、具体的な情報とかないまま、
クラスのやつらに適当に脅されたりするんで、
自分の現在の学力からはかなり程遠いところにあるんじゃないか、なんて考えていて、

だから、今日の模試もおそらくほとんど埋まらないだろうな。
そんななのに行っても無駄だよな。
行くのやめよかな。
今朝は一段と寒いな。

なんて、考えつつも、
とりあえず、行ってみた。


けど、そこまでひどくもなくて、とりあえず一安心。
そりゃ、数学は難しかったし、世界史はまだ不完全な部分が出たりしたけど、
まぁ、全然解けないとか言うほどでもなかった。
いつもやってるZ会の問題にけっこう似ていて、対策全然してなかったマーク模試より、
かえって落ち着いて解けた。
これから勉強していけば、今後何とかならないでもないのかも・・・。

かすんで見えないほど、遠くにあるわけでもないのだな・・・と。

やっぱり、行ってよかったです。


 
帰ってきたら、疲れてるのに、
勉強会してるから来いとかって元中の友達に呼び出され、
めんどくさがりなんで、普段はそういうのつい断ってしまいがちな僕だけど、
今日は、模試帰りでなんとなく気分が活動的だっただけに、OKしてしまった。

で、勉強会のはずが、当然のように、
ファミレスでお食事会に。
行ったら、わりと大勢で男子4人女子3人だった。
なんか、久しぶりで、中には3年ぶりにあった友達もいたりしたんで、
『勉強は?』とかって聞くのはとりあえずやめにして、懐かしい時間を過ごしてしまいました。


しかも、そこ出た後も、
男だけで、バスケしようとか言うことになって、
くそ寒い公園でボール追いかけたり、世間話したり。

ほんとに久しぶりに会った友達なんだけど、
ちっとも変わらず仲良く接することが出来たのがうれしい。
小学校から仲良かった面子だけど、
僕は中学校で違う部活に入ったりしたせいか、
かなり疎遠になってしまった時期もあったんだけど、
それでも、彼らは小学校の時と同じように付き合ってくれた。
おかしいけど、ちょっといいな、とかって思ってしまった。

運動不足なんで、ちょっときつかったけど、
なんか、やたらと楽しくて、気付いたら夜1時でした。


あれ?
結局、勉強はどこに行ったんでしょう?

まぁ、そんな口先だけの奴らだって事は、十分承知してましたが。

けど、模試受けたんで、今日はいいかな・・・。


なんて。

リーディングの時間。

mothは蛾、mossは苔だって教わりました。

『でも、モスバーガーはなんで、こんなイメージの悪い名前にしたんでしょうねぇ?』

そう先生が言ったとたん、

普段は授業中でもわりとおとなしいS君が突然、

『先生!!』と手を上げて、こういいました。

『マウンテン! オーシャン! シー!』

思いっきり身を乗り出して。

まっすぐ伸ばした人差し指で、黒板のMOSの文字を指差しながら。

あまりの突然のS君の言動に、
一瞬何を言ってるのかわからず静まり返ったクラスですが、
要するに、

Mountain
Ocean
Sea

でMOSだといってるんだとわかり、

先生『あ、あぁぁ〜。よく知ってますねぇ〜。』
の一言で、クラスの雰囲気もふっと緩みました。

なるほど。知らなかったです。


それにしてもS君。

そこまで身をのり出して言わなくても・・・。
きっと、よっぽど言いたかったんでしょう。
普段はおとなしくてクールなのに。

言った後のクラスの『おー!』というどよめきに、
恥ずかしそうにうつむくしぐさがなんともいえません。
チラッと見てしまった彼の横顔は、うっすらと紅く染まっていました。

かわいいなぁ。

ナイスです、S君。



家族

2001年11月5日
仕事から帰ってきた父ちゃん。

『おなかすいた。ご飯よそって。』


寝ようとしてた母ちゃん。

『あのねぇ、子どもじゃないんだから、ご飯よそうくらい自分でやんなさい。』

『だって、疲れて帰ってきたんだよぉ。』

『疲れてるのはあんただけじゃないの。』


そんなわけで、もう何度も繰り返された、同じテーマの論争を今日も繰り広げるうちの両親。
って言っても、黙ってしまった父ちゃんに、母ちゃんが必要以上に話膨らませて、
延々と怒鳴り散らしてるだけなんだけど。

『あんたの中に妻は家にいてご飯の用意する存在だっていう古い発想があるのよ』

『そうやって何も出来ないまま年をとって、みんなに嫌われる老人になればいいのよ』

などと、明らかに、ちょっと飛躍しすぎな母ちゃんの愚痴。

聞いていて、とても疲れる。
家の中に争いがあるのはとてもいやなものだし。

結局、僕が、我慢できなくなってよそってあげることになる。

勉強していた机から立ち上がって。


最近、僕は家族が大好きだ。

一人一人が話しててめちゃくちゃ面白いし。

いつまでも平和な家族でいてほしいと思う。
いつまでも、この面子で仲良くしたいと思う。

だから、家の中に争いがあるのは我慢できない。

それだけに、気を使って、家庭内の雰囲気を和やかに保つ努力をする機会が多くなってる気がする。

父ちゃんが母ちゃんにあまり怒られないように、早めにとうちゃんのダメな所をそっと注意したり、
だーっと一方的に怒鳴り散らすしか能のない、母と妹に対する兄の肩を持ってやったり、
親に自分のことを話すのが嫌いな妹の話を、代わりに聞いてやったり。


自分でも、そんな努力が健気だなとちょっと思う。

でも、そんなのも別にいやじゃない。

とりあえず、家族が平和でいてほしい。

将来、僕たちが独り立ちしても、
たまにみんなで集まって、今みたいに、楽しく過ごしたい。
バカな話をして盛り上がったり、
テレビに対して突っ込みいれたり。
もう何度も繰り返した昔話で、飽きずに大笑いしたり。
別々に暮らしてることなんて忘れるくらい、
いつだって、普通に、あたりまえに接することが出来る関係。

そんな未来があるといい。


そう思う。

今日も適当

2001年11月4日
模試を受けてきました。

数学がぼろぼろです。
時間足りません。
問題量多すぎです。
センター対策もしっかりやろうと思いました。

っていうか、
朝、家を出たときは空が青くて高くて、
やたらとすがすがしい秋らしい日だなと思って、気持ちがよかったのに、
テスト終わって、会場でたらもう真っ暗。
せっかくの気持ちのいい一日を、やたらと狭苦しい机にしがみついてすごしてしまいました。
あぁ、もったいない。

縮めすぎて、体が痛いです。

っていうか、眠かったです、ひたすら。

本当は、昨日早く寝ようと思ったんだけど、
妹につかまってしまい、2時くらいまで話を聞かされてて・・・。
おかげであまり寝られず、今日は苦労しました。

まぁ、妹との話は楽しかったんだけど。

そんなこんなで、長い一日でした。

はぁ、疲れた。


今日の日記

2001年11月2日
かわいいあの子に喜んでもらえただけで、

僕は満足です。

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