小一時間
2002年11月25日明日のチュートリアルで提出しなくてはならない受験日程表の記入をした。
去年は志望校一本のみの受験で玉砕した僕だけど、
今年はそんなことを言おうものなら、
チューターの人に
「落ちたらどうするの?」
「就職するの?二浪するの?」
「そういうつもりもないのに私立受けないっておかしくない?」
などと小一時間ほど問い詰められるらしいので、そうもいかない。
受験料が増えすぎないように、
なんとか安全校と、国立落ちた場合はそこに行ってもひねくれた大学生活を送らなく
てもすまなそうな大学をきめて、日程を組まなくちゃいけないわけだが、
なかなかこれが難しい。
受けようかなと思うところはあっても日程が上手く合わなかったり、
受験料が高すぎたり。
そもそもレベル的にちょうど良い大学自体が意外に少ない。
要するに国立以外は、具体的に行こうという意志がいまいち持ちきれないところが
決められない原因なんだろうけど。
去年は志望校一本のみの受験で玉砕した僕だけど、
今年はそんなことを言おうものなら、
チューターの人に
「落ちたらどうするの?」
「就職するの?二浪するの?」
「そういうつもりもないのに私立受けないっておかしくない?」
などと小一時間ほど問い詰められるらしいので、そうもいかない。
受験料が増えすぎないように、
なんとか安全校と、国立落ちた場合はそこに行ってもひねくれた大学生活を送らなく
てもすまなそうな大学をきめて、日程を組まなくちゃいけないわけだが、
なかなかこれが難しい。
受けようかなと思うところはあっても日程が上手く合わなかったり、
受験料が高すぎたり。
そもそもレベル的にちょうど良い大学自体が意外に少ない。
要するに国立以外は、具体的に行こうという意志がいまいち持ちきれないところが
決められない原因なんだろうけど。
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勘違い
2002年11月24日私立のK大のオープン模試を受けた。
私大対策はあまりしていないので、
特にマイナーな用語が出そうな世界史が心配だったが、
そんなにできないこともなかった。
K大に関しては商学部の世界史は難しいと聞くが、
法学部はそうでもないらしい。
ちょっとラッキー。
ただし、英語がいまいち良くない。
難易度はそう高くないと思うんだけど、とにかく分量が多い上に、時間が短い。
焦ってしまってちょっと失敗した。
要するにどれだけ平常心を保ちつつ読み進められるかの勝負だと思った。
ここを受けるなら、もう少し対策をきちんとした方がいいだろう。
なんて模試で気付くことではないんだけど。
隣りに座った同じクラスの女子がやたら良くしゃべる人で、
クラス内の人間関係について、
聞かないほうがいいようなことを、いろいろ聞かされてしまった。
これは前から思っていたことではあるが、
うちのクラスは男のくせに気の弱い奴が多すぎ。
嫌だと思いつつも断れずに人に流されてばかりいて、
そのくせ影ではうじうじ文句たれてるような、そんなのばかりだ。
はっきりいって、見ていて気持ち悪い。
いざとなったら一人になっても耐えられるくらいの強さは必要だ。
私大対策はあまりしていないので、
特にマイナーな用語が出そうな世界史が心配だったが、
そんなにできないこともなかった。
K大に関しては商学部の世界史は難しいと聞くが、
法学部はそうでもないらしい。
ちょっとラッキー。
ただし、英語がいまいち良くない。
難易度はそう高くないと思うんだけど、とにかく分量が多い上に、時間が短い。
焦ってしまってちょっと失敗した。
要するにどれだけ平常心を保ちつつ読み進められるかの勝負だと思った。
ここを受けるなら、もう少し対策をきちんとした方がいいだろう。
なんて模試で気付くことではないんだけど。
隣りに座った同じクラスの女子がやたら良くしゃべる人で、
クラス内の人間関係について、
聞かないほうがいいようなことを、いろいろ聞かされてしまった。
これは前から思っていたことではあるが、
うちのクラスは男のくせに気の弱い奴が多すぎ。
嫌だと思いつつも断れずに人に流されてばかりいて、
そのくせ影ではうじうじ文句たれてるような、そんなのばかりだ。
はっきりいって、見ていて気持ち悪い。
いざとなったら一人になっても耐えられるくらいの強さは必要だ。
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今日の日記
2002年10月30日今日、テレビで知ったのだが、
今は「ヨーグルトブーム」であるらしい。
乳酸菌がもつ様々な病気の予防効果が注目を集め、
多くの種類のヨーグルトが発売され、
メーカーの戦略で健康雑誌にも「ヨーグルトで健康になった」体験談が紹介され、
毎日沢山の主婦が大量に買っていく、とか。
京都大学の教授が日本に持ち込んだ「カスピ海ヨーグルト」とかいうのも、
京大教授の名前によって、主婦たちの間に口コミで広がっているらしい
(その教授は実際にはその健康に与える効果を紹介したとかではなく、単純に土産として持ち帰っただけらしいが)。
なんだかよく分からないが、
ヨーグルトって「ブーム」の対象になるような商品だったのか…、という感じだ。
主婦ってすごいと思う。
京大教授がどうのとか、健康雑誌の体験談がどうの、とかいうそんな情報が、
ブームを引き起こすほどの大きな流れを生み出す。
主婦の作り出すその情報環境のもつパワーを感じる。
あまりに分かりやすすぎるところがしょうもないけど。
そういえば、
1〜2年くらい前には「遺伝子組み替え食品バッシングブーム」みたいになっていたが、
あれはどこへいったんだろうか。
あの頃は「遺伝子組み替え食品に対する消費者の不安」を語ることが主婦の良識という感さえあったが、
今ではすっかり「偽装表示バッシング」にその地位を奪われている気がする。
今日本に組み換え食品が入ってきてたとしても、大きく取り上げられることはないだろうし、
そうしたら誰も気付かないだろうな、なんて思ったりもするが、それは考えすぎだろうか。
「健康」という言葉に最大の関心を寄せる人は数多い、らしい。
今の僕にはそういう傾向がいまいちぴんと来ないのでなんともいえないし、
そのような心理が将来自分の中にも形成されることもあるかもしれない。
けど、その健康への関心の寄せ方が、「ブーム」を呼ぶようなものあるというのは、
なんか違うと思う。
ブームというのは時と共に移ろい行くもの。
消費者の関心がそのようなものである限り、
消費者の権利は守られていかないのではないだろうか。
今は「ヨーグルトブーム」であるらしい。
乳酸菌がもつ様々な病気の予防効果が注目を集め、
多くの種類のヨーグルトが発売され、
メーカーの戦略で健康雑誌にも「ヨーグルトで健康になった」体験談が紹介され、
毎日沢山の主婦が大量に買っていく、とか。
京都大学の教授が日本に持ち込んだ「カスピ海ヨーグルト」とかいうのも、
京大教授の名前によって、主婦たちの間に口コミで広がっているらしい
(その教授は実際にはその健康に与える効果を紹介したとかではなく、単純に土産として持ち帰っただけらしいが)。
なんだかよく分からないが、
ヨーグルトって「ブーム」の対象になるような商品だったのか…、という感じだ。
主婦ってすごいと思う。
京大教授がどうのとか、健康雑誌の体験談がどうの、とかいうそんな情報が、
ブームを引き起こすほどの大きな流れを生み出す。
主婦の作り出すその情報環境のもつパワーを感じる。
あまりに分かりやすすぎるところがしょうもないけど。
そういえば、
1〜2年くらい前には「遺伝子組み替え食品バッシングブーム」みたいになっていたが、
あれはどこへいったんだろうか。
あの頃は「遺伝子組み替え食品に対する消費者の不安」を語ることが主婦の良識という感さえあったが、
今ではすっかり「偽装表示バッシング」にその地位を奪われている気がする。
今日本に組み換え食品が入ってきてたとしても、大きく取り上げられることはないだろうし、
そうしたら誰も気付かないだろうな、なんて思ったりもするが、それは考えすぎだろうか。
「健康」という言葉に最大の関心を寄せる人は数多い、らしい。
今の僕にはそういう傾向がいまいちぴんと来ないのでなんともいえないし、
そのような心理が将来自分の中にも形成されることもあるかもしれない。
けど、その健康への関心の寄せ方が、「ブーム」を呼ぶようなものあるというのは、
なんか違うと思う。
ブームというのは時と共に移ろい行くもの。
消費者の関心がそのようなものである限り、
消費者の権利は守られていかないのではないだろうか。
今日の日記
2002年10月18日世界史の授業はとにかく”熱い”。
その熱さにショックを受け、しばし呆然。
毎回世界史の授業受けるたびに、歴史だけでなく現代社会が違った色に見えるようになっているのに気付く。
金曜日はだから、自分にとっては大切な日だ。
その熱さにショックを受け、しばし呆然。
毎回世界史の授業受けるたびに、歴史だけでなく現代社会が違った色に見えるようになっているのに気付く。
金曜日はだから、自分にとっては大切な日だ。
今日の日記
2002年10月17日センター物理の授業。
ただでさえ、文型でセンター物理を取る奴なんてほとんどいなくて、元からいた人の数も少ないのに、
その後、講が進むにつれて更に生徒の数が減り続け、
今日の出席者、ついに6人。
ただでさえ、文型でセンター物理を取る奴なんてほとんどいなくて、元からいた人の数も少ないのに、
その後、講が進むにつれて更に生徒の数が減り続け、
今日の出席者、ついに6人。
今日の日記
2002年10月16日彼。
4月に授業で見かけた時から、
きれいな丸い坊主頭に、すぐ赤くなる顔、その上にちょこんと乗っかる眼鏡がやたら印象的だった彼。
いつだったかジミヘンに、
「ねぇ!いのすけにすごい似ている人を見つけたんだけど!」
と言われた時に、
なんとなく僕の脳裏に思い浮かんでしまった彼。
(実際ジミヘンが言ってた人というのも彼だったのだが)
そして、
みんなの前で立って講師に質問する時の彼の顔が真っ赤であった上に、
よく見たら手がプルプル震えていた話を聞いて、
僕とジミヘンにこっそり爆笑されていた彼。
英文解釈の先生に質問に行ったときに、
偶然僕と前後に並んでしまい、
先生に「ねぇ、君たちはひょっとして兄弟」といわれてしまった彼。
(ちなみに先生の中では僕の方が弟であるらしい)
最近は、なんだか、話し掛けたそうに僕に視線を合わしてくる彼。
そのたびに僕は気付かない振りをして逃げてしまっていた彼。
そんな彼と、今日エレベーターで二人っきりになった(嫌な表現だが)。
例によって、こっちは無視を決め込もうとしてるのに、
今日に限って、なんか話し掛けてくるし、そいつ!
なんだというんだ、いったい。
結局名前を聞く羽目になってしまったし。
しかも、その後、またすれ違った時にしょうがないから会釈してやったら、
胸のところで小さく手を振る仕草がちょっと可愛らしかったし。
そんな時も彼の顔はやっぱり赤らんでいたし。
でも僕はやっぱり嫌だ。
自分に似ていると言われる(自分でもそう思う)彼と親しくなったりするのが。
できれば彼には近づきたくなかった。
それなのに…。
4月に授業で見かけた時から、
きれいな丸い坊主頭に、すぐ赤くなる顔、その上にちょこんと乗っかる眼鏡がやたら印象的だった彼。
いつだったかジミヘンに、
「ねぇ!いのすけにすごい似ている人を見つけたんだけど!」
と言われた時に、
なんとなく僕の脳裏に思い浮かんでしまった彼。
(実際ジミヘンが言ってた人というのも彼だったのだが)
そして、
みんなの前で立って講師に質問する時の彼の顔が真っ赤であった上に、
よく見たら手がプルプル震えていた話を聞いて、
僕とジミヘンにこっそり爆笑されていた彼。
英文解釈の先生に質問に行ったときに、
偶然僕と前後に並んでしまい、
先生に「ねぇ、君たちはひょっとして兄弟」といわれてしまった彼。
(ちなみに先生の中では僕の方が弟であるらしい)
最近は、なんだか、話し掛けたそうに僕に視線を合わしてくる彼。
そのたびに僕は気付かない振りをして逃げてしまっていた彼。
そんな彼と、今日エレベーターで二人っきりになった(嫌な表現だが)。
例によって、こっちは無視を決め込もうとしてるのに、
今日に限って、なんか話し掛けてくるし、そいつ!
なんだというんだ、いったい。
結局名前を聞く羽目になってしまったし。
しかも、その後、またすれ違った時にしょうがないから会釈してやったら、
胸のところで小さく手を振る仕草がちょっと可愛らしかったし。
そんな時も彼の顔はやっぱり赤らんでいたし。
でも僕はやっぱり嫌だ。
自分に似ていると言われる(自分でもそう思う)彼と親しくなったりするのが。
できれば彼には近づきたくなかった。
それなのに…。
今日の日記
2002年10月15日今日はなんだか、徹底的に暗かった。
クラスでもほとんど誰とも話さなかったし、
昼飯も皆が数人ずつまとまって食べている中、1人で食べた。本を読みながら。
おそらく2学期始まってから一番の暗さであったろう。
いつまでも続く刺激のない淡白な生活。
ほっとくと風のようにすぎていってしまうような短すぎる一日一日に、
ほとんど休む暇もなく必死でついていく生活。
そろそろそんなのにも飽きてきた気がする。
いつも帰り道に自転車こぎながら思うのは、「あ、昨日と同じだ」ということ。
クラスの一部にいる、やたらとプライドの高いお坊ちゃんたち(中高一貫出身者に多いのだが)に付き合うのにも、
そろそろ限界を感じてきた。
幼い頃から「自分は頭が良い」「選ばれた人間なんだ」と信じ込まされ、
社会に対する問題意識もないまま、ただ自分の価値を数値化する基準としてだけのお勉強にひたすら励んできた奴ら。
学歴至上主義の時代に育った親の、古めかしい価値観をそのまま自分の体に取り入れて
何の疑問も感じずにそれを語る奴ら。
いままで僕の住んできた社会には確実に存在しなかった、
よく出来た物語の中の存在のようなそんな人たちと、同じ大学を目指していると考えるだけでも気が滅入ってくる
(そんなことは自分にとってはどうでもいいことだと言うことも分かってはいるが)。
勉強しているのは楽しいし、毎日毎日新しい知を吸収しつづけられている状態と言うのは、
長い人生の中でも貴重なものであるはずだ。
でも、体がどうしてもついていかない時もあるし、
そんな自分に疑問を感じることもある。
それでもとりあえず受験が終わるまでは、この生活を続けていかなくてはならないこともまた、
分かりきっていることなのだが…。
クラスでもほとんど誰とも話さなかったし、
昼飯も皆が数人ずつまとまって食べている中、1人で食べた。本を読みながら。
おそらく2学期始まってから一番の暗さであったろう。
いつまでも続く刺激のない淡白な生活。
ほっとくと風のようにすぎていってしまうような短すぎる一日一日に、
ほとんど休む暇もなく必死でついていく生活。
そろそろそんなのにも飽きてきた気がする。
いつも帰り道に自転車こぎながら思うのは、「あ、昨日と同じだ」ということ。
クラスの一部にいる、やたらとプライドの高いお坊ちゃんたち(中高一貫出身者に多いのだが)に付き合うのにも、
そろそろ限界を感じてきた。
幼い頃から「自分は頭が良い」「選ばれた人間なんだ」と信じ込まされ、
社会に対する問題意識もないまま、ただ自分の価値を数値化する基準としてだけのお勉強にひたすら励んできた奴ら。
学歴至上主義の時代に育った親の、古めかしい価値観をそのまま自分の体に取り入れて
何の疑問も感じずにそれを語る奴ら。
いままで僕の住んできた社会には確実に存在しなかった、
よく出来た物語の中の存在のようなそんな人たちと、同じ大学を目指していると考えるだけでも気が滅入ってくる
(そんなことは自分にとってはどうでもいいことだと言うことも分かってはいるが)。
勉強しているのは楽しいし、毎日毎日新しい知を吸収しつづけられている状態と言うのは、
長い人生の中でも貴重なものであるはずだ。
でも、体がどうしてもついていかない時もあるし、
そんな自分に疑問を感じることもある。
それでもとりあえず受験が終わるまでは、この生活を続けていかなくてはならないこともまた、
分かりきっていることなのだが…。
今日の日記
2002年10月14日妹が明日からテストだと言うので、夜3時くらいまで数学を教えてやった。
正確に言うと教えさせられた(?)、なのだがまぁいいや。
今回の範囲は三角比。
sinθを使った三角形の面積の求め方を理解させるのに、ちょっと苦労した。
正確に言うと教えさせられた(?)、なのだがまぁいいや。
今回の範囲は三角比。
sinθを使った三角形の面積の求め方を理解させるのに、ちょっと苦労した。
今日の日記
2002年10月12日南北戦争はもともと奴隷解放戦争なんかじゃなかった。
単なる清教徒中心の工業社会である北部と、
国教徒中心の農業社会である南部の利害対立の結果だ。
奴隷問題も焦点の一つとなってはいたが、
北部が奴隷解放を主張したのは主に、
これまで南部が独占していた大量かつ安価の黒人の労働力が解放されることを北部工業も必要としていたからであり、
400万と言う規模の、新たな工業製品市場の拡大が見込まれたからである。
一部に、人道主義から奴隷労働の実態を描いたストウ婦人とか、
奴隷の逃亡を援助する地下鉄道運動とかがあったらしいが、
それも一部に限られた話。
したがって南北戦争開戦当初は、今回の戦争は南部の独立戦争であると捉えられていた。
これにより、南部の士気は上がったし、ヨーロッパの世論も南部支持へと傾いていた。
自由貿易を唱えるイギリスなどは、
保護貿易を主張する北部よりも、南部との経済的結びつきが強く、
時のパーマストン政権は南部の独立を承認しようとさえしていた。
この動きを察したリンカンが、イギリスを牽制するために出したのが、奴隷解放宣言である。
これによって、南部の独立とそれを阻む連邦政府という構図は崩され、
当初は一焦点にすぎなかった奴隷解放問題が、一躍戦争の主役に踊り出る。
奴隷たちを家畜のように扱い使役する南部と、黒人たちの人権を守るために戦う正義の北部。
独立戦争から奴隷解放戦争へ。
見事な論点のすり替えが行われたのである。
正義と言う言葉の前に動きの取れなくなった英政権を尻目に、内外世論と黒人の支持を取り付けた北部は
南部を征服し、以後北部主導の国家統合を進めていく。
なんだかんだと、前置きがやたらと長くなってしまったが、
いつも世界史でこの個所を勉強していて思うのは、「正義の戦争」という言葉が今のアメリカでも全く同じように使われているなと言うこと。
テロ後のアメリカも、この言葉によって、国内世論をまとめて支持率をアップさせ、
諸外国をアメリカを支持せざるを得ない状況へと追い込んで、報復戦争へと突き進んだ。
「正義」「自由」「平和」。
国内だけの話に限れば、「愛国心」という言葉を加えても良い。
ほとんどの人間が、これらの言葉を使われると、その裏にどんなに汚い意図が隠されていようとも、
まるで金縛りにあったように、非難・抵抗することができなくなる。
この言葉に触れることは社会からの抹殺を意味するようになり、タブーがタブーを生んでいく。
全ての人間が自分以外の全員が乗っている大きな流れに乗り遅れまいと必死にならざるを得ず、
個々の人間が流れに乗った結果それが大きな流れとなり、
もうほとんど修正不可能な大潮流となって突き進む。
まさに魔法の言葉だ。
そして、今も昔もその魔法を使いつづけ、世界をリードするアメリカ。
この魔法にかかるのは、しかし、所詮は人々の弱さゆえのこと。
誰か1人でも、大きな流れに抗い、耐えられる人がいれば、そこから解決の糸口がつかめるのに、と思うのだが。
安保理決議はどうなるのだろう。
単なる清教徒中心の工業社会である北部と、
国教徒中心の農業社会である南部の利害対立の結果だ。
奴隷問題も焦点の一つとなってはいたが、
北部が奴隷解放を主張したのは主に、
これまで南部が独占していた大量かつ安価の黒人の労働力が解放されることを北部工業も必要としていたからであり、
400万と言う規模の、新たな工業製品市場の拡大が見込まれたからである。
一部に、人道主義から奴隷労働の実態を描いたストウ婦人とか、
奴隷の逃亡を援助する地下鉄道運動とかがあったらしいが、
それも一部に限られた話。
したがって南北戦争開戦当初は、今回の戦争は南部の独立戦争であると捉えられていた。
これにより、南部の士気は上がったし、ヨーロッパの世論も南部支持へと傾いていた。
自由貿易を唱えるイギリスなどは、
保護貿易を主張する北部よりも、南部との経済的結びつきが強く、
時のパーマストン政権は南部の独立を承認しようとさえしていた。
この動きを察したリンカンが、イギリスを牽制するために出したのが、奴隷解放宣言である。
これによって、南部の独立とそれを阻む連邦政府という構図は崩され、
当初は一焦点にすぎなかった奴隷解放問題が、一躍戦争の主役に踊り出る。
奴隷たちを家畜のように扱い使役する南部と、黒人たちの人権を守るために戦う正義の北部。
独立戦争から奴隷解放戦争へ。
見事な論点のすり替えが行われたのである。
正義と言う言葉の前に動きの取れなくなった英政権を尻目に、内外世論と黒人の支持を取り付けた北部は
南部を征服し、以後北部主導の国家統合を進めていく。
なんだかんだと、前置きがやたらと長くなってしまったが、
いつも世界史でこの個所を勉強していて思うのは、「正義の戦争」という言葉が今のアメリカでも全く同じように使われているなと言うこと。
テロ後のアメリカも、この言葉によって、国内世論をまとめて支持率をアップさせ、
諸外国をアメリカを支持せざるを得ない状況へと追い込んで、報復戦争へと突き進んだ。
「正義」「自由」「平和」。
国内だけの話に限れば、「愛国心」という言葉を加えても良い。
ほとんどの人間が、これらの言葉を使われると、その裏にどんなに汚い意図が隠されていようとも、
まるで金縛りにあったように、非難・抵抗することができなくなる。
この言葉に触れることは社会からの抹殺を意味するようになり、タブーがタブーを生んでいく。
全ての人間が自分以外の全員が乗っている大きな流れに乗り遅れまいと必死にならざるを得ず、
個々の人間が流れに乗った結果それが大きな流れとなり、
もうほとんど修正不可能な大潮流となって突き進む。
まさに魔法の言葉だ。
そして、今も昔もその魔法を使いつづけ、世界をリードするアメリカ。
この魔法にかかるのは、しかし、所詮は人々の弱さゆえのこと。
誰か1人でも、大きな流れに抗い、耐えられる人がいれば、そこから解決の糸口がつかめるのに、と思うのだが。
安保理決議はどうなるのだろう。
今日の日記
2002年10月11日最近チャレンジしていること。
『授業中頷かない。』
前に僕の知らない人で、
『いのすけ?あぁ、あの授業中よく笑ったり頷いたりしてる奴ね。』と言っていたと友達に聞いた奴が複数(4人くらい)いて以来、
自分の授業態度がとても気になる。
特に世界史の時間なのだが、自分の行動をよく気にかけてみると、
確かに自分、頷いている。
よく笑っていることは前々からさすがにわかっていたが、それも人目をひくほどとは思っていなかったのに、実際にはかなりやばいくらいによく笑っている。
それだけではない。
突然首は回しだすわ、不自然に体を折り曲げて必要以上にノートに顔を近づけるわ、実は自分の前後2列くらいに誰も座ってなかったりするわと、
気付いたら、自分の授業態度はちょっと変わってるかもしれない。
友人の話と自分自身の観察とを総合して、そのような結論に至って以来、
なんだか、授業を受ける際に、自分は今どういう行動をとっているかがやたらと気になる体になってしまった。
その中で一番気にしているのが、先生の話に頷くこと。
僕自身、授業中に限らず、人の話を聞いてさも「あぁ、分かる分かる」といいたげにオーバーに頷いてみせる輩が大嫌いだ。
ほとんど軽蔑していると言って良い。
「分かる・納得する」と言った行為は結局は自分内部の認識なわけで、本来は外に出して表現する必要はない。
それをあえてすると言うことは、「話を聞いてちゃんと理解できてる自分」みたいなものを外部にアピールすると言う下心がある場合が多く、
その手の下心は非常にいやらしいと思う。
(但し中年にさしかかると、全員ではないけど、そのような卑しい下心なしに生理的かつ自然にそのような行動をとってしまう人が多いので、そういう人々は多めに見てあげることにしている。例えばうちの母とか。)
常々そう思ってきて、
講演会とか授業中とかやたら首が前後に動く奴が視界に入ると「うわ、こいつ最悪」と思うようにしてきたと言うのに、
自分がそんな奴に成り下っていたとは。
もう恥ずかしくてしょうがない。
ただし、見苦しいと知りつつ、あえて言い訳させてもらうと、
世界史の時間については、その授業に参加している生徒はなぜか講師の話にやたらと無反応で、
講師がせっかく頑張って面白い話をしようとしているのに、誰一人笑ってあげようとしないし、講師を見つめる視線はとても冷たい。
で、唯一僕はそんな講師の話に、笑ってあげたり、そこまではいかなくても笑顔を向けてあげたりしちゃってるので、
講師も割と僕の方を見てしゃべってくる。
そうなるともう後戻りは出来ない。
こちらを向いて語りかけるように話してくる講師に対して急に冷酷な視線を向けるわけには行かない。
しかも、そいつがやたらと若くてかっこいいいけ好かない奴だったとか、気持ち悪くて視線合わせるのも嫌な奴だったりすると、視線を避けても平気だけど、
その講師は見るからに真面目で研究熱心で、どっちかと言うとさえない、要するになんとなく見方をしてあげたくなるタイプなのだ、僕にとっては。
で、しかも、その講師の語り口はよく相手に同意を求めてくる。
予備校の講師だからまさかホントに生徒たちの反応を期待しているわけではないだろうが、
こちらの目を真正面に見据えられて、「ね?そうだよね?」と語りかけられると、どうしても頷いてしまうのだ。
そんなわけで、僕にしてみれば、頷くのは仕方なくてやっていることなんだけど、
やっぱり、自分が授業中先生の話に頷いていると思うととても恥ずかしい。
そういうわけで、冒頭の「授業中頷かない」を当面のテーマにして日々生活しているわけだけど、これがなかなか難しい。
僕がいくら固い決意をして授業に臨んだところで、講師が僕の顔を見てくることには変わりなく、
そんな講師の心を傷つけない程度に反応しつつ、後に座っている生徒たちには頷いていると気付かれないようにしなくてはならない。
これは相当の集中力と忍耐と技術を必要とする。
しかも2コマ続きの世界史の時間、それを続けるとなるとなおさらだ。
結局、大抵1コマ目が終わるくらいの時間帯になると、いつもどおり講師に対して大きく頷いてあげている自分を発見することになる。
なかなか上手くいかないものだ。
そんなわけで、僕のチャレンジは続く。
それにしても何で僕はこんなくだらないことの為に1739文字も書いているんだろう。
『授業中頷かない。』
前に僕の知らない人で、
『いのすけ?あぁ、あの授業中よく笑ったり頷いたりしてる奴ね。』と言っていたと友達に聞いた奴が複数(4人くらい)いて以来、
自分の授業態度がとても気になる。
特に世界史の時間なのだが、自分の行動をよく気にかけてみると、
確かに自分、頷いている。
よく笑っていることは前々からさすがにわかっていたが、それも人目をひくほどとは思っていなかったのに、実際にはかなりやばいくらいによく笑っている。
それだけではない。
突然首は回しだすわ、不自然に体を折り曲げて必要以上にノートに顔を近づけるわ、実は自分の前後2列くらいに誰も座ってなかったりするわと、
気付いたら、自分の授業態度はちょっと変わってるかもしれない。
友人の話と自分自身の観察とを総合して、そのような結論に至って以来、
なんだか、授業を受ける際に、自分は今どういう行動をとっているかがやたらと気になる体になってしまった。
その中で一番気にしているのが、先生の話に頷くこと。
僕自身、授業中に限らず、人の話を聞いてさも「あぁ、分かる分かる」といいたげにオーバーに頷いてみせる輩が大嫌いだ。
ほとんど軽蔑していると言って良い。
「分かる・納得する」と言った行為は結局は自分内部の認識なわけで、本来は外に出して表現する必要はない。
それをあえてすると言うことは、「話を聞いてちゃんと理解できてる自分」みたいなものを外部にアピールすると言う下心がある場合が多く、
その手の下心は非常にいやらしいと思う。
(但し中年にさしかかると、全員ではないけど、そのような卑しい下心なしに生理的かつ自然にそのような行動をとってしまう人が多いので、そういう人々は多めに見てあげることにしている。例えばうちの母とか。)
常々そう思ってきて、
講演会とか授業中とかやたら首が前後に動く奴が視界に入ると「うわ、こいつ最悪」と思うようにしてきたと言うのに、
自分がそんな奴に成り下っていたとは。
もう恥ずかしくてしょうがない。
ただし、見苦しいと知りつつ、あえて言い訳させてもらうと、
世界史の時間については、その授業に参加している生徒はなぜか講師の話にやたらと無反応で、
講師がせっかく頑張って面白い話をしようとしているのに、誰一人笑ってあげようとしないし、講師を見つめる視線はとても冷たい。
で、唯一僕はそんな講師の話に、笑ってあげたり、そこまではいかなくても笑顔を向けてあげたりしちゃってるので、
講師も割と僕の方を見てしゃべってくる。
そうなるともう後戻りは出来ない。
こちらを向いて語りかけるように話してくる講師に対して急に冷酷な視線を向けるわけには行かない。
しかも、そいつがやたらと若くてかっこいいいけ好かない奴だったとか、気持ち悪くて視線合わせるのも嫌な奴だったりすると、視線を避けても平気だけど、
その講師は見るからに真面目で研究熱心で、どっちかと言うとさえない、要するになんとなく見方をしてあげたくなるタイプなのだ、僕にとっては。
で、しかも、その講師の語り口はよく相手に同意を求めてくる。
予備校の講師だからまさかホントに生徒たちの反応を期待しているわけではないだろうが、
こちらの目を真正面に見据えられて、「ね?そうだよね?」と語りかけられると、どうしても頷いてしまうのだ。
そんなわけで、僕にしてみれば、頷くのは仕方なくてやっていることなんだけど、
やっぱり、自分が授業中先生の話に頷いていると思うととても恥ずかしい。
そういうわけで、冒頭の「授業中頷かない」を当面のテーマにして日々生活しているわけだけど、これがなかなか難しい。
僕がいくら固い決意をして授業に臨んだところで、講師が僕の顔を見てくることには変わりなく、
そんな講師の心を傷つけない程度に反応しつつ、後に座っている生徒たちには頷いていると気付かれないようにしなくてはならない。
これは相当の集中力と忍耐と技術を必要とする。
しかも2コマ続きの世界史の時間、それを続けるとなるとなおさらだ。
結局、大抵1コマ目が終わるくらいの時間帯になると、いつもどおり講師に対して大きく頷いてあげている自分を発見することになる。
なかなか上手くいかないものだ。
そんなわけで、僕のチャレンジは続く。
それにしても何で僕はこんなくだらないことの為に1739文字も書いているんだろう。
今日の日記
2002年10月10日郵便局でセンター試験の出願をした。
明らかにセンター願書が入っていると分かるA4の黄色い封筒を片手に郵便局をうろついてると、
自分のことなんて誰も見てねぇよとか思いつつも、
「もっと普通の茶封筒にしてくれればいいのに…。」と思ってしまう。
なんか浪人生になってから、普段勉強する時は回りの目とかがほとんどどうでもよい生活を送るようになったせいか、
町に出るとたまに、やたら自意識過剰になることがある。
うーん、病気っぽい。
明らかにセンター願書が入っていると分かるA4の黄色い封筒を片手に郵便局をうろついてると、
自分のことなんて誰も見てねぇよとか思いつつも、
「もっと普通の茶封筒にしてくれればいいのに…。」と思ってしまう。
なんか浪人生になってから、普段勉強する時は回りの目とかがほとんどどうでもよい生活を送るようになったせいか、
町に出るとたまに、やたら自意識過剰になることがある。
うーん、病気っぽい。
今日の日記
2002年10月7日去年のアフガン攻撃でちょっと有名になったクラスター爆弾。
投下して破裂させると小型爆弾があっちこっちに飛び散って更に爆発するとかいう、とっても怖い爆弾らしいが、
それによって飛び散った小型爆弾が未だに不発弾として多くアフガニスタンに残っているらしい。
しかも、このクラスター爆弾。
製造段階からして、地雷代わりにその後も効力を発揮させるため、中に含まれる小型爆弾のうち2割くらいの確率で不発弾になるように作られてるとか。
今日の新聞で読んだ。
あたりまえだけど、それは地雷代わりって言うか紛れもない地雷なわけで、
現在の戦争においても、地雷はアメリカの主要な戦力として使われ、効力をはっきりしていると言うわけだ。
地雷は戦争が終わった後も、地元住民の行動を制限し、人名を奪いつづけ、その処理には莫大な時間と金がかかる、核とは違う意味でものすごく恐ろしい平気だと思うんだけど、
そんな地雷がそこまでおおっぴらに使われてる。
なんか、数年前の対人地雷禁止条約に向けた国際的な盛り上がりはなんだったんだろうと言う気分になる。
投下して破裂させると小型爆弾があっちこっちに飛び散って更に爆発するとかいう、とっても怖い爆弾らしいが、
それによって飛び散った小型爆弾が未だに不発弾として多くアフガニスタンに残っているらしい。
しかも、このクラスター爆弾。
製造段階からして、地雷代わりにその後も効力を発揮させるため、中に含まれる小型爆弾のうち2割くらいの確率で不発弾になるように作られてるとか。
今日の新聞で読んだ。
あたりまえだけど、それは地雷代わりって言うか紛れもない地雷なわけで、
現在の戦争においても、地雷はアメリカの主要な戦力として使われ、効力をはっきりしていると言うわけだ。
地雷は戦争が終わった後も、地元住民の行動を制限し、人名を奪いつづけ、その処理には莫大な時間と金がかかる、核とは違う意味でものすごく恐ろしい平気だと思うんだけど、
そんな地雷がそこまでおおっぴらに使われてる。
なんか、数年前の対人地雷禁止条約に向けた国際的な盛り上がりはなんだったんだろうと言う気分になる。
今日の日記
2002年10月5日今日は休日って事で、起きたのは午後3時くらい。
なんか最近休日って言うとやたらと眠くて、死んだように眠ってしまう。
これじゃいけないと思いつつ、一週間のたまった疲れがなかなか起こしてくれない。
やっぱり、平日ももうちょっとまともに睡眠とったほうがいいだろうか。
とりあえず、これじゃいけない。
なんか最近休日って言うとやたらと眠くて、死んだように眠ってしまう。
これじゃいけないと思いつつ、一週間のたまった疲れがなかなか起こしてくれない。
やっぱり、平日ももうちょっとまともに睡眠とったほうがいいだろうか。
とりあえず、これじゃいけない。
今日の日記
2002年10月4日金曜日の授業は、英文法・語法、世界史論述(2コマ)、志望校対策の英語と数学(それぞれ1コマずつ)。
計5コマだし、
世界史は2コマぶっ続けだし、
その上志望校対策講座が二つも入っているしで、週の終わりだと言うのに、
めちゃくちゃハード。
とても疲れる。
英文法・語法の小森先生は僕に似ているらしい。
いや、僕が小森先生に似ていると言うべきか。
若くてかっこいい先生なら似ていると言われて、うれしくないこともないが、
小森先生は、背はかなり低めで、縦よりも横の膨らみの方が目立つタイプ。
まぁ、そんなに太っていると言うわけでもなく、多少肉のついた中年といった程度なのだが、
背が低いせいで若干それが目立ちすぎてしまう。
大学院まで出ていて発言はわりと知的であるため、その体格も手伝って軽い威厳みたいなものが感じられないこともないのだが、
それは人によっては『えらそう』と言われて嫌われる原因にもなっている。
そんな先生に僕が似ていると言う。
もう、思いっきり否定してやりたい気分だが、
確かに冷静に考えてみると、
浪人生生活も半年が過ぎ、体重の増加もしゃれにならなくなってきた最近は、
そんな小森先生が僕の将来像としては結構現実味のある話かもしれない、なんて考えることも。
ただし、お腹だけはあそこまで大きく膨らむのはさけたい。
そして、今日、学校に行ったら、友人のTに
「おい、いのすけの新しいあだ名かんがえたぞ」といわれた。
僕が
「は?今度は何?」
と聞くと、
曰く
『もっこり小森』
だそうだ。
「もっこり」はどういう意味だろうか?
計5コマだし、
世界史は2コマぶっ続けだし、
その上志望校対策講座が二つも入っているしで、週の終わりだと言うのに、
めちゃくちゃハード。
とても疲れる。
英文法・語法の小森先生は僕に似ているらしい。
いや、僕が小森先生に似ていると言うべきか。
若くてかっこいい先生なら似ていると言われて、うれしくないこともないが、
小森先生は、背はかなり低めで、縦よりも横の膨らみの方が目立つタイプ。
まぁ、そんなに太っていると言うわけでもなく、多少肉のついた中年といった程度なのだが、
背が低いせいで若干それが目立ちすぎてしまう。
大学院まで出ていて発言はわりと知的であるため、その体格も手伝って軽い威厳みたいなものが感じられないこともないのだが、
それは人によっては『えらそう』と言われて嫌われる原因にもなっている。
そんな先生に僕が似ていると言う。
もう、思いっきり否定してやりたい気分だが、
確かに冷静に考えてみると、
浪人生生活も半年が過ぎ、体重の増加もしゃれにならなくなってきた最近は、
そんな小森先生が僕の将来像としては結構現実味のある話かもしれない、なんて考えることも。
ただし、お腹だけはあそこまで大きく膨らむのはさけたい。
そして、今日、学校に行ったら、友人のTに
「おい、いのすけの新しいあだ名かんがえたぞ」といわれた。
僕が
「は?今度は何?」
と聞くと、
曰く
『もっこり小森』
だそうだ。
「もっこり」はどういう意味だろうか?
今日の日記
2002年10月3日寝不足が続いたせいだろうか。
なんだか、体調を崩し、
仕方がないので、今日の授業は一日サボることに。
まぁ、どうせ、木曜日は一週間の中では比較的休んでも痛くない授業の日なのだ。
一日寝ることにした途端、いきなり爆睡。
気付いたら目が覚めた時は夕方になっていた。
せっかく休んだのに、勉強は進まず。
だめだめだ。
なんだか、体調を崩し、
仕方がないので、今日の授業は一日サボることに。
まぁ、どうせ、木曜日は一週間の中では比較的休んでも痛くない授業の日なのだ。
一日寝ることにした途端、いきなり爆睡。
気付いたら目が覚めた時は夕方になっていた。
せっかく休んだのに、勉強は進まず。
だめだめだ。
今日の日記
2002年10月2日久しぶりに、ジミヘンと一緒に弁当を食った。
彼は髪を切った僕を見て「どんぐり?」と思ったらしい。
失礼な話だ。
そのせいだろうか。
数学のせっかく予習をしたノートを家に忘れたり、
私大世界史の授業で先生からの質問にとんちんかんな答えをしてしまったり、
色々と上手くいかない一日だった。
彼は髪を切った僕を見て「どんぐり?」と思ったらしい。
失礼な話だ。
そのせいだろうか。
数学のせっかく予習をしたノートを家に忘れたり、
私大世界史の授業で先生からの質問にとんちんかんな答えをしてしまったり、
色々と上手くいかない一日だった。
今日の日記
2002年9月30日昨日髪を切った。
そのせいだろうか。
英文解釈の授業の時、
ちょうど『人間は大人になるにつれて童心を失って、他人の期待するようなキャラクターを演じるようになってしまうんだよ。』みたいな内容の英文を読んでいて、
ふと先生と目が合うと
先生は『君の顔には童心が残っていていいねぇ…。』といった。
どういう意味だろう。
かわいいって言う意味かな?
そのせいだろうか。
英文解釈の授業の時、
ちょうど『人間は大人になるにつれて童心を失って、他人の期待するようなキャラクターを演じるようになってしまうんだよ。』みたいな内容の英文を読んでいて、
ふと先生と目が合うと
先生は『君の顔には童心が残っていていいねぇ…。』といった。
どういう意味だろう。
かわいいって言う意味かな?
今日の日記
2002年9月29日今日は論文模試。
午前と午後で、私立対策型と国立の志望校対策型の二つを受けた。
私立の方は割りと簡単。
課題文も読みやすかったし、小論で踏まえるべき論点も見つけやすかった。
但し、踏まえる論点の方にばかり気を取られて、結論へいたる根拠の提示が不完全だった気もする。
これは僕が良くやるミスの一つ。
いいかげんこういうのを無くしたい。
国立の方は一転してやたら難しかった。
翻訳の課題文がとにかく分からない。
というか、理解できない。
昼食とった後で眠気もちょっとあったせいか、
読んでいてもその文章がなかなか頭に入っていかない。
2回読んでやっと話のアウトラインがつかめた程。
小論の前段階として要約もしなきゃいけなかったんだけど、要約の方にやたらと時間を食ってしまった。
多分、後で読み直したらさぞかし意味不明の要約文が出来上がっていることだろう。
まぁ、いずれにしても、
論文模試を受けるのも、一日に二つも小論文を書くのも今日が初めて。
おそらく苦痛の一日となるだろう、と予想していたが、
小論文書いている作業は割りと楽しく、そんなに辛くなかった。
結果を見たらそうは言ってられないだろうけど。
午前と午後で、私立対策型と国立の志望校対策型の二つを受けた。
私立の方は割りと簡単。
課題文も読みやすかったし、小論で踏まえるべき論点も見つけやすかった。
但し、踏まえる論点の方にばかり気を取られて、結論へいたる根拠の提示が不完全だった気もする。
これは僕が良くやるミスの一つ。
いいかげんこういうのを無くしたい。
国立の方は一転してやたら難しかった。
翻訳の課題文がとにかく分からない。
というか、理解できない。
昼食とった後で眠気もちょっとあったせいか、
読んでいてもその文章がなかなか頭に入っていかない。
2回読んでやっと話のアウトラインがつかめた程。
小論の前段階として要約もしなきゃいけなかったんだけど、要約の方にやたらと時間を食ってしまった。
多分、後で読み直したらさぞかし意味不明の要約文が出来上がっていることだろう。
まぁ、いずれにしても、
論文模試を受けるのも、一日に二つも小論文を書くのも今日が初めて。
おそらく苦痛の一日となるだろう、と予想していたが、
小論文書いている作業は割りと楽しく、そんなに辛くなかった。
結果を見たらそうは言ってられないだろうけど。
今日の日記
2002年9月27日帰るとき、前を歩く小学校1年生ほどの少年二人をチャリで追い越すために、ベルをチリンチリンと鳴らすと、
少年の1人が振り向いて僕を見るなり、ありえないくらいの大きな声で「きゃーーーー!!」と言った。
ありえない。
少年の1人が振り向いて僕を見るなり、ありえないくらいの大きな声で「きゃーーーー!!」と言った。
ありえない。