スポーツ牛乳
2001年10月8日うちのとうちゃんは、田舎のがっこの教頭先生。
教頭といっても、見てるとちっともえらそうな仕事はしてなくて、
外見がなんとなく弱っちくて、
頼めば何でもやってくれそうに見えるせいか、
雑用とか、地域の集まりへの参加とか、外部の人との応対とかなんかまで、
色んな事を、ほとんど押し付けられるかたちで
忙しく働いている。
しかも、
父ちゃん朝弱いのに、
教頭なのに一番に登校しないなんて、とかって先生たちに言われるからって、
毎日無理して早起きして、
頑張って、田舎の学校まで通ってる。
中間管理職としての板ばさみとかも、
いっちょまえに体験しているみたいだ。
僕が生まれたときから、
父ちゃんはちゃらんぽらんでお気楽に生きているっていう印象があったから、
そんな父ちゃんに、ため息は似合わないのに。
けど、父ちゃんのえらいところは、
そんな仕事先での苦労はできるだけ家庭に持ち込まないようにしてること。
彼はうちでは、いつだってちゃらんぽらんだ。
そんなわけで、なんか、最近、
学校の先生の大変さをひしひしと感じる日々だ。
特に教頭先生。
けど、そんな父ちゃん、
実にありがたいことに、
よく、給食であまった牛乳を家にもって帰ってきてくれる。
おそらく、何でもやってくれそうな外見してるから、
『教頭先生なら頼めばもって帰ってくれるだろう。』と思われてるんだろうが、
牛乳は大好きなんで、
かなりありがたい。
給食の牛乳だから、1パック200ccとかなんで、
『気分転換にぐいっと一杯』みたいな、そんな気分のときにちょうどいいし。
今の中学生は牛乳飲まないのか、
やたら大量にもって帰ってきてくれて、
『冷蔵庫開けば常に牛乳♪』みたいな、そんな感じがうれしい。
もって帰ってくる牛乳は、2種類あって、
(なんで同じ学校の牛乳なのに1種類に統一しないのかわからないのだが)
西武の『スポーツ牛乳』と
全酪の『酪農家牛乳』。
はっきり言って、両方とも、
家以外で聞いたことないような、超マイナーな牛乳な気がするんですが、
それは僕が物を知らないからでしょうか。
僕はどっちかって言うと、西武の方が好き。
(名前のセンスについてはこの際触れない)
まぁ、給食の牛乳だから、どっちもまずいんだけどね。
全酪はちょっとひどすぎる気がする。
匂いも変だし。
…飲むけど。
そんなぼく。
教頭といっても、見てるとちっともえらそうな仕事はしてなくて、
外見がなんとなく弱っちくて、
頼めば何でもやってくれそうに見えるせいか、
雑用とか、地域の集まりへの参加とか、外部の人との応対とかなんかまで、
色んな事を、ほとんど押し付けられるかたちで
忙しく働いている。
しかも、
父ちゃん朝弱いのに、
教頭なのに一番に登校しないなんて、とかって先生たちに言われるからって、
毎日無理して早起きして、
頑張って、田舎の学校まで通ってる。
中間管理職としての板ばさみとかも、
いっちょまえに体験しているみたいだ。
僕が生まれたときから、
父ちゃんはちゃらんぽらんでお気楽に生きているっていう印象があったから、
そんな父ちゃんに、ため息は似合わないのに。
けど、父ちゃんのえらいところは、
そんな仕事先での苦労はできるだけ家庭に持ち込まないようにしてること。
彼はうちでは、いつだってちゃらんぽらんだ。
そんなわけで、なんか、最近、
学校の先生の大変さをひしひしと感じる日々だ。
特に教頭先生。
けど、そんな父ちゃん、
実にありがたいことに、
よく、給食であまった牛乳を家にもって帰ってきてくれる。
おそらく、何でもやってくれそうな外見してるから、
『教頭先生なら頼めばもって帰ってくれるだろう。』と思われてるんだろうが、
牛乳は大好きなんで、
かなりありがたい。
給食の牛乳だから、1パック200ccとかなんで、
『気分転換にぐいっと一杯』みたいな、そんな気分のときにちょうどいいし。
今の中学生は牛乳飲まないのか、
やたら大量にもって帰ってきてくれて、
『冷蔵庫開けば常に牛乳♪』みたいな、そんな感じがうれしい。
もって帰ってくる牛乳は、2種類あって、
(なんで同じ学校の牛乳なのに1種類に統一しないのかわからないのだが)
西武の『スポーツ牛乳』と
全酪の『酪農家牛乳』。
はっきり言って、両方とも、
家以外で聞いたことないような、超マイナーな牛乳な気がするんですが、
それは僕が物を知らないからでしょうか。
僕はどっちかって言うと、西武の方が好き。
(名前のセンスについてはこの際触れない)
まぁ、給食の牛乳だから、どっちもまずいんだけどね。
全酪はちょっとひどすぎる気がする。
匂いも変だし。
…飲むけど。
そんなぼく。
妹
2001年10月7日妹が試験中。
そんなわけで、妹語録。
『ねぇ、王政復古って、あれをさぁ、えーと、あれすること?』
妹『ねぇ、インディアンってまだいんの?いたら会いたいんだけど。ウホホホー、ってやってんのかなぁ。』
僕『いたとしても、もうそんなことやってないと思うけど。』
妹『えぇ!?もうやってないのかなぁ。そんなんじゃ、いいや。』
『ちょっとあんたたち、マルクスエンゲルスって知ってた?知らなかったでしょう。』
『黄色人種ってしょぼいよね。だって黄色いんだよ!?黄色だよ。』
『キャサリンって名前いいよね。キャサリーン♪…あと、エリザベスとか。あっ、サリー!ねぇねぇ、他にどんな名前ある?有名な女性の名前。』
『トムとボムはとにかくダサいと思う。あ、ミシェルとかもいいかも。』
などなど。
以上、社会のお勉強中の妹のつぶやき。
いちいち教科書に向かってコメント入れないと、
勉強が進まない奴なのだ。
今日も妹は絶好調。
どうでもいいけど、おまえ、
そんなしゃべってて勉強できんの?
『バカな奴』って身近に一人は必要だ、ということを実感する。
そんなわけで、妹語録。
『ねぇ、王政復古って、あれをさぁ、えーと、あれすること?』
妹『ねぇ、インディアンってまだいんの?いたら会いたいんだけど。ウホホホー、ってやってんのかなぁ。』
僕『いたとしても、もうそんなことやってないと思うけど。』
妹『えぇ!?もうやってないのかなぁ。そんなんじゃ、いいや。』
『ちょっとあんたたち、マルクスエンゲルスって知ってた?知らなかったでしょう。』
『黄色人種ってしょぼいよね。だって黄色いんだよ!?黄色だよ。』
『キャサリンって名前いいよね。キャサリーン♪…あと、エリザベスとか。あっ、サリー!ねぇねぇ、他にどんな名前ある?有名な女性の名前。』
『トムとボムはとにかくダサいと思う。あ、ミシェルとかもいいかも。』
などなど。
以上、社会のお勉強中の妹のつぶやき。
いちいち教科書に向かってコメント入れないと、
勉強が進まない奴なのだ。
今日も妹は絶好調。
どうでもいいけど、おまえ、
そんなしゃべってて勉強できんの?
『バカな奴』って身近に一人は必要だ、ということを実感する。
あれ・・・
2001年10月6日ちょっと意外だった。
意外なほど、
動揺してしまった。
これからしなくてはならないことを考えただけで、
心臓がばくばくなりだし、
胸が締め付けられるように痛み出す。
つまりは、異常なほど緊張していた。
別に、なんでもないことなのに。
『緊張を覚える』とか、そういう種類のことではけしてない。
ちょっと前までなら、
何も感じず、っていうかちょっとした喜びとともに
やれていたこと。
今の自分とかつての自分との変化を実感する。
何で、こんなになってしまったんだろう。
自分でも、今の状態がどういうことなのか、よくわからない。
自分は、これまで、
いやなこととか悩み事とかあっても、
わりと、ずぶとく、
『ははは、参ったなぁ・・・。』くらいで済ませられる人間だった。
もっというと、
いっちょまえに、悩んだりしてしまった自分を、
友達との会話の中で、自ら笑いのネタにする、
それくらい、平気でできる人間だった。
過ぎたことには、最低限こだわらない。
そのことを信条として生きてきたつもりだった。
だから、今回の、今までにない情けなさには、
少々戸惑いを覚える。
別に、何かを強く悩んでいると言うわけではない。
普段どおり生活している。
ただし、ある特定の状況下において、今までどおりの行動ができない。
今日も、目的を達した後、すぐに逃げてきてしまった。
そんな自分が情けない。
………わからない。
意外なほど、
動揺してしまった。
これからしなくてはならないことを考えただけで、
心臓がばくばくなりだし、
胸が締め付けられるように痛み出す。
つまりは、異常なほど緊張していた。
別に、なんでもないことなのに。
『緊張を覚える』とか、そういう種類のことではけしてない。
ちょっと前までなら、
何も感じず、っていうかちょっとした喜びとともに
やれていたこと。
今の自分とかつての自分との変化を実感する。
何で、こんなになってしまったんだろう。
自分でも、今の状態がどういうことなのか、よくわからない。
自分は、これまで、
いやなこととか悩み事とかあっても、
わりと、ずぶとく、
『ははは、参ったなぁ・・・。』くらいで済ませられる人間だった。
もっというと、
いっちょまえに、悩んだりしてしまった自分を、
友達との会話の中で、自ら笑いのネタにする、
それくらい、平気でできる人間だった。
過ぎたことには、最低限こだわらない。
そのことを信条として生きてきたつもりだった。
だから、今回の、今までにない情けなさには、
少々戸惑いを覚える。
別に、何かを強く悩んでいると言うわけではない。
普段どおり生活している。
ただし、ある特定の状況下において、今までどおりの行動ができない。
今日も、目的を達した後、すぐに逃げてきてしまった。
そんな自分が情けない。
………わからない。
今日の日記
2001年10月5日金曜日は選択の関係で、
1、2時間目の授業がない。
だから、朝はそうとうのんびりできる。
8時とかに起きても平気だし、
朝ご飯もそれなりに時間かけて作れるし、
新聞もくまなく読んでられるし、
NHKの「ほんまもん」だって見てられる。
毎度の事ながら、朝の連続ドラマは、
脇役陣があきれるくらい豪華だ。
お金あるんだろう。
ヒロインが少しくらい下手でも、安心してみていられるところがいい。
NHKだから、たまに寒くなるのは仕方ないけど。
今回は、主役が池脇千鶴だし。
本当は毎日見たいけど、
衛星とかないんで、時間的に無理です。
・・・ちっ。
1、2時間目の授業がない。
だから、朝はそうとうのんびりできる。
8時とかに起きても平気だし、
朝ご飯もそれなりに時間かけて作れるし、
新聞もくまなく読んでられるし、
NHKの「ほんまもん」だって見てられる。
毎度の事ながら、朝の連続ドラマは、
脇役陣があきれるくらい豪華だ。
お金あるんだろう。
ヒロインが少しくらい下手でも、安心してみていられるところがいい。
NHKだから、たまに寒くなるのは仕方ないけど。
今回は、主役が池脇千鶴だし。
本当は毎日見たいけど、
衛星とかないんで、時間的に無理です。
・・・ちっ。
あぁ、だめ人間
2001年10月4日今日は、学校にセンター試験の願書を提出する日。
クラスの中も、なんだかよくわからないけど、楽しい雰囲気に満ち満ちていた。
願書は正式な書類なんで、『間違えは許されない』みたいな、
そんな状況に緊張したのか、
何度書いても失敗していたF君。
結局3枚を消費したようです。
集中力のない子です。
(彼は願書だけでなく、振込用紙も4枚駄目にしていました。)
頑張って書き上げた願書の、致命的な間違いを指摘されて、
顔を青くしているF君(上の人とは別人)。
見てるのが辛かったです。
書き間違えどころか、願書持ってくるのも、さらには、お金振り込むのも忘れていたI君。
願書に振込用紙をそえて、今日中に提出しなくてはならないのに。
『あぁ〜、やべぇ。どうしよう。今日家にお袋いたかなぁ。』
などと、一人で狼狽しているさまがこっけいでした。
そこまでいくと救いようが無いんで、ほっときましたが・・・。
とかって、
僕もそんなI君を笑える立場ではない。
僕も、おととい友達に、受験費用を振り込まなくてはならないことを、
教えてもらえてなかったら、
まず間違いなく今日まで覚えていなかっただろう。
や、冗談でなく。
ほんとに頭から抜けてたし。
もともとめんどくさがりな上に、
最近やたらとボーっとしてるので、
そんな大事な情報も忘れてしまいがち。
それはセンター願書に限った話でなく、
例えば、模試にしたって気付いたら受付締切を過ぎていたり、
第2志望にしようかなっていう大学の説明会が、とっくに終わっていたり・・・。
今年になってから、そんなことばかりだ。
大事な大学受験を前にして、こんなんでいいのだろうか、おれ。
わりと、冷や汗な毎日である。
いままで、たいがいのことを、
クラスの友達に教えられて、なんとか間に合わせてきてる気がする。
今回もそうだったし。
郵便局にお金振込みにいくのだって、
一緒に連れてってくれたし。
なんかもう、クラスの友達さまさまって感じ。
なんといっても、志望校が同じ子が、クラスにいるのがありがたい。
受験の形式から、入試問題の形式まで、
ほとんど全てのことを、彼に教わっている。
『えっ、おまえそんなことも知らないの!?』と
結構本気で驚きながらも、親切に教えてくれる。
彼に限らず、今年のクラスの人たちは、なんかやたらといい人だ。
そんなわけで、ぼくは
『よぉし、これからもこいつの後についていこう。』
そう決意を新たにしたのであった。
えー、ぜんぜん関係ないけど、
例の現金強奪事件がおきたの、うちの地元です。
犯人は片言の日本語をしゃべる人らしいですが、
つかまったんでしょうか。
それともまだあたりを逃げ回ってるんでしょうか。
えー・・・、
地元です。
いのすけでした。
クラスの中も、なんだかよくわからないけど、楽しい雰囲気に満ち満ちていた。
願書は正式な書類なんで、『間違えは許されない』みたいな、
そんな状況に緊張したのか、
何度書いても失敗していたF君。
結局3枚を消費したようです。
集中力のない子です。
(彼は願書だけでなく、振込用紙も4枚駄目にしていました。)
頑張って書き上げた願書の、致命的な間違いを指摘されて、
顔を青くしているF君(上の人とは別人)。
見てるのが辛かったです。
書き間違えどころか、願書持ってくるのも、さらには、お金振り込むのも忘れていたI君。
願書に振込用紙をそえて、今日中に提出しなくてはならないのに。
『あぁ〜、やべぇ。どうしよう。今日家にお袋いたかなぁ。』
などと、一人で狼狽しているさまがこっけいでした。
そこまでいくと救いようが無いんで、ほっときましたが・・・。
とかって、
僕もそんなI君を笑える立場ではない。
僕も、おととい友達に、受験費用を振り込まなくてはならないことを、
教えてもらえてなかったら、
まず間違いなく今日まで覚えていなかっただろう。
や、冗談でなく。
ほんとに頭から抜けてたし。
もともとめんどくさがりな上に、
最近やたらとボーっとしてるので、
そんな大事な情報も忘れてしまいがち。
それはセンター願書に限った話でなく、
例えば、模試にしたって気付いたら受付締切を過ぎていたり、
第2志望にしようかなっていう大学の説明会が、とっくに終わっていたり・・・。
今年になってから、そんなことばかりだ。
大事な大学受験を前にして、こんなんでいいのだろうか、おれ。
わりと、冷や汗な毎日である。
いままで、たいがいのことを、
クラスの友達に教えられて、なんとか間に合わせてきてる気がする。
今回もそうだったし。
郵便局にお金振込みにいくのだって、
一緒に連れてってくれたし。
なんかもう、クラスの友達さまさまって感じ。
なんといっても、志望校が同じ子が、クラスにいるのがありがたい。
受験の形式から、入試問題の形式まで、
ほとんど全てのことを、彼に教わっている。
『えっ、おまえそんなことも知らないの!?』と
結構本気で驚きながらも、親切に教えてくれる。
彼に限らず、今年のクラスの人たちは、なんかやたらといい人だ。
そんなわけで、ぼくは
『よぉし、これからもこいつの後についていこう。』
そう決意を新たにしたのであった。
えー、ぜんぜん関係ないけど、
例の現金強奪事件がおきたの、うちの地元です。
犯人は片言の日本語をしゃべる人らしいですが、
つかまったんでしょうか。
それともまだあたりを逃げ回ってるんでしょうか。
えー・・・、
地元です。
いのすけでした。
愛のチャイム
2001年10月3日今日は地元の図書館でお勉強。
火曜日と水曜日は7時まで開館してくれるのです。
一度家に帰ってから、チャリで図書館に向かう道の途中、
僕の通っていた小学校の前を通り過ぎた。
なつかしい。
中学校に上がった頃は、よく遊びに行ったけど、
最近はもう何年も行っていない。
だって中学校にすら2年くらい行ってないもん。
ふふふ。
我ながら、人情の薄い人間だ。
・・・かったるい思い出は、わりと簡単に捨てていく主義なのです。
まぁ、そんなことはどうでもいいとして、
小学生たちが校庭で遊んでいる時間帯に、
その前を通り過ぎるのは、ほんとに久しぶりだ。
まったくがきんちょどもの元気のいいこと。
むかし、よく遊んでもらった用務のおにいさんとかが、見えたりして・・・。
と、そんな時、唐突に、
「七つの子」のメロディが、大音量にのって聞こえてきた。
しかも、まさに「割れ鐘をたたくような」みたいな、そんな音で。
うわっ。
最初はめんくらったけど、
そう、よく考えたら、今は4時半。
10月なので、よい子は帰る時間なのです。
それを知らせるチャイムなのでした。
けど、このメロディ、僕の頃と違う・・・。
僕が小学生だった頃、毎日聞いていたチャイムは、
「七つの子」なんかじゃなくて、
(や、べつに『なんか』って事も無いんだけど)、
もっと、ほんとに、曲になっていないような、正しい「チャイム」であった。
♪
ちゃーん ちゃーん ちゃーんちゃ ちゃーんちゃーん・・・
みたいな。
って、なんじゃらほい、って感じですが。
そんなわけで、「七つの子」じゃなかったんだよぉ。
その名も、『愛のチャイム』・・・。
そう、なぜか、このチャイム、『愛のチャイム』と呼ばれていた。
学校でもそう教わったし。
『愛のチャイムがなったら、おうちに帰りましょうね』
『はーい』
・・・みたいに。
だから、僕たち○○市民の子供達にとって、
夕方になったら鳴るチャイム=愛のチャイム
だったわけです。
そして、当然のことながら、
他の市でも、っていうか、日本全国どこでも、それは成り立つのだろう、
いや、成り立つに違いない。
そう思い込んでました。
高校入るまでは・・・。
いや、もっと正確に言うと、
今年(高3)の夏までは・・・。
私の記憶が正しければ、あれは、トレッキング部のメンバーで、
トレーニングをした後のことでした。
いつもどおり、私たちは、多摩川べりの土手に座り、
頬に当たる心地よいそよ風に身を任せながら、
『君がいた夏』と『君がいる夏』では、どちらのフレーズがより胸にくるか、と言う議題について、
活発な議論を交わしていました。
1年前にはやった『打ち上げ花火』などというえらく切ない歌を歌いだす者もいれば、
(♪きぃみぃがいたなぁつぅは〜)
ふと思いついた『あの頃はフリードリヒがいた』というフレーズを、
意味もなく、口に出してみる者などもいて、
いつになく気合の入った議論が展開されていました。
そんな時です。
耳慣れないメロディーのチャイムが聞こえてきたのは。
どうやら、この近辺では、これが『愛のチャイム』であるらしい。
私はそう思いました。
『あぁ、もうそんな時間かぁ。』
『そろそろ帰る?』
『そうだねぇ、愛のチャイムもなったことだし・・・。』
『えっ!?』
『愛のチャイム!?』
・・・。
ま、そんな話です。
「『愛のチャイム』=全国共通語」説は、もろくも崩れ去りました。
どうも、世の中には、『愛のチャイム』なんていわない、という市があるようです。
っていうか、
『そんなの聞いたこと無い』っていわれました。
ん?
もしかして、『愛のチャイム』いうの、私の地元だけなんじゃ?
そんな・・・。
ま、そんなはずは、無いです。
聞いてみたのは、そこにいた、ほんの数人。
そいつらが、全員、『地元ではそんな風に言わない』などと言ったとしても、
『そんな言葉を聞いたことすらない』といったとしても、
使ってるのが、うちの市だけなんて事は無いはずです。
だから、どこかにきっと・・・。
そんな夏の思い出です。
えー、長くなりましたが、
ふと、そんなことが思い出された夕暮れ時でした。
『七つの子』かぁ。
変わっちゃったのかぁ。
『愛のチャイム』だったのにさぁ。
様々な思いを抱えつつ、僕はゆっくりと、
なつかしの小学校の前を通り過ぎていったのでした。
まったく、こんなどうでもいい日記を書くのに、
どうしてこんな長くなるのでしょう。
なにやってんだか・・・。
そんなぼく。
火曜日と水曜日は7時まで開館してくれるのです。
一度家に帰ってから、チャリで図書館に向かう道の途中、
僕の通っていた小学校の前を通り過ぎた。
なつかしい。
中学校に上がった頃は、よく遊びに行ったけど、
最近はもう何年も行っていない。
だって中学校にすら2年くらい行ってないもん。
ふふふ。
我ながら、人情の薄い人間だ。
・・・かったるい思い出は、わりと簡単に捨てていく主義なのです。
まぁ、そんなことはどうでもいいとして、
小学生たちが校庭で遊んでいる時間帯に、
その前を通り過ぎるのは、ほんとに久しぶりだ。
まったくがきんちょどもの元気のいいこと。
むかし、よく遊んでもらった用務のおにいさんとかが、見えたりして・・・。
と、そんな時、唐突に、
「七つの子」のメロディが、大音量にのって聞こえてきた。
しかも、まさに「割れ鐘をたたくような」みたいな、そんな音で。
うわっ。
最初はめんくらったけど、
そう、よく考えたら、今は4時半。
10月なので、よい子は帰る時間なのです。
それを知らせるチャイムなのでした。
けど、このメロディ、僕の頃と違う・・・。
僕が小学生だった頃、毎日聞いていたチャイムは、
「七つの子」なんかじゃなくて、
(や、べつに『なんか』って事も無いんだけど)、
もっと、ほんとに、曲になっていないような、正しい「チャイム」であった。
♪
ちゃーん ちゃーん ちゃーんちゃ ちゃーんちゃーん・・・
みたいな。
って、なんじゃらほい、って感じですが。
そんなわけで、「七つの子」じゃなかったんだよぉ。
その名も、『愛のチャイム』・・・。
そう、なぜか、このチャイム、『愛のチャイム』と呼ばれていた。
学校でもそう教わったし。
『愛のチャイムがなったら、おうちに帰りましょうね』
『はーい』
・・・みたいに。
だから、僕たち○○市民の子供達にとって、
夕方になったら鳴るチャイム=愛のチャイム
だったわけです。
そして、当然のことながら、
他の市でも、っていうか、日本全国どこでも、それは成り立つのだろう、
いや、成り立つに違いない。
そう思い込んでました。
高校入るまでは・・・。
いや、もっと正確に言うと、
今年(高3)の夏までは・・・。
私の記憶が正しければ、あれは、トレッキング部のメンバーで、
トレーニングをした後のことでした。
いつもどおり、私たちは、多摩川べりの土手に座り、
頬に当たる心地よいそよ風に身を任せながら、
『君がいた夏』と『君がいる夏』では、どちらのフレーズがより胸にくるか、と言う議題について、
活発な議論を交わしていました。
1年前にはやった『打ち上げ花火』などというえらく切ない歌を歌いだす者もいれば、
(♪きぃみぃがいたなぁつぅは〜)
ふと思いついた『あの頃はフリードリヒがいた』というフレーズを、
意味もなく、口に出してみる者などもいて、
いつになく気合の入った議論が展開されていました。
そんな時です。
耳慣れないメロディーのチャイムが聞こえてきたのは。
どうやら、この近辺では、これが『愛のチャイム』であるらしい。
私はそう思いました。
『あぁ、もうそんな時間かぁ。』
『そろそろ帰る?』
『そうだねぇ、愛のチャイムもなったことだし・・・。』
『えっ!?』
『愛のチャイム!?』
・・・。
ま、そんな話です。
「『愛のチャイム』=全国共通語」説は、もろくも崩れ去りました。
どうも、世の中には、『愛のチャイム』なんていわない、という市があるようです。
っていうか、
『そんなの聞いたこと無い』っていわれました。
ん?
もしかして、『愛のチャイム』いうの、私の地元だけなんじゃ?
そんな・・・。
ま、そんなはずは、無いです。
聞いてみたのは、そこにいた、ほんの数人。
そいつらが、全員、『地元ではそんな風に言わない』などと言ったとしても、
『そんな言葉を聞いたことすらない』といったとしても、
使ってるのが、うちの市だけなんて事は無いはずです。
だから、どこかにきっと・・・。
そんな夏の思い出です。
えー、長くなりましたが、
ふと、そんなことが思い出された夕暮れ時でした。
『七つの子』かぁ。
変わっちゃったのかぁ。
『愛のチャイム』だったのにさぁ。
様々な思いを抱えつつ、僕はゆっくりと、
なつかしの小学校の前を通り過ぎていったのでした。
まったく、こんなどうでもいい日記を書くのに、
どうしてこんな長くなるのでしょう。
なにやってんだか・・・。
そんなぼく。
今日の日記
2001年10月2日今日は久しぶりのいい天気。
気温も高くて、気持ちのいい一日でした。
調子に乗ってTシャツ一枚でチャリ乗っちゃったりして。
そんなことしてるから、
ちょっと気温が下がるとすぐ風邪ひいたりするんだろう。
あ、ほら、やっぱり、ちょっと鼻がむずむず…。
はい、そんなわけで、ネタがないです。
あぁ、つまらない。
気温も高くて、気持ちのいい一日でした。
調子に乗ってTシャツ一枚でチャリ乗っちゃったりして。
そんなことしてるから、
ちょっと気温が下がるとすぐ風邪ひいたりするんだろう。
あ、ほら、やっぱり、ちょっと鼻がむずむず…。
はい、そんなわけで、ネタがないです。
あぁ、つまらない。
友人からの電話
2001年9月30日先日、
小学校時代の友達のTから電話があった。
簡単な用が済んで、
T『じゃぁ、勉強頑張れよ。』
僕『おう、おまえもな。』
T『いや、俺は勉強しねぇ。』
ときた。
まぁ、やつのことだ。
「勉強頑張れよ。」と話を振ってきた時点でなんとなく、
「あ、こいつ大学受けないんだな」っていう気はしてた。
なにしろ、そんなやつなのだ。
昔から、ちょっと変わったところのあるやつだった。
僕『おまえ、大学いかねぇのか?』
T『あぁ、東南アジア行くわ。』
僕『東南アジア!?』
T『うん、東南アジア。』
僕『わはは、東南アジアかぁ。…放浪しちゃうの?』
T『うん、放浪しちゃう。』
僕『あはは・・・、そっかぁ。なんでまた?』
T『え〜、わかんない。』
僕『は?おまえが決めたんだろ?』
T『うん、自分で決めた』
僕『行って、どうするんだ?』
T『え〜、決めてない。』
僕『あはは、おまえなぁ…。そうかぁ。東南アジアかぁ。』
T『あぁ。』
その後、いろいろ話し、
『頑張れよ』といって、受話器を置いた。
Tか…。
話をするのは、ずいぶん久しぶりだが、
小学生の頃は、わりと仲のいい友人だった。
がさつで、細かいことは気にしない。
バカなようでも、自分なりに誠実に周囲を捉えている。
そんなやつだった。
自分とは、違うタイプの人間だったと思うのだが、
なぜか不思議に馬が合って、
色んな事をいっしょにやった。
ちょっといえないような馬鹿なことも。
あるとき、ふざけて僕をバットで殴りつけたTが
親と一緒に我が家に謝りに来たのをきっかけに、
親同士でも少々、親交があった。
そう、
今考えると、当時一番仲のよかった友人の一人が、奴であった。
中学校に入って、奴が野球にのめり込んでからは、
昔ほどは一緒に遊ぶことも少なくなり、
高校に入ってからは、ほとんど連絡をとってない。
そんな奴からの突然の電話であった。
気付いたら、
『バカだ、バカだ』と思ってたTも、そろそろ人生を真面目に考える年になり、
そして、出した結論が『東南アジア』だという。
なんだかよくわからない、不思議な気分になった。
おそらくは、嬉しかったんだと思う。
少なくとも、
『あえなくなる寂しさ』とか、
『自分にできない決断をした嫉妬』とかは
なかったような気がする。
会えないのなんて高校入ってからずっとそうだし、
自分にとっての大学受験も、安易に決めた面もあるとはいえ、
それなりの覚悟を持って臨んでいるつもりだ。
いまさら、別の決断をすればよかった、なんて
よわっちいことを言うつもりはない。
中学校で奴が野球部に入ったときや、
違う高校に進んだときよりも、さらに、
僕と奴とは、歩く道が別れてしまったな、
という思いはある。
でも、そんなの、あたりまえの話だ。
中学校を卒業するときに、わかっていたことだ。
だから、僕はきっと、うれしかったんだろう。
Tが、奴なりに考えて、
『自分を見つめ直す』なんて、似合わない理屈までこねだして、
自分のやりたいことを導き出した。
『放浪する』というが、
すむところはどうするのか、
お金はどうするのか、
危険はないのか、
など、問題点はたくさんあるだろう。
奴のことだ、行ってみれば何とかなる、と思ってるに違いない。
そういう状況に対応できるだけの力を身につけよう、と考えてるのかもしれない。
あのTが。
奴がそんなことを一生懸命考えているところを想像するだけで、
なんとなく笑えてくる。
そして、そんなことが、やけにうれしい。
最近、自分の周りのことで精一杯だが、
かつての友人たちも、
知らないところで確実に成長し、
それぞれの人生と向き合ってる。
少々、大袈裟だが、なんとなくそんなことを実感した。
自分も頑張らねば。
そうそう、奴は中学校時代、
ある日、髪型を坊主にしてきた。
あまりに突然の変化にみんな驚き、以降「修行僧」などと奴を呼んだものだ。
それでも一向に動じてなさそうな、彼の表情をふと思い出した。
突然の「坊主」。
今の僕と同じ髪型。
確かに、そんな彼には、東南アジアが似合う気がした。
…今度、Tに会うのはいつになるのだろう。
小学校時代の友達のTから電話があった。
簡単な用が済んで、
T『じゃぁ、勉強頑張れよ。』
僕『おう、おまえもな。』
T『いや、俺は勉強しねぇ。』
ときた。
まぁ、やつのことだ。
「勉強頑張れよ。」と話を振ってきた時点でなんとなく、
「あ、こいつ大学受けないんだな」っていう気はしてた。
なにしろ、そんなやつなのだ。
昔から、ちょっと変わったところのあるやつだった。
僕『おまえ、大学いかねぇのか?』
T『あぁ、東南アジア行くわ。』
僕『東南アジア!?』
T『うん、東南アジア。』
僕『わはは、東南アジアかぁ。…放浪しちゃうの?』
T『うん、放浪しちゃう。』
僕『あはは・・・、そっかぁ。なんでまた?』
T『え〜、わかんない。』
僕『は?おまえが決めたんだろ?』
T『うん、自分で決めた』
僕『行って、どうするんだ?』
T『え〜、決めてない。』
僕『あはは、おまえなぁ…。そうかぁ。東南アジアかぁ。』
T『あぁ。』
その後、いろいろ話し、
『頑張れよ』といって、受話器を置いた。
Tか…。
話をするのは、ずいぶん久しぶりだが、
小学生の頃は、わりと仲のいい友人だった。
がさつで、細かいことは気にしない。
バカなようでも、自分なりに誠実に周囲を捉えている。
そんなやつだった。
自分とは、違うタイプの人間だったと思うのだが、
なぜか不思議に馬が合って、
色んな事をいっしょにやった。
ちょっといえないような馬鹿なことも。
あるとき、ふざけて僕をバットで殴りつけたTが
親と一緒に我が家に謝りに来たのをきっかけに、
親同士でも少々、親交があった。
そう、
今考えると、当時一番仲のよかった友人の一人が、奴であった。
中学校に入って、奴が野球にのめり込んでからは、
昔ほどは一緒に遊ぶことも少なくなり、
高校に入ってからは、ほとんど連絡をとってない。
そんな奴からの突然の電話であった。
気付いたら、
『バカだ、バカだ』と思ってたTも、そろそろ人生を真面目に考える年になり、
そして、出した結論が『東南アジア』だという。
なんだかよくわからない、不思議な気分になった。
おそらくは、嬉しかったんだと思う。
少なくとも、
『あえなくなる寂しさ』とか、
『自分にできない決断をした嫉妬』とかは
なかったような気がする。
会えないのなんて高校入ってからずっとそうだし、
自分にとっての大学受験も、安易に決めた面もあるとはいえ、
それなりの覚悟を持って臨んでいるつもりだ。
いまさら、別の決断をすればよかった、なんて
よわっちいことを言うつもりはない。
中学校で奴が野球部に入ったときや、
違う高校に進んだときよりも、さらに、
僕と奴とは、歩く道が別れてしまったな、
という思いはある。
でも、そんなの、あたりまえの話だ。
中学校を卒業するときに、わかっていたことだ。
だから、僕はきっと、うれしかったんだろう。
Tが、奴なりに考えて、
『自分を見つめ直す』なんて、似合わない理屈までこねだして、
自分のやりたいことを導き出した。
『放浪する』というが、
すむところはどうするのか、
お金はどうするのか、
危険はないのか、
など、問題点はたくさんあるだろう。
奴のことだ、行ってみれば何とかなる、と思ってるに違いない。
そういう状況に対応できるだけの力を身につけよう、と考えてるのかもしれない。
あのTが。
奴がそんなことを一生懸命考えているところを想像するだけで、
なんとなく笑えてくる。
そして、そんなことが、やけにうれしい。
最近、自分の周りのことで精一杯だが、
かつての友人たちも、
知らないところで確実に成長し、
それぞれの人生と向き合ってる。
少々、大袈裟だが、なんとなくそんなことを実感した。
自分も頑張らねば。
そうそう、奴は中学校時代、
ある日、髪型を坊主にしてきた。
あまりに突然の変化にみんな驚き、以降「修行僧」などと奴を呼んだものだ。
それでも一向に動じてなさそうな、彼の表情をふと思い出した。
突然の「坊主」。
今の僕と同じ髪型。
確かに、そんな彼には、東南アジアが似合う気がした。
…今度、Tに会うのはいつになるのだろう。
曙よ、永遠なれ。
2001年9月29日今日は、曙の断髪式だった。
テレビで見た。
番組では、断髪式の様子を中心に、
曙のこれまでの人生の軌跡なんかもまとめてあって楽しかった。
初土俵のときの、
少しおどおどして節目がちになっている目が印象的だった。
それでも、その奥には、
誰にも負けない闘志が宿ってそうな目。
取り組みの時には、
相手の全てを呑み込むように、ぐっとにらみつける目。
あの目を見るたびに、なんとなく胸が、うれしいような、切ないような、
不思議な気分になるのを感じた。
かつて僕が、大相撲に引き込まれるようになったのも、
曙の相撲を見てからだ。
単なる、古めかしい国技ではなく、
一人の人間として、自分の力とそれまでの努力だけを信じて、
裸でぶつかっていく、
熱い、誇りと誇りのぶつかり合いを感じた覚えがある。
以後、僕は、大相撲の世界にはまっていく。
色んな力士が好きになったが、
そんな中でも、最も大相撲の醍醐味を感じさせてくれたのが、
曙だった。
小さい頃から『気はやさしくて力持ち』だった曙。
その優しさから、周りに批判されることはあったけど、
相撲に対する姿勢の強さは、とても立派だ。
そして、度重なるケガに苦しみながらも、
復活優勝を遂げて、
日本中の相撲ファンを感動させてくれた曙。
そんな曙が、僕は大好きだった。
今日、改めてそう思った。
KONISHIKIが、武蔵丸が、貴乃花が、
次々と曙の髷に、鋏を入れていく。
そして、東関親方が最後の鋏を入れたとき、
恥ずかしいが、泣いてしまった。
そのとき、家に誰もいなかったこともあって、
ぼろぼろと涙が出てきて、止まらなかった。
曙の最後の姿に、なんかもう、ひたすら感動した。
曙が、相撲をとっている時代に、
自分が生きていられて、
そして、彼の相撲を見られる機会があったことを、
うれしく思う。
ほんとに、彼が大好きだった。
僕は、
強かった曙を、
そして彼のあの優しく鋭い目の光を、
絶対忘れない。
そう思った。
テレビで見た。
番組では、断髪式の様子を中心に、
曙のこれまでの人生の軌跡なんかもまとめてあって楽しかった。
初土俵のときの、
少しおどおどして節目がちになっている目が印象的だった。
それでも、その奥には、
誰にも負けない闘志が宿ってそうな目。
取り組みの時には、
相手の全てを呑み込むように、ぐっとにらみつける目。
あの目を見るたびに、なんとなく胸が、うれしいような、切ないような、
不思議な気分になるのを感じた。
かつて僕が、大相撲に引き込まれるようになったのも、
曙の相撲を見てからだ。
単なる、古めかしい国技ではなく、
一人の人間として、自分の力とそれまでの努力だけを信じて、
裸でぶつかっていく、
熱い、誇りと誇りのぶつかり合いを感じた覚えがある。
以後、僕は、大相撲の世界にはまっていく。
色んな力士が好きになったが、
そんな中でも、最も大相撲の醍醐味を感じさせてくれたのが、
曙だった。
小さい頃から『気はやさしくて力持ち』だった曙。
その優しさから、周りに批判されることはあったけど、
相撲に対する姿勢の強さは、とても立派だ。
そして、度重なるケガに苦しみながらも、
復活優勝を遂げて、
日本中の相撲ファンを感動させてくれた曙。
そんな曙が、僕は大好きだった。
今日、改めてそう思った。
KONISHIKIが、武蔵丸が、貴乃花が、
次々と曙の髷に、鋏を入れていく。
そして、東関親方が最後の鋏を入れたとき、
恥ずかしいが、泣いてしまった。
そのとき、家に誰もいなかったこともあって、
ぼろぼろと涙が出てきて、止まらなかった。
曙の最後の姿に、なんかもう、ひたすら感動した。
曙が、相撲をとっている時代に、
自分が生きていられて、
そして、彼の相撲を見られる機会があったことを、
うれしく思う。
ほんとに、彼が大好きだった。
僕は、
強かった曙を、
そして彼のあの優しく鋭い目の光を、
絶対忘れない。
そう思った。
アフガニスタンは山がちの国らしいです。
2001年9月28日最近、ちょっとだけ気分が鬱。
まぁ、やる気だせば、
それなりにテンション維持することは出来るんで、
そんなにひどくもないんだけど、
ただやっぱり、何かがいつもと違う。
なにやっても、いまいち乗り切れない。
色んな人と、色んなことが、うまくいかない。
人と一緒にいても、すぐ凹んでくる。
周りがひいていくのがわかるし、
だから、一緒にいる人に悪くて、疲れる。
自分で自分を責めるタイプではないので
その分、バカな被害妄想が募る。
自分から、周囲の環境がどんどん遠ざかっているように、
自分の中で勝手に信じ込んでいる。
信じ込もうとしているだけなのかもしれないが。
ふと気付いたら、
自分の外面が触れる世界なんて、驚くほど小さく、
その世界を構成する要素は、実に頼りない。
それが、自分の側を離れるのなんてあっという間だ。
信じるのをやめればいいだけ。
だから、
その気になれば『孤独』なんて簡単に作り出せる。
その気になれば。
『そんなことにきづいてしまったのだよ、僕は。』みたいな気分になってる自分がおかしい。
高校に入ってからしばらく忘れていたため息が、
また頻繁に出るようになってしまった。
情けないが、
平常時に、自分の周りにそんな友達がいたら、間違いなく、
馬鹿にしているような状況に、
今、自分がいる。
そのうち治るだろうが。
だから、思った。
山に行きたい。
…なんて。
まぁ、やる気だせば、
それなりにテンション維持することは出来るんで、
そんなにひどくもないんだけど、
ただやっぱり、何かがいつもと違う。
なにやっても、いまいち乗り切れない。
色んな人と、色んなことが、うまくいかない。
人と一緒にいても、すぐ凹んでくる。
周りがひいていくのがわかるし、
だから、一緒にいる人に悪くて、疲れる。
自分で自分を責めるタイプではないので
その分、バカな被害妄想が募る。
自分から、周囲の環境がどんどん遠ざかっているように、
自分の中で勝手に信じ込んでいる。
信じ込もうとしているだけなのかもしれないが。
ふと気付いたら、
自分の外面が触れる世界なんて、驚くほど小さく、
その世界を構成する要素は、実に頼りない。
それが、自分の側を離れるのなんてあっという間だ。
信じるのをやめればいいだけ。
だから、
その気になれば『孤独』なんて簡単に作り出せる。
その気になれば。
『そんなことにきづいてしまったのだよ、僕は。』みたいな気分になってる自分がおかしい。
高校に入ってからしばらく忘れていたため息が、
また頻繁に出るようになってしまった。
情けないが、
平常時に、自分の周りにそんな友達がいたら、間違いなく、
馬鹿にしているような状況に、
今、自分がいる。
そのうち治るだろうが。
だから、思った。
山に行きたい。
…なんて。
今日の日記
2001年9月27日今日は風邪も治りきっていないことだし、
おとなしく家でお勉強。
でも、なんとなく気分はいい。
なんでかって、
昨日は近鉄が優勝したし、
巨人が広島に敗れたし。
近鉄の優勝の決まり方にはひたすらビックリだ。
代打逆転満塁サヨナラホームランだなんて。
そんなことがあっていいのだろうか。
九回裏で、3点差で、けど満塁で、
ここで一発出れば優勝とかって誰もが考える場面で…。
まさかほんとにホームランが出るなんて。
そして、打った北川の屈託のない笑顔が素敵だ。
思わず、
『単純バカ』という単語が浮かんでこないでもなかったけど、
それは気のせい。
でも、そんな彼に、今年の近鉄のわかりやすい野球の真髄を見た。
首位ヤクルトに3連勝して、
まさか『ミラクルアゲイン』?などと、
ささやかれていた巨人も、
昨日、ついに負けた。
まぁ、今後のヤクルトにもよるけど、
これでかなりヤクルト優勝が近づいたのではないだろうか。
ほんとに広島はえらい。
きっと、トレッキング部の、カープファンの後輩も、
静かにかわいく手をたたいて喜んでいたことだろう。
山から帰る車の中で…。
そんな、今日のことには何一つ触れてない、
今日の日記。
おとなしく家でお勉強。
でも、なんとなく気分はいい。
なんでかって、
昨日は近鉄が優勝したし、
巨人が広島に敗れたし。
近鉄の優勝の決まり方にはひたすらビックリだ。
代打逆転満塁サヨナラホームランだなんて。
そんなことがあっていいのだろうか。
九回裏で、3点差で、けど満塁で、
ここで一発出れば優勝とかって誰もが考える場面で…。
まさかほんとにホームランが出るなんて。
そして、打った北川の屈託のない笑顔が素敵だ。
思わず、
『単純バカ』という単語が浮かんでこないでもなかったけど、
それは気のせい。
でも、そんな彼に、今年の近鉄のわかりやすい野球の真髄を見た。
首位ヤクルトに3連勝して、
まさか『ミラクルアゲイン』?などと、
ささやかれていた巨人も、
昨日、ついに負けた。
まぁ、今後のヤクルトにもよるけど、
これでかなりヤクルト優勝が近づいたのではないだろうか。
ほんとに広島はえらい。
きっと、トレッキング部の、カープファンの後輩も、
静かにかわいく手をたたいて喜んでいたことだろう。
山から帰る車の中で…。
そんな、今日のことには何一つ触れてない、
今日の日記。
ちっ、
2001年9月26日あー、ちくしょう。
また、風邪ひいちまったぜ。
これで夏休み以降、風邪をひいたのは何度目だろう。
すくなくとも10回くらいはひいてる気がする。
単に治ってないだけって話も・・・。
なんにしても、体調管理が下手すぎだ。
そろそろかぜっぴきにも慣れて来た感じ。
とほほ。
でも、今日は、特に寒いかっこうしてたってわけでもないのに・・・。
や、っていっても、
別にいつもが、半袖半ズボンですごしてるとかって、
そんなわけでもないんですが。
なんで、私は風邪ひいちゃったの?
なんて・・・。
…あ、
またくしゃみが…。
また、風邪ひいちまったぜ。
これで夏休み以降、風邪をひいたのは何度目だろう。
すくなくとも10回くらいはひいてる気がする。
単に治ってないだけって話も・・・。
なんにしても、体調管理が下手すぎだ。
そろそろかぜっぴきにも慣れて来た感じ。
とほほ。
でも、今日は、特に寒いかっこうしてたってわけでもないのに・・・。
や、っていっても、
別にいつもが、半袖半ズボンですごしてるとかって、
そんなわけでもないんですが。
なんで、私は風邪ひいちゃったの?
なんて・・・。
…あ、
またくしゃみが…。
いやなじぶん
2001年9月25日もうそろそろ、
自分の飽きっぽさにうんざり。
しかも飽きる対象が、
『大事にしているおもちゃ』とか
『お気に入りのお洋服』とか、そんなかわいらしいものじゃなく、
ちょっと人には言えないような、
そういうのに、『飽きる』って使っちゃいけないだろう、みたいな、
そんなものだから・・・。
最初、どんなに好きだったものでも、
いくら、興味を持続しようと思っても、
結局は一定の周期を過ぎると、なんとなくうざったくなってしまう。
何とかしようと思っても、
どうしようもない。
こんなんで、将来、
まっとうな生活を送っていけるんだろうか。
真面目な人間関係を築いていけるんだろうか。
飽きっぽさゆえに、どんどん自分を追い込んでいるここ最近、
ふと不安になる。
…なんて。
自分の飽きっぽさにうんざり。
しかも飽きる対象が、
『大事にしているおもちゃ』とか
『お気に入りのお洋服』とか、そんなかわいらしいものじゃなく、
ちょっと人には言えないような、
そういうのに、『飽きる』って使っちゃいけないだろう、みたいな、
そんなものだから・・・。
最初、どんなに好きだったものでも、
いくら、興味を持続しようと思っても、
結局は一定の周期を過ぎると、なんとなくうざったくなってしまう。
何とかしようと思っても、
どうしようもない。
こんなんで、将来、
まっとうな生活を送っていけるんだろうか。
真面目な人間関係を築いていけるんだろうか。
飽きっぽさゆえに、どんどん自分を追い込んでいるここ最近、
ふと不安になる。
…なんて。
無為な一日
2001年9月24日全身が痛い。
特に、背中。
昨日の体育祭の影響でしょうか。
僕も年をとったものです。
去年の体育祭の方が、応援しまくりで、
ずっとハードだったけど、
筋肉痛にすらならなかったのに・・・。
あぁ、情けない。
そんなわけで、11時半におきた後も、
勉強する気もおきず、
『今日は図書館休みだから、僕もお休み♪』とかって、勝手に決めて、
ニュースウィーク日本語版の今週号とか、
重松清のどうでもいい小説とか読んだりして、
1日過ごしてしまいました。
うつらうつらしながらだから、
読むのも、かなり時間がかかった。
しかも、勉強なんて夜やるからいいさ、と思ってたら、
4時くらいになって、出かける用事が出来るし。
まったく、なにやってんだろ。
特に、背中。
昨日の体育祭の影響でしょうか。
僕も年をとったものです。
去年の体育祭の方が、応援しまくりで、
ずっとハードだったけど、
筋肉痛にすらならなかったのに・・・。
あぁ、情けない。
そんなわけで、11時半におきた後も、
勉強する気もおきず、
『今日は図書館休みだから、僕もお休み♪』とかって、勝手に決めて、
ニュースウィーク日本語版の今週号とか、
重松清のどうでもいい小説とか読んだりして、
1日過ごしてしまいました。
うつらうつらしながらだから、
読むのも、かなり時間がかかった。
しかも、勉強なんて夜やるからいいさ、と思ってたら、
4時くらいになって、出かける用事が出来るし。
まったく、なにやってんだろ。
体育祭
2001年9月23日今日は体育祭。
応援団を引退した身である僕は、
1、2年の援団のサポートとして参加した。
応援団の男子(男子援)が応援のときに着る服は、学ランと決まっている。
でも、3年生が体育祭にサポートとして出る場合は、
毎年、学ランでなくて、自由にコスチュームを決めて、
出ることになっている。
そして、今年僕がきたのは、
女物のセーラー服。
そう、いわゆる、『女装』と言うやつだ。
もともとは、女子援の提案であった。
毎年、3年生のコスチュームに関しては、
わりと気合を入れて、華麗に決める女子援に対して、
男子援はめんどくさがって、適当に済ませようとする。
そんなところにつけこまれ、
『男子援は、もっと笑いとらなきゃダメだよ!!』
とかって、そんな理屈で、
気づいたら、流されていた、というわけだ。
そりゃ、ぼくだって、高校生だもの、
これまでに女装の1回や2回、普通に経験してはいる。
正確に言うと、2回だけど…。
ま、そんなことはどうでもいい。
でもでも、体育祭という、
全校生徒のみならず、保護者や中学生など外部からの見学者の目もある中で、
しかも、普通は『かっこいい』と言われるべき援団として、
それはちょっとまずいんじゃないだろうか、
そう思った。
けど、結局、当日になって、着てたのは、
やっぱりセーラー服だった。
全校生徒の反応は、まぁ、わりと人それぞれ。
男なのに、スカートめくりたくなるほど、喜んでくれた人もいれば、
『かわいかったですよ』と正しい社交辞令を発してくれた人もいれば、
服装と汚いすねとのギャップに思わず、目をそむけた人もいれば、
一目見るなり、『うわっ、きしょっ!!』などと思わず口走った人もいた。
しかも、『実はあいつ喜んでるんじゃ…』などという不名誉な憶測を流すやつまでいて。
まぁ、こんなものだろう。
僕自身はじきに慣れて、どうでも良くなってきたし。
けど、もう着ない。
そんなわけで、今日一日で、
一生忘れられない思い出を、また一つ作ることができた気がする。
そんな高校生活最後の応援であった。
体育祭自体は、いまいち盛り上がりに欠けた感がある。
今月2日に行なわれた、水泳大会の時もそうだったけど、
例年に比べて、とにかく生徒の参加人数が少ない。
まぁ、プログラムが進むにつれ、
徐々に増えていったとはいえ、
始まったばかりの頃には、もうほんとに
どのチームにも数えられるほどの参加者しかいなかった。
これは、行事のやり方自体に問題があるような気がする。
特に水泳大会、体育祭といった行事は、
参加することによって得られる楽しみ、というものが、
人によっては、ほとんど感じられなくなっているのではないだろうか。
それらの行事では、自分が参加する種目にかける時間は1日の中で2〜30分くらいで、
あとは、他人の応援か、競技の見学で時間をつぶすことになる。
応援で盛り上がれて、楽しめる人にとっては、
楽しい行事なのだろうが、
そういうことの出来ない人、やりたくない人も、
存在するわけで、
そういう人にとっては、その手の行事って
ほとんど楽しみの見出せないものなのであろう。
うちの高校は、定められた日数、出席すれば、
欠席について厳しく言われることも、他の高校ほど多くはない。
それに、行事については点呼を取るのは1日に1回だけなので、
それにさえ、出席していれば、
後はどこに行ったとしても、とがめられることはない。
そのような状況の中で、全校生徒が、
『つまらない行事はサボってしまえばいい』、
そのような認識に到達してしまった。
その結果が、今年の例年にないほど異常な
出席率の低さに繋がったのではないだろうか。
つまり、行事自体に全校生徒を引き付けるだけの魅力が
失われてきている、と感じる。
このままでいいのだろうか。
3年間最後の○高祭も、あとは閉会式をのこすのみとなった今、
それら行事の将来に、若干の不安を感じた。
応援団を引退した身である僕は、
1、2年の援団のサポートとして参加した。
応援団の男子(男子援)が応援のときに着る服は、学ランと決まっている。
でも、3年生が体育祭にサポートとして出る場合は、
毎年、学ランでなくて、自由にコスチュームを決めて、
出ることになっている。
そして、今年僕がきたのは、
女物のセーラー服。
そう、いわゆる、『女装』と言うやつだ。
もともとは、女子援の提案であった。
毎年、3年生のコスチュームに関しては、
わりと気合を入れて、華麗に決める女子援に対して、
男子援はめんどくさがって、適当に済ませようとする。
そんなところにつけこまれ、
『男子援は、もっと笑いとらなきゃダメだよ!!』
とかって、そんな理屈で、
気づいたら、流されていた、というわけだ。
そりゃ、ぼくだって、高校生だもの、
これまでに女装の1回や2回、普通に経験してはいる。
正確に言うと、2回だけど…。
ま、そんなことはどうでもいい。
でもでも、体育祭という、
全校生徒のみならず、保護者や中学生など外部からの見学者の目もある中で、
しかも、普通は『かっこいい』と言われるべき援団として、
それはちょっとまずいんじゃないだろうか、
そう思った。
けど、結局、当日になって、着てたのは、
やっぱりセーラー服だった。
全校生徒の反応は、まぁ、わりと人それぞれ。
男なのに、スカートめくりたくなるほど、喜んでくれた人もいれば、
『かわいかったですよ』と正しい社交辞令を発してくれた人もいれば、
服装と汚いすねとのギャップに思わず、目をそむけた人もいれば、
一目見るなり、『うわっ、きしょっ!!』などと思わず口走った人もいた。
しかも、『実はあいつ喜んでるんじゃ…』などという不名誉な憶測を流すやつまでいて。
まぁ、こんなものだろう。
僕自身はじきに慣れて、どうでも良くなってきたし。
けど、もう着ない。
そんなわけで、今日一日で、
一生忘れられない思い出を、また一つ作ることができた気がする。
そんな高校生活最後の応援であった。
体育祭自体は、いまいち盛り上がりに欠けた感がある。
今月2日に行なわれた、水泳大会の時もそうだったけど、
例年に比べて、とにかく生徒の参加人数が少ない。
まぁ、プログラムが進むにつれ、
徐々に増えていったとはいえ、
始まったばかりの頃には、もうほんとに
どのチームにも数えられるほどの参加者しかいなかった。
これは、行事のやり方自体に問題があるような気がする。
特に水泳大会、体育祭といった行事は、
参加することによって得られる楽しみ、というものが、
人によっては、ほとんど感じられなくなっているのではないだろうか。
それらの行事では、自分が参加する種目にかける時間は1日の中で2〜30分くらいで、
あとは、他人の応援か、競技の見学で時間をつぶすことになる。
応援で盛り上がれて、楽しめる人にとっては、
楽しい行事なのだろうが、
そういうことの出来ない人、やりたくない人も、
存在するわけで、
そういう人にとっては、その手の行事って
ほとんど楽しみの見出せないものなのであろう。
うちの高校は、定められた日数、出席すれば、
欠席について厳しく言われることも、他の高校ほど多くはない。
それに、行事については点呼を取るのは1日に1回だけなので、
それにさえ、出席していれば、
後はどこに行ったとしても、とがめられることはない。
そのような状況の中で、全校生徒が、
『つまらない行事はサボってしまえばいい』、
そのような認識に到達してしまった。
その結果が、今年の例年にないほど異常な
出席率の低さに繋がったのではないだろうか。
つまり、行事自体に全校生徒を引き付けるだけの魅力が
失われてきている、と感じる。
このままでいいのだろうか。
3年間最後の○高祭も、あとは閉会式をのこすのみとなった今、
それら行事の将来に、若干の不安を感じた。
最後の応援…。
2001年9月22日明日はうちの高校の体育祭。
って言っても、3年生はほとんど出番は無くて、
模試受けに行ったりする人もいるくらいなんだけど、
僕は引退したとはいえ応援団なんで、
現役の1、2年生のサポートとして、
ちょっとだけ技をきる。
援団には3年男子が僕を入れて2人しかいない。
その唯一の相方のHと、今日は応援の技の練習を少しだけやった。
二人とも体力はかなり衰えていて、
技に切れが無い。
そんな中での練習なんで、結構しょうもなかったんだけど、
明日はOBも来るので、それなりにちゃんと練習した。
こんなにきちんと練習するのは久しぶりだ。
技によっては、1年ぶりに切る、っていうのもあったりするし。
これまで、下級生の人数の少なさから、
引退した後も、ずるずると、
機会があるたびに2年生と一緒に技を切ってきた僕たちも、
この体育祭で最後の応援となるはずである。
しかも、さらに付け足すと、
今年、男子援には1年生が一人も入らなかった。
技の伝承が不可能になったのである。
来年入ってくる1年生に、今年の2年生(来年の3年生)が教えれば、
今後も援団続けていけるが、
男子援の人気がどんどん低下する中、
かなり不確定な要素があるし、
第一、それには今の2年生にかなりの負担がかかる。
今の2年生にそれほどの決意とやる気があるとは思えないので、
男子援もこれっきり絶えてしまう可能性が強いような気がする。
それについては2年生が決めることなので、
僕もHもなにも口出ししていない。
わが高校で、40〜50年もの歴史を誇る男子援。
寂しい気もするが、しょうがない。
そんなこんなで、なんとなく、
しんみりした雰囲気の漂う、
二人だけの練習であった。
2年間、一緒に技を切ってきたH。
奴とも、もうすぐ、最後だ。
援団の技は、基本的には代々同じものを切るのだけど、
その代によって、技のテンポやタイミング、ための長さなどが微妙に違う。
だから今、2年生と一緒に技を切っても、
いまいち合わなかったりもする。
けれど、同じ代のHとは、それら技の細かいところまで、
時間をかけて、ぴったり合うように練習してきた。
奴となら、どんなに久しぶりに技を切っても、
大きくずれることはない。
一緒に作り上げた技が体にしみついている。
なんていうと、大げさに聞こえるが、
最近、奴と技を切るたびに、そのことを実感として感じる。
今日、ふと、Hがつぶやいた。
『もうこんな時期か・・・。』
援団以外では、ほとんど一緒にいたことがない相手だけど、
一緒にいても、そんなに話の弾む相手ではなかったけれど、
たいてい冗談を言い合うくらいで、深刻な話なんてしたことないけど、
なんとなく、最近、
ちょっとだけ、奴と同じものを感じてる気がするのは、
僕だけだろうか・・・。
って言っても、3年生はほとんど出番は無くて、
模試受けに行ったりする人もいるくらいなんだけど、
僕は引退したとはいえ応援団なんで、
現役の1、2年生のサポートとして、
ちょっとだけ技をきる。
援団には3年男子が僕を入れて2人しかいない。
その唯一の相方のHと、今日は応援の技の練習を少しだけやった。
二人とも体力はかなり衰えていて、
技に切れが無い。
そんな中での練習なんで、結構しょうもなかったんだけど、
明日はOBも来るので、それなりにちゃんと練習した。
こんなにきちんと練習するのは久しぶりだ。
技によっては、1年ぶりに切る、っていうのもあったりするし。
これまで、下級生の人数の少なさから、
引退した後も、ずるずると、
機会があるたびに2年生と一緒に技を切ってきた僕たちも、
この体育祭で最後の応援となるはずである。
しかも、さらに付け足すと、
今年、男子援には1年生が一人も入らなかった。
技の伝承が不可能になったのである。
来年入ってくる1年生に、今年の2年生(来年の3年生)が教えれば、
今後も援団続けていけるが、
男子援の人気がどんどん低下する中、
かなり不確定な要素があるし、
第一、それには今の2年生にかなりの負担がかかる。
今の2年生にそれほどの決意とやる気があるとは思えないので、
男子援もこれっきり絶えてしまう可能性が強いような気がする。
それについては2年生が決めることなので、
僕もHもなにも口出ししていない。
わが高校で、40〜50年もの歴史を誇る男子援。
寂しい気もするが、しょうがない。
そんなこんなで、なんとなく、
しんみりした雰囲気の漂う、
二人だけの練習であった。
2年間、一緒に技を切ってきたH。
奴とも、もうすぐ、最後だ。
援団の技は、基本的には代々同じものを切るのだけど、
その代によって、技のテンポやタイミング、ための長さなどが微妙に違う。
だから今、2年生と一緒に技を切っても、
いまいち合わなかったりもする。
けれど、同じ代のHとは、それら技の細かいところまで、
時間をかけて、ぴったり合うように練習してきた。
奴となら、どんなに久しぶりに技を切っても、
大きくずれることはない。
一緒に作り上げた技が体にしみついている。
なんていうと、大げさに聞こえるが、
最近、奴と技を切るたびに、そのことを実感として感じる。
今日、ふと、Hがつぶやいた。
『もうこんな時期か・・・。』
援団以外では、ほとんど一緒にいたことがない相手だけど、
一緒にいても、そんなに話の弾む相手ではなかったけれど、
たいてい冗談を言い合うくらいで、深刻な話なんてしたことないけど、
なんとなく、最近、
ちょっとだけ、奴と同じものを感じてる気がするのは、
僕だけだろうか・・・。
平和
2001年9月21日昨日、修学旅行から妹が帰って来た。
2泊3日の京都・広島への旅。
僕らにとっては、
妹のいない貴重な貴重な3日間。
思えば、静かで平和な日々であった。
家の中から、一切の罵詈雑言が消えることの感動。
わずかに与えられた幸せを、家族一同ひしひしと感じた。
しかし、そんな生活も昨日で終わり。
また、元の生活に戻らなくてはならない。
妹が帰って来たとたん、さっそく放たれた奴の先制パンチに
凹んでいる暇なんて、僕らには無い。
不機嫌と上機嫌の間を
ジェットコースターのように駆け抜けていく妹のテンションに、
必死でついていかなくてはならないのだ。
たった3日間の幸せに、慣れてしまった精神状態を
早くいつもの状態に戻さなくては。
2泊3日の京都・広島への旅。
僕らにとっては、
妹のいない貴重な貴重な3日間。
思えば、静かで平和な日々であった。
家の中から、一切の罵詈雑言が消えることの感動。
わずかに与えられた幸せを、家族一同ひしひしと感じた。
しかし、そんな生活も昨日で終わり。
また、元の生活に戻らなくてはならない。
妹が帰って来たとたん、さっそく放たれた奴の先制パンチに
凹んでいる暇なんて、僕らには無い。
不機嫌と上機嫌の間を
ジェットコースターのように駆け抜けていく妹のテンションに、
必死でついていかなくてはならないのだ。
たった3日間の幸せに、慣れてしまった精神状態を
早くいつもの状態に戻さなくては。
痛い・・・。
2001年9月20日朝、
チャリで学校に行くとき、
坂を猛スピードで下ったところで、
正面の家の壁に突出していた、
水道かなんかのメーターに激突。
左手と、腿の付け根と、右のすねのあたりを
かなりの勢いで痛打しました。
いつもはどんなにスピードを出していても、
普通にクリアできるのに、
今日は眠気のあまり、集中力が鈍っていたようです。
道のはかなりの車の往来があり、
そんなところを見られたのが、かなり情けない。
手とかは、まだ痛いです。
グッて思いきり握り締めることが出来ません。
なんかもう泣きそう・・・。
今日は朝からそんな日でした。
チャリで学校に行くとき、
坂を猛スピードで下ったところで、
正面の家の壁に突出していた、
水道かなんかのメーターに激突。
左手と、腿の付け根と、右のすねのあたりを
かなりの勢いで痛打しました。
いつもはどんなにスピードを出していても、
普通にクリアできるのに、
今日は眠気のあまり、集中力が鈍っていたようです。
道のはかなりの車の往来があり、
そんなところを見られたのが、かなり情けない。
手とかは、まだ痛いです。
グッて思いきり握り締めることが出来ません。
なんかもう泣きそう・・・。
今日は朝からそんな日でした。
ほとばしる汗、そして青春。
2001年9月19日今日の体育の授業は、バドミントンの試合。
2人でペアになって、いろんな人と試合をする。
いままで、ひたすら練習してるときは、
バドミントンにそろそろ飽きたなって感じだったけど、
試合になるとやっぱり面白い。
すごいへたくそではあるんだけど、
いろんな方向に飛んでくるシャトルを、
ペアの子と一緒に、
一生懸命打ち返してると、
なんかだんだんわれを忘れて楽しんでしまう。
僕は、そういうのになると、すぐにわれを忘れて、
プレー中に奇声をあげだすようになってしまう性質なので、
相手の人はかなり引いてた。
でも、自分のそういうところも昔からのものだから、
そろそろそんな自分に慣れてきたんで、平気。
回り中から、白い目で見られても…。
そんなこんなで、やたら疲れて、やたら汗が出たけど、
楽しい1時間だった。
2人でペアになって、いろんな人と試合をする。
いままで、ひたすら練習してるときは、
バドミントンにそろそろ飽きたなって感じだったけど、
試合になるとやっぱり面白い。
すごいへたくそではあるんだけど、
いろんな方向に飛んでくるシャトルを、
ペアの子と一緒に、
一生懸命打ち返してると、
なんかだんだんわれを忘れて楽しんでしまう。
僕は、そういうのになると、すぐにわれを忘れて、
プレー中に奇声をあげだすようになってしまう性質なので、
相手の人はかなり引いてた。
でも、自分のそういうところも昔からのものだから、
そろそろそんな自分に慣れてきたんで、平気。
回り中から、白い目で見られても…。
そんなこんなで、やたら疲れて、やたら汗が出たけど、
楽しい1時間だった。
瞬間湯沸し器
2001年9月18日『塩ジィが切れた』、とか。
神戸であったタウンミーティングに参加した塩川財務大臣。
『米の報復を支持することの危険性』について意見を聞いた質問に対し、
大臣が話をはぐらかしているととられかねない答弁をはじめると、
『質問に答えていない』などという野次が飛び、
それに対して、
大臣『やかましい』などと一喝した、そんな話だった気がする。
癒し系の財務大臣、実は瞬間湯沸し器。
これもわりと笑える話だが、
面白いと思ったのは、大臣の態度に対して野次が飛んだということ。
世界中の首脳が
『テロに対する断固たる態度』つまり『犯人に対する報復』の支持
という姿勢を鮮明にする中で、
われらが日本も、遅れちゃならんと、
協力する意思を明らかにしている。
湾岸戦争のときのようなかっちょ悪い失敗は避けたい、
世界に笑われるようなことはしたくない、
そんな思いがあるのだろうが、
テロリストへの報復に荷担することで、
更なるテロが日本を襲う危険性を生じさせる、
なんてことは子供でもわかる。
そんなことになった場合、
戦力はあっても、法整備の進んでいない日本は
ばたばたせざるを得ないことは目に見えている
国のメンツにこだわりすぎて、その大いなる危険性を忘れてはいけない。
いくらメディアがあおろうと、
政治家が暴走しようと、
国民はそれくらいちゃんと気づいているんだ。
そのことをしめす象徴的な出来事であったような気がする。
それがどの程度の国民の賛同を得られるかは別にして。
なんにしても、
一国の財政を預かる人間が、
人気の上にあぐらをかき、
へらへらしながら関西弁で適当にごまかせていた時期は、
そろそろ終わるのかも。
そう思った。
神戸であったタウンミーティングに参加した塩川財務大臣。
『米の報復を支持することの危険性』について意見を聞いた質問に対し、
大臣が話をはぐらかしているととられかねない答弁をはじめると、
『質問に答えていない』などという野次が飛び、
それに対して、
大臣『やかましい』などと一喝した、そんな話だった気がする。
癒し系の財務大臣、実は瞬間湯沸し器。
これもわりと笑える話だが、
面白いと思ったのは、大臣の態度に対して野次が飛んだということ。
世界中の首脳が
『テロに対する断固たる態度』つまり『犯人に対する報復』の支持
という姿勢を鮮明にする中で、
われらが日本も、遅れちゃならんと、
協力する意思を明らかにしている。
湾岸戦争のときのようなかっちょ悪い失敗は避けたい、
世界に笑われるようなことはしたくない、
そんな思いがあるのだろうが、
テロリストへの報復に荷担することで、
更なるテロが日本を襲う危険性を生じさせる、
なんてことは子供でもわかる。
そんなことになった場合、
戦力はあっても、法整備の進んでいない日本は
ばたばたせざるを得ないことは目に見えている
国のメンツにこだわりすぎて、その大いなる危険性を忘れてはいけない。
いくらメディアがあおろうと、
政治家が暴走しようと、
国民はそれくらいちゃんと気づいているんだ。
そのことをしめす象徴的な出来事であったような気がする。
それがどの程度の国民の賛同を得られるかは別にして。
なんにしても、
一国の財政を預かる人間が、
人気の上にあぐらをかき、
へらへらしながら関西弁で適当にごまかせていた時期は、
そろそろ終わるのかも。
そう思った。