なやみおおき

2003年11月19日
この2週間でいったい何度、先輩から呼び出し食らったことだろう。
なんかそんなに大げさに騒がなくても…。
その度に自分の考えを説明させられるのは、もうそろそろうんざり。

ほっといてくれれば、そのうち自分で結論出すのに。
部員間の距離の短さが少々重い。

山登りを嫌いになる、という事態はなんとしても避けたい。
その一方で少しでも余地が残っているなら我慢を続けたい。
責任論、部の方針、僕の理想、部員との相性、安全性への意識、部の伝統・・・。
考え尽くしたそれらの前で、すすむべきなのかひくべきなのか。

なんだか白髪が一本。おいおい。

今日の日記

2003年11月18日
学生科に紛失届けを出しに行った。

「池の周りのベンチに銀色の水筒を忘れたんですけど」

「水筒?!へぇー、水筒・・・。」


 
・・・馬鹿にされた。

大学生が水筒持ってちゃ悪いか。
水筒どころか弁当箱だって毎日持参してるぜ。

 
見つかるといいな。僕の水筒。

なんかあれ中学生の時から使ってた気がする。

多摩川に沈む

2003年11月17日
学校が終わった後、多摩川沿いの緑地でフリスビーをした。
木枯らし一番が吹いた今日、あまりうまく出来なかったけど。

その後、二人で夕焼けを眺めた。
真っ黒に染まった遠くの山々の向こう側で、オレンジ色の空はちょっとずつちょっとずつ鈍さをましていく。

そういえばこの夏にも野口五郎の山頂で、太陽が完全に沈みきった段階でみんながテントに帰ってしまった後、
少しずつ空が暗くなっていく様子を二人で残って一緒に眺めてた。

日が落ちたとたんにぐっと冷え込むようになったこの時期にもあの時とと変わらず、
夕焼けそのものより、その残りかすのような残照をもう少しもう少しと惜しむように見つめているその子の姿が素敵だと思った。


踏み切れない理由

2003年10月29日
結局どんなにいやなことにでも主体的に関わった方が楽しい自分。
それが悔しい。

じゃ、僕はどうすればいい。
 
 
 
 
久しぶりにどきどきした。

特に歌合戦

2003年10月28日
学祭なんてなきゃいいのに・・・。

立川で

2003年10月27日
大学生になっても、トポスでポスカを買い、セカイドウで模造紙を買い・・・。

今作った

2003年10月26日
むむむ感ただよう今日この頃。

また・・・

2003年10月2日
明日の夜発1泊2日で部の秋合宿に行って来ます。場所は福島県吾妻連峰とその近くにある大滝沢っていうところ。こんな時期に沢。多分寒い。すごく寒い。最高気温は8度だよ、とか言ってる人もいる。けどがんばる。

今日の日記

2003年10月1日
あー。

学校始まった途端に、やったら忙しくなるんだねえ。

むむむ。
今日は父の勤務先の中学校の体育祭だったらしい。

「放送機器の故障で少し間が空いちゃってさぁ、父ちゃんがもうちょっと若かったら、高校時代に鍛えた器械体操を披露してあげたんだけどねぇ。」

帰宅するなり、そんなことをのたまう父。

・・・もうちょっと若かったら、か。

 
50歳を越してもいまだに白髪が一本もない父。
僕や兄が着れなくなった、もしくは着なくなった服を、「俺が着れるかもよ。」と主張する父。
妹が見るような甘っちょろいテレビドラマを楽しみにして毎回欠かさず、下手すると夜の職員室とかで、見ている父。
あの年になってもいまだに甘いものが大好きで、スーパーに買い物に行こうものなら、必ず袋いっぱいのデザートを買ってくる父。

思えば父は、その年齢にそぐわず、気持ちだけは若さを異常なほど保ち続けてきた人間だった。気持ち悪いくらいに。『くらいに』っていうか実際に気持ち悪かった。そして自分がもう若くはないのだということを一切自覚していないようだった。少なくとも自らが老いていくことを認めるような発言をしたことは今までなかった。

そんな父が無意識のうちに「もうちょっと若かったから・・・」なんて言うとはね。

若かったら、かよ。

おいおい。
 
 
 
 
 
森絵都の「永遠の出口」を読了。
少女がふとしたきっかけからほんのちょっとずつ世の中の見方を変化させていく過程を、主人公の小学4年から高校卒業までの普通の日常を通して描いていく短編集。
なんだか柄にもなく胸がきゅんきゅんしてきた。
自分がついこないだ通過し終えてしまった10代という年代の貴重さを改めて感じる。
昔はそんなこと考えもしなかったのにさ。
なくしてしまってから分かるものさ、ものの価値なんてね。とかいって。
この手の児童文学が持つ緩さというか、甘さというか、やさしさというか、独特の空気がすごく好きだ。
自分は既にそんな空気を吸い続けることが許されなくなってしまっただけに、それに触れている時間がなんだか無性にいとおしいと思う。
無意味によっしゃ、がんばろ、って思ったり出来る。
それに児童文学の人って表現力がすごく確かだ。技巧とかの問題ではなく、ストレートに言葉そのものの素直さで、日々の生活を表現できる。読んでてすごく安心できるのを感じる。

そういや、もうすぐ、夏休みも終わり。
のんびり小説読んでられる時間もなくなるねぇ。

捨て台詞で

2003年9月26日
 
「辞めるかもしれないです。」
  
  
  
あっちゃー、俺ってば言っちゃったよ。

っておもったら、夢だった。
 
 
 
あぶねーあぶねー。
 
 
 
 
 
もうひとつ。
大江健三郎の『遅れてきた青年』を読了。
中学生時代に始まり、大江健三郎を読み出して挫折してきたこと数回。
やっと最後まで楽しんでついていけるくらいには僕のおつむも良くなってきたということか。
昔読んだときは難解に感じたであろう、ぽんぽんと提示されていくイメージの重なりが、すんなりと心地よく理解できるようになった気がする。
夏学期に日本近代文学?の授業で書かされたレポートのおかげかもって思う。

作中で描かれた「遅れてきた」という心理。
戦場での名誉の戦死を望みながらも、それが可能となる年齢になる前に終戦を迎えてしまったために、その後の生活を通じて抱えてしまうある種の欠落感だと思うが、
そういった心理は僕らの世代にも共通するんじゃないかな、ってちょっと思った。
高度経済成長にもバブルにも間に合わなかった僕ら。
物心ついて多少なりとも社会に興味を持ち出した頃には既に、経済は停滞し、政治は失望しか生み出さず、成長の止まった日本が抱える構造的問題があちらこちらで噴出し始めていた。
これまでの短い人生を通じて、変化の可能性を信じようとする姿勢は粉砕され、日本の将来に対する希望などというものはぼくらの夢の中でしか語ることは出来ないことを学び取ってきた。
っていうとちょっと大げさだけど、繁栄を知る「上の世代」に対して、僕らの世代がなにかしら『ついていけない感じ』を共有しているのは事実なのではないかと思う。
それと作中の「遅れてきた」という心理。
ちょっとだけ似てねぇ?って思ったんだけど、やっぱりそれは僕の個人的な甘えかな。
ちゃんと希望を持って生きていこうとしている人たちは僕らの世代にもたくさんいるしね。

梨木香歩の本を久しぶりに読んでみた。この夏。森絵都とかと並んでここんとこ注目されてる児童文学の人、最近良く本屋で並んでるのを見かける気がする、エスカレーターあがって真正面のとことかに。
「からくりからくさ」が特に好き。前にこれを読んだときは大学生ってこういうものかと思ってた、ちょっとした憧れみたいなのとともに。クールさ、誠実さ、切迫感、余裕、深さ、軽さ…。
けど、まぁ、やっぱりというかなんというか。このぎゃっぷ。文系だからか、東京だからか、自宅生だからか、国立大だからか、大学までチャリで15分だからか。それとも幻想だったのか、そもそも。
それ以前にこういう世界に癒されてた、そして今も十分に癒される僕が、ちょっと良いと思う。自分の憧れがどういうところにあるのか、しかもそれはずっと同じところにあったらしい。ぜんぜん気づかなかったさ、ほんとにぜんぜん。
 
「癒し」っていう言葉。すっげー軽い。使ってて思った。
 
  
『若いねえ』は、大学に入ってから使用頻度が上がった。使ってしまう度に、その無神経さに身をよじりたくなるほどの恥ずかしさを感じる。既に自分は、相手のいる場所を通過してきたことを示すことで得ようとする優越感、その浅ましさ。相手の努力、思慮、苦悩、その他もろもろのものをなんともあっさりと否定しているような。
でも、高校生のときまでは言われて反感を感じたこの言葉に、大学に入って以降、共感できるものを感じるのも事実、だからこそ使用頻度上がってるわけで。昔の自分は確かに出来た、持っていた、許されていたいろんなこと。そんなものがやたらと増えてきた昨今、既に失ってしまった(様な気がしてしまう)それらを見るにつけ、なんともいえない寂しさがこみ上げる。そしてそれを単純に年齢や自分の成長のせいにしたくなる欲求。疲労感。
 
 
自分なんてそんな簡単に変わらないのかもしれない、変わるのは自分の立ち位置だけで。それなのに。

昔はあったのに、今はもうなくしたもの。昔はなかったけど、新たに手に入れたもの。
普段はそれしか見えない。
そういう風に出来ているんだとしか。見えない。 
 
時々妄想する。

強くなった自分。
愛想笑いをしない自分。
黙っていられる自分。
一人でも動じない自分。

将来への予測、現実的な判断から逃れうる自分。


出身高校の山岳部の現役部員たちにくっついて、
東京都最高峰雲取山に1泊2日で登ってきた。

ちなみに雲取山に登るのは今年3回目。
奥多摩の単調な道自体にすでにあきてきているのに、
その奥多摩の同じ山に3回も。
もう、なんか山に対して期待していたことは何もない。
ただ、現役部員たちの役に少しは立とうかと思ったことと、
浪人生活終了後取り組んでいる減量化計画にすこしでもよい効果をもたらせればと…。

1,2年の現役4人はいずれも宿泊山行は初めて。
しかもそのうちの2年生の子は部の山行に参加すること自体が初めて。
なんだかもうものすごく不安な中強行した山行だったわけだけど、
そして1日目なんか、彼らの行動の無駄の多さに愕然としたけれど、
それでもまぁ、2日目にもなると2年生がリーダーシップを発揮しだし、なんとかパーティーとしてまとまりを見せだしたかな、って感じだ。
しかし、今の高校生はあんなにも自分が今するべきことが見出せないものなのかな、ってちょっと思った。
急いで食事を作らなきゃいけないときに、
ちょっと回りを見回せば、彼らにできる仕事が山ほど見つかるようなときに、
ただただ指示されるのを待ちぼーっとしている1年生たち。
おいおい、ってちょっと思った。
OBとしてはリーダーが指導力を発揮するのを辛抱強く待つべきなわけだが、
ついつい口出ししたくなる衝動を抑えるのに苦労した。

カンボジア

2003年7月1日
バイト先で。

僕がレジ周りにいるとき、ハイテンションで店内に入ってきた中学生5〜6人。
よくわからないが、しきりに「ゲッツ!!」を連呼している。
コロッケを指差し、「これゲッツ!!」
レジにいる僕にスナック菓子を放り投げて「これゲッツ!!」
まだ会計が済んでいないのに、「これもう食べていいでゲッツか?」(?)
商品を袋に入れようとする僕に「ありがとうでゲッツ!!」

とにかくひたすら「ゲッツ!!」を多用しまくり。
しかもずっと同じネタを使い続けてしまっている自分を顧みることもできないほどのものすごいテンションで。

ちょっとしつけーよ、おまえら、と思わないでもなかったけど、
最初から最後まで同じネタで通すその心意気とエネルギーはすごいと思った。
やっぱり、若さだよね。
それにしても、「ゲッツ!!」は中学生の間でそんなにはやっているのかぁ。
などとおもいつつ彼らに笑顔で釣銭を返そうとする僕に、
彼らの中の一人が言い放った。

「おつりはカンボジアへ!!」


颯爽と店を出て行く彼ら。

解説するまでもないけど、それはつまり単に、釣銭は募金箱に入れといて、という意味なわけだが、散々「ゲッツ!!」に飽きさせられた後に、ちょっと気の利いたそのせりふはやたらとおかしくて、
その後数人のお客さんの前で思い出し笑いをしてしまった。


なんだか、見事にしてやられた気分だ。


しかし、募金を送るべき国としてまず思い浮かぶのがカンボジアかぁ?

なんだか

2003年6月30日
いつもふらふらしてるそいつをなんだかほっておけない。

やたらと鈍いそいつは何をしてもらってもその好意にきちんと気づいてくれることはほとんどなくて、
何かをするたびにこちらが拍子抜けをするほどろくな反応が返ってこないのだけど、
それでもなんだかついつい優しくしてしまう。
こちらの好意がおせっかいにならないよう必要以上に気を使い、
前に出過ぎてかえって相手にひかれないよう慎重に距離を測り、
それでもそいつが寂しい思いをしないようできるだけ気を配り…。
その度に相手の読めない反応に、時に失望し、時に苦しみ、時にちょっと怒ってみたりもする。

自分はそんなに他人のことを思いやる人間ではないはずで…。
なんでそこまで気を使っているのか自分でもわからない。
わからないけど、なんだかついつい優しくしてしまう。

ひょっとしたら、何か理由があって、
具体的にはある種の下心があって、
そしてその結果そうなのかもと思ったりもするが、
そうでない気もやっぱりする。
無理やり強引にそうなんだと思い込もうとすればなんとかできるし、
そっちの方がうまく説明もついてすっきりするかもしれないが、
そうやって無理やりに自分を説得して信じ込んだ結果、失敗してしまった経験が何度もあるので、
今回はそういう自己心理操作にはちょっと慎重。
だから結局よくわからない。
だから結局、自分の真意も相手の気持ちも不可解なまま、なんとなく今日も会ってみる。
寂しい時に電話をくれたことに軽い喜びを確かに感じつつ。

国会議員

2003年6月29日
みんな、

国会議員の、新たな価値観だとか人権観だとかに関する意識が社会通念よりもずっとずっと低いということをなんとなくわかっている。

国会議員が、自分の地元の、それも組織票を動かせるだけの力を持った人のためにしか働いてくれず、それ以外の人、つまりは日本全体のことなんか考えてくれていないこともなんとなくわかっている。
国会議員が「せんせい」と呼ばれるのは、そいつが立派な考えを持つ人だからではけしてなく、そいつが地元のために、つまりは地元の有力者のために働いてくれているからというだけなわけで。

そしてその「好ましくない状況」は、変えようと思ってもそう簡単には変えられないこともなんとなく感じ取っている。
「せんせい」たちの働きを期待し、それをもって力の源としている人たちが今も大勢いるわけで。

 
だからいまさら、
衆院議員に「今の若者にはレイプをするだけの元気があったほうがいい」などと言われたって、
マスコミの狙いほどには大して驚きはしない。

いまさらだから。

ぼくは、

2003年6月28日
なんかね、

「スーフリ」とか
「六本木の有名クラブ」とか
「介抱する振りして・・・」とか
そういう記事を読んでると、
そこに展開されているのであろう世界と、うちの大学の雰囲気とのギャップに愕然としてくる。

僕の生活はこんなにも、下手すると高校のとき以上なんじゃないだろうかってくらいに、常にまったりとし続けているのに。

なんなんだろう、あっちの世界のスピード感というか、刺激に満ちた生活というか。

これでも同じ大学生。

うちだって一応都内なのに。

 
最近、ほとんど地元と大学とバイト先だけで生活圏が完結している気がする。
勉強しているか、汗かいているか、チャリンコこいでるか・・・。

っていうかそもそも電車にもほとんど乗ってない。
ここ2〜3ヶ月、国分寺より東にいった記憶がほとんどない大学生ってどうよ?どうなのよ?

そんなぼく。


常駐

2003年6月26日
うちのに大学の自治会には、防犯のために部室アパートで一晩寝ずに番をする『常駐』という制度がある。
それの今日の担当はワンゲルだったため、今日はワンゲルの1年生の男子3人で22時から翌日の6時まで部室アパート1階に泊り込むことに。
ウォッカのコーラ割りとかまで投入されたりして、眠さも手伝って、やたらおかしなテンションで一晩中騒いでしまった。
途中3時ごろからは同じ学年の女子もひょっこり現れたのにも関わらず、それまでと変わらないテンションで下ネタ続けてしまったりしたし。
入部が確定してからは1年生だけでそんなに盛り上がったことがあまりなかったので、
こんなんでも結構貴重な機会になった気がする。
「常駐やって」とか上級生に言われてちょっとかったるかったけど、
なんかむやみに楽しかった。
翌日の授業がつらかったけど。

夏合宿は

2003年6月25日
部会で上級生から夏合宿のプランが発表された。
今年のうちの部の夏合宿は北海道と北アルプスの2パーティーが出る。
1年生はその二つのうちどちらか一つを選ぶことになるらしい。
北海道Pは十勝連峰〜大雪山などを縦走し、沢も加わるコース。
北アルプスは上高地から槍ヶ岳に登り、そこから稜線上を日本海まで歩ききるコース。
「どちらかを選ぶ」っていっても人数の関係もあるわけで、まぁ、1年生5人のうち誰がどっちに行くかはもう大体決まっている。
で、僕はおそらく北アルプスPに加わることになる。
高校時代から北アルプスを日本海まで歩いて見たかったし。
2週間も山にこもるっていう生活にかなりあこがれたし。
正直、やっぱり僕は沢登りよりも縦走の方が今のところは性にあっていると思うし。
それになにより、初めて計画書をもらってエアリア上に蛍光メーカーでなぞられたコースを見たとき、どうしようもなく胸がどきどきしてくるのを感じたのは北アルプスPの方だったから。
“松本から親不知まで”という夏合宿のテーマにもちょっと感動した。
自分がこの夏、そのコースを歩くと思うと、今からたまらなくうれしい。
やり遂げた後の達成感ももちろんあるだろうけど、
僕としてはなにより、下界の世俗的な悩みから開放されて、精神のではなく肉体本来の疲労感と向き合いながら、山での生活に2週間という長期にわたって浸れるということそのものが多分ものすごく快適なものになるだろうと思う。
なんだか「僕にとっての山」、というか「僕の山との関わり方」みたいなものが見えてくるようなそんな山行になるといいな。

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