今日の日記
2003年6月16日ちなみに僕のバイトはコンビニの店員さん。
今まで深く考えたことなかったけど、
コンビニの店員は大変だと思う。
レジ打ちにしろ検品にしろ品出しにしろ、何をやっているときも常に責任がついて回る。
ちょっと気を抜いてミスをするだけでお客さんに迷惑をかけるし、それはすなわちお店の評判、ひいては売り上げにまで影響を与えることになる。
商品をビニール袋に詰めているときも、バーコードをスキャンしているときも、お金を数えるときも、商品の賞味期限を確認するときも、
どんなに日常的に反復される動作でも、常に集中していなければ簡単にミスを犯してしまう可能性がある。
ミスをして自分が怒られたり、弁償したりで済む話なら少しは気が楽だ。
けどそれで困るのは自分よりも、お客さんだったり店長だったり。
だから何をするのでも緊張する。
別にコンビニに限った話ではなく、お金を稼ぐってそういうことなのだろう。
と、高校時代バイトの経験がない温室育ちの僕は、いまさらながらに思った。
今まで深く考えたことなかったけど、
コンビニの店員は大変だと思う。
レジ打ちにしろ検品にしろ品出しにしろ、何をやっているときも常に責任がついて回る。
ちょっと気を抜いてミスをするだけでお客さんに迷惑をかけるし、それはすなわちお店の評判、ひいては売り上げにまで影響を与えることになる。
商品をビニール袋に詰めているときも、バーコードをスキャンしているときも、お金を数えるときも、商品の賞味期限を確認するときも、
どんなに日常的に反復される動作でも、常に集中していなければ簡単にミスを犯してしまう可能性がある。
ミスをして自分が怒られたり、弁償したりで済む話なら少しは気が楽だ。
けどそれで困るのは自分よりも、お客さんだったり店長だったり。
だから何をするのでも緊張する。
別にコンビニに限った話ではなく、お金を稼ぐってそういうことなのだろう。
と、高校時代バイトの経験がない温室育ちの僕は、いまさらながらに思った。
Ich lerne Deutsch.
2003年6月13日今日もバイト。
部活や授業の都合で基本的には火曜と木曜にでることになってるんだけど、
バイト始めたばかりなので、はじめのうちは暇なときはできるだけたくさん入るようにして早く仕事覚えるようにといわれている。
今日はワンゲルの山行に行くはずだったのが、雨と上級生の都合の為に来週に延期になり、
急に暇になったので、バイトに入ることに。
高校時代にバイトをやっていなかったので、いわゆる「バイトの常識」みたいなのがいまいちつかめず、
いろいろ迷惑かけてるんだろうな、と思う。
今日も5時から11時まで働いて間に休憩取るのを忘れてしまった。
実は休憩取り忘れたのは今日で2回目。
「休憩」というのがどのタイミングで入ればいいのかがよくわからない。
働いているときはそんなに疲れたとは感じないので、休憩したいと強く思うことがないし。
でもよくわかんないが、僕個人の事情ではなく休憩は取ったほうがいいような気もする。
先輩にはバイト終わったあとに、「『休憩とっていいよ』って言ってあげなくてごめんね」、とかいわれたけど、先輩にいわれないと休憩取れない、っていうのはちょっとかっこわるいんじゃないか、とも思う。
バイトに出るのも今日で、3回目。
けっこう仕事覚えてきたと思うけど、休憩取りだけはいまだちゃんとできない。
うーん、奥が深いぜ、休憩。
って、そんなことで悩むところがバイトになれてなさ丸出しだなって思ったり。
今日のドイツ語の授業ではNHKスペシャル『地球市場・富の攻防』のビデオを見た。
現在、EUの東欧10カ国への拡大の動きを見て、さまざまな産業が人件費の安い東欧に工場の移転を始めている。
それは当然西欧諸国の労働者の仕事を奪うことになり、
手厚い社会福祉の伝統を持ち、労使が対等の立場で労働条件の交渉を行うことが当然のように行われてきた西欧においても、労働者に不利な条件での交渉が強いられ、社会福祉のレベルも下がってしまう結果をもたらし、
また、人件費や土地の価格の安い東欧に工場の移転を決めた企業も、西欧に比べて格段に劣る技術水準に戸惑いを見せている。
とくに本当に『目と鼻の先』という表現が誇張でないほどに近い距離(ポーランドとかスロバキアとか)に、強大な競争相手が「突然に」現れた格好になったドイツでは、
IGメタルという世界最強の労組や、ヨーロッパ中に傘下の企業と工場をもつフォルクスワーゲングループの存在もあいまって、国家政策全体の建て直しも迫られるほどに困惑の度合いを深めている。
という、まさに『いま、ヨーロッパ全体がゆれている』というような状況を、なかなか上手にまとめてあって、すごく楽しかった。
さすがNHKという感じ。
NHKはこういうドキュメント番組を作らせると、本当に上手だと思う。
資金力とかノウハウとか技術力とかの点で、ほかの民放は到底かなわない。
それなのに、無理してやたら中途半端で寒いバラエティとかも作ったりするから、NHKに対して変なイメージができちゃうんだよ、とも思ったりした。
ドイツ語の授業でこういうビデオを見せてくれるところが大学らしくて面白かった。
部活や授業の都合で基本的には火曜と木曜にでることになってるんだけど、
バイト始めたばかりなので、はじめのうちは暇なときはできるだけたくさん入るようにして早く仕事覚えるようにといわれている。
今日はワンゲルの山行に行くはずだったのが、雨と上級生の都合の為に来週に延期になり、
急に暇になったので、バイトに入ることに。
高校時代にバイトをやっていなかったので、いわゆる「バイトの常識」みたいなのがいまいちつかめず、
いろいろ迷惑かけてるんだろうな、と思う。
今日も5時から11時まで働いて間に休憩取るのを忘れてしまった。
実は休憩取り忘れたのは今日で2回目。
「休憩」というのがどのタイミングで入ればいいのかがよくわからない。
働いているときはそんなに疲れたとは感じないので、休憩したいと強く思うことがないし。
でもよくわかんないが、僕個人の事情ではなく休憩は取ったほうがいいような気もする。
先輩にはバイト終わったあとに、「『休憩とっていいよ』って言ってあげなくてごめんね」、とかいわれたけど、先輩にいわれないと休憩取れない、っていうのはちょっとかっこわるいんじゃないか、とも思う。
バイトに出るのも今日で、3回目。
けっこう仕事覚えてきたと思うけど、休憩取りだけはいまだちゃんとできない。
うーん、奥が深いぜ、休憩。
って、そんなことで悩むところがバイトになれてなさ丸出しだなって思ったり。
今日のドイツ語の授業ではNHKスペシャル『地球市場・富の攻防』のビデオを見た。
現在、EUの東欧10カ国への拡大の動きを見て、さまざまな産業が人件費の安い東欧に工場の移転を始めている。
それは当然西欧諸国の労働者の仕事を奪うことになり、
手厚い社会福祉の伝統を持ち、労使が対等の立場で労働条件の交渉を行うことが当然のように行われてきた西欧においても、労働者に不利な条件での交渉が強いられ、社会福祉のレベルも下がってしまう結果をもたらし、
また、人件費や土地の価格の安い東欧に工場の移転を決めた企業も、西欧に比べて格段に劣る技術水準に戸惑いを見せている。
とくに本当に『目と鼻の先』という表現が誇張でないほどに近い距離(ポーランドとかスロバキアとか)に、強大な競争相手が「突然に」現れた格好になったドイツでは、
IGメタルという世界最強の労組や、ヨーロッパ中に傘下の企業と工場をもつフォルクスワーゲングループの存在もあいまって、国家政策全体の建て直しも迫られるほどに困惑の度合いを深めている。
という、まさに『いま、ヨーロッパ全体がゆれている』というような状況を、なかなか上手にまとめてあって、すごく楽しかった。
さすがNHKという感じ。
NHKはこういうドキュメント番組を作らせると、本当に上手だと思う。
資金力とかノウハウとか技術力とかの点で、ほかの民放は到底かなわない。
それなのに、無理してやたら中途半端で寒いバラエティとかも作ったりするから、NHKに対して変なイメージができちゃうんだよ、とも思ったりした。
ドイツ語の授業でこういうビデオを見せてくれるところが大学らしくて面白かった。
プロ研
2003年6月7日この土日は大学でKODAIRA祭というイベントが行われる。
この名称は、昔うちの大学が小平のキャンパスで授業をやっていたときからのもので、
授業がすべて国立のキャンパスに移り、祭り自体も国立で行われるようになった今でも、名称だけは変わっていない、というものであるらしい。
そんなわけで、準備日の金曜日、片付けの月曜日とあわせて1、2年生は4日も続けて授業がない。
KODA祭ではクラスごとに模擬店を出すことになっていて、
うちのクラスは手作りクッキーを売るらしいのだが、
僕は大学入学以後その手のクラス行事にはやる気を感じられない人間に成り果ててしまっているので、
作業にもほとんどっていうか、完全にノータッチだったし、
当日もKODA祭には参加しないだろうな、という気がしていた。
事実、周りにはこの「4連休」を利用して千葉県の実家に帰ってしまった友達とかもいたし。
でも、まぁ、なんか、クラスメートの普段一緒にそれ系の行事をサボっていたサボり友達が、
みんなKODA祭にだけは出るとか言い出したし、
先週部の山行に行ったばかりで今週また個人的に山に登る気にもならなかったので、
なんとなく流れで参加することに。
どうせ、自宅からチャリで15分の距離なのだ。
昨日は準備の為に朝の10時から学校に行ってクラスの模擬店の設営を手伝ったりしたのだが、
そういうシチュエーションになると高校時代のようにやけにスイッチが入ってしまって、
本当はやる気ないのに、てきぱきと仕事を見つけて作業をこなしてしまう自分がいてちょっとやだった。
今日も一応行っては見たが、すぐに完成しているクッキーの販売にそんなに人手がいるわけもなく、
案の定その辺をぶらぶらして暇をもてあます羽目になった。
今日、一番楽しかったのはプロレス研究会の興行。
1時からのと3時からのを両方見てしまった。
学生プロレスなのに、なんか見た目すごそうな技とかかけててびっくりした。
ショーとしても落ちがついてるのかついてないのかよくわからなくて、
その微妙なまったり感がやけにおかしかった。
そういえば、KODA祭がまだ本当に僕の地元小平で行われていたころ、
小学生だった僕はKODA祭に遊びに来てこのプロ研の興行を見た気がする。
あのころの僕は、水泳パンツみたいなのとかタイツみたいなのとかを身につけた上半身裸のなまっちろい大学生達が、わざとらしくもみ合って暴力行為を繰り返しているのをみるのがたまらなく不快だった覚えがある。
っていうか、ちょっと気持ち悪かった。
それが今や、リングの前で大笑いしてしまっている僕。
われながら大人になったものだな。
って言う感想は多分間違っているんだろうな、と思いつつ。
っていうか、プロ研のレスラー達は何であんなに楽しそうなんだろう。
あんなに大勢に自分の裸体を見られて、あんなに痛そうな技をかけられて、周り中から笑われて。
でも、リングの周りで一番ショーを楽しんでいるのは、お客さんの方ではなくプロ研の部員であるのは顔を見れば一目瞭然なわけで。
なんか、彼らが輝いて見えた。
プロ研楽しそうだな。
この名称は、昔うちの大学が小平のキャンパスで授業をやっていたときからのもので、
授業がすべて国立のキャンパスに移り、祭り自体も国立で行われるようになった今でも、名称だけは変わっていない、というものであるらしい。
そんなわけで、準備日の金曜日、片付けの月曜日とあわせて1、2年生は4日も続けて授業がない。
KODA祭ではクラスごとに模擬店を出すことになっていて、
うちのクラスは手作りクッキーを売るらしいのだが、
僕は大学入学以後その手のクラス行事にはやる気を感じられない人間に成り果ててしまっているので、
作業にもほとんどっていうか、完全にノータッチだったし、
当日もKODA祭には参加しないだろうな、という気がしていた。
事実、周りにはこの「4連休」を利用して千葉県の実家に帰ってしまった友達とかもいたし。
でも、まぁ、なんか、クラスメートの普段一緒にそれ系の行事をサボっていたサボり友達が、
みんなKODA祭にだけは出るとか言い出したし、
先週部の山行に行ったばかりで今週また個人的に山に登る気にもならなかったので、
なんとなく流れで参加することに。
どうせ、自宅からチャリで15分の距離なのだ。
昨日は準備の為に朝の10時から学校に行ってクラスの模擬店の設営を手伝ったりしたのだが、
そういうシチュエーションになると高校時代のようにやけにスイッチが入ってしまって、
本当はやる気ないのに、てきぱきと仕事を見つけて作業をこなしてしまう自分がいてちょっとやだった。
今日も一応行っては見たが、すぐに完成しているクッキーの販売にそんなに人手がいるわけもなく、
案の定その辺をぶらぶらして暇をもてあます羽目になった。
今日、一番楽しかったのはプロレス研究会の興行。
1時からのと3時からのを両方見てしまった。
学生プロレスなのに、なんか見た目すごそうな技とかかけててびっくりした。
ショーとしても落ちがついてるのかついてないのかよくわからなくて、
その微妙なまったり感がやけにおかしかった。
そういえば、KODA祭がまだ本当に僕の地元小平で行われていたころ、
小学生だった僕はKODA祭に遊びに来てこのプロ研の興行を見た気がする。
あのころの僕は、水泳パンツみたいなのとかタイツみたいなのとかを身につけた上半身裸のなまっちろい大学生達が、わざとらしくもみ合って暴力行為を繰り返しているのをみるのがたまらなく不快だった覚えがある。
っていうか、ちょっと気持ち悪かった。
それが今や、リングの前で大笑いしてしまっている僕。
われながら大人になったものだな。
って言う感想は多分間違っているんだろうな、と思いつつ。
っていうか、プロ研のレスラー達は何であんなに楽しそうなんだろう。
あんなに大勢に自分の裸体を見られて、あんなに痛そうな技をかけられて、周り中から笑われて。
でも、リングの周りで一番ショーを楽しんでいるのは、お客さんの方ではなくプロ研の部員であるのは顔を見れば一目瞭然なわけで。
なんか、彼らが輝いて見えた。
プロ研楽しそうだな。
体力
2003年6月4日毎週水曜日はワンゲルの部会がある。
今週はトレーニングと気象講習。
トレーニングは雨天だったため、講義棟の1階から4階までの階段を15往復するというもの。
これはきつかった。
ジョギングとかは普段から結構やってるので、部会で走るときもそんなにきつくはなくてわりと順調だったし、
山登ってても、歩いてる途中でばてたり、翌日まで筋肉痛が残ったりすることも最近なくなってきてたので、
浪人時代の運動不足から抜け出してきたかなと思っていたのだが、
階段のぼりはまた別の話。
ありえないくらいに汗がだらだら出て、めちゃくちゃ疲れた。
上級生に1周遅れてしまったし。
ちょっと自信を喪失。
気象講習はラジオの気象情報を聞いて天気図を書かされた。
天気図を書くのは初めて。
それを言うと、
高校時代山岳部だったのに、やってなかったのかと驚かれた。
同じく高校時代山岳部だった先輩は高校でもやっていたらしい。
いまさらながらうちの山岳部はゆるゆるな部だったなと思う。
天気図を書くのは、ラジオの放送内容を聞き取るのは思ったほどきつくなかったが、
聞き終わった後、その情報を元に等圧線の位置を判断して書き込むのが難しい。
一応教えられながら完成させたが、まだ一部どうしてそうなるのかわからない部分が残った。
これはもう、何度も書いてみてカンを磨いていくしかないだろう。
がんばろ。
放課後、部の友達に誘われてその子の家でレンタルのビデオを見たりしてまったりしてしまい、
結局その子の家を出たのは夜の2時。
翌日はレポートの宿題があってまだ書いてなかったので、家に帰ってから書いたため、結局ほとんど寝られなかった。
階段のぼりでめちゃくちゃ疲れてたのに。
最近生活が不規則になりがち。
学業に支障をきたすのだけは避けないとなと思う。
今週はトレーニングと気象講習。
トレーニングは雨天だったため、講義棟の1階から4階までの階段を15往復するというもの。
これはきつかった。
ジョギングとかは普段から結構やってるので、部会で走るときもそんなにきつくはなくてわりと順調だったし、
山登ってても、歩いてる途中でばてたり、翌日まで筋肉痛が残ったりすることも最近なくなってきてたので、
浪人時代の運動不足から抜け出してきたかなと思っていたのだが、
階段のぼりはまた別の話。
ありえないくらいに汗がだらだら出て、めちゃくちゃ疲れた。
上級生に1周遅れてしまったし。
ちょっと自信を喪失。
気象講習はラジオの気象情報を聞いて天気図を書かされた。
天気図を書くのは初めて。
それを言うと、
高校時代山岳部だったのに、やってなかったのかと驚かれた。
同じく高校時代山岳部だった先輩は高校でもやっていたらしい。
いまさらながらうちの山岳部はゆるゆるな部だったなと思う。
天気図を書くのは、ラジオの放送内容を聞き取るのは思ったほどきつくなかったが、
聞き終わった後、その情報を元に等圧線の位置を判断して書き込むのが難しい。
一応教えられながら完成させたが、まだ一部どうしてそうなるのかわからない部分が残った。
これはもう、何度も書いてみてカンを磨いていくしかないだろう。
がんばろ。
放課後、部の友達に誘われてその子の家でレンタルのビデオを見たりしてまったりしてしまい、
結局その子の家を出たのは夜の2時。
翌日はレポートの宿題があってまだ書いてなかったので、家に帰ってから書いたため、結局ほとんど寝られなかった。
階段のぼりでめちゃくちゃ疲れてたのに。
最近生活が不規則になりがち。
学業に支障をきたすのだけは避けないとなと思う。
装備買い
2003年5月18日ワンゲルの先輩に連れられて、
池袋と水道橋に装備を買いに行った。
登山靴やシュラフなどは高校時代から持っていたので、
今日買ったのはザックや沢登りシューズ・ソックス類、マット、レインウェア、その他小物、など。
ザックはCERROTORREというメーカーの90リットルくらい入るやつ。
肩の高さが調節できるところと、しょった時の背中の感じが一番しっくりくるところから決めた。
それに縦長だけど、そんなに細すぎもしないのでパッキングも楽そう。
それ以外にも細かい部分のデザインにも気を使ってて、高校時代に先生とかのザックを見てて「これはいいな」と思ったものがたいていついてるのがよい。
マットは安い銀マットにしようかとも思ったけど、
僕は山に行って熟睡できたことないし、けっこう寝心地とか気にするたちなので、少し値の張る黒マットにした。
これなら銀マットより厚みがあって寝心地いいし、銀マットほどは滑らない。
ちょっとかさばるんだけど。
とにかく一度にいろんなものが手に入ってしまって、
今、実はかなりうきうき。
ただし、同時にかなりの額の金が目の前から消え去っていった。
きょうだけで6万近くも使ってしまった。
・・・痛い。
しかもパソコン買ったばかりなので普通預金がもう残ってなく、定期預金崩さなきゃっていう勢いで・・・。
それでもシューズやシュラフを持っていた僕はまだ安く済んだほうで、
一緒に行った1年生は11万円とか言われてた。
とにかく山の装備はめちゃくちゃ高い。
カラビナとかなんてただの金属製のわっかなのにどれも1000円くらいするし。
どんな装備にしてもこればこるほど値は上がっていくわけで。
はっきりいって暇な中高年以外に手が出る金額じゃない。
そんなんだから山にいく若者の数が減って、高齢者ばかりになっていくんだ、って思う。
そしてそんなんだから山での事故が増えていくんだ、ってちょっといいすぎだけど。
そうそう、ついでにだけど、NHKスペシャルの「文明への道」を見た。
1年間を通してシリーズでやってくらしくて、今日はその2回目。
これがものすごく面白い。
なんか、もう、「ロマンだ」って思う。
前回の1回目はアレクサンドロスの人間性にばっかり焦点が当たってて、一番のテーマであるギリシャとペルシャの文化交流についていまいち説得力を持って伝えきれてない気がしたんだけど、
まぁそれはテーマ的に難しかったんだろうけど、
今回はアフガニスタンの地に建設されたギリシャ人都市をテーマに、客観的な立場からテーマを整理して上手に伝えてた。
CGとかの特殊技術も効果的だったし。
僕はもう、見てる途中、うなるか感心するか驚くかしてばっかだった気がする。
世界史がひたすら熱い。
そして次回は仏教の中央アジアへの伝来とクシャン人の果たした役割みたいなテーマらしい。
あの「カニシカ王」である。
これはもうみるっきゃない。
池袋と水道橋に装備を買いに行った。
登山靴やシュラフなどは高校時代から持っていたので、
今日買ったのはザックや沢登りシューズ・ソックス類、マット、レインウェア、その他小物、など。
ザックはCERROTORREというメーカーの90リットルくらい入るやつ。
肩の高さが調節できるところと、しょった時の背中の感じが一番しっくりくるところから決めた。
それに縦長だけど、そんなに細すぎもしないのでパッキングも楽そう。
それ以外にも細かい部分のデザインにも気を使ってて、高校時代に先生とかのザックを見てて「これはいいな」と思ったものがたいていついてるのがよい。
マットは安い銀マットにしようかとも思ったけど、
僕は山に行って熟睡できたことないし、けっこう寝心地とか気にするたちなので、少し値の張る黒マットにした。
これなら銀マットより厚みがあって寝心地いいし、銀マットほどは滑らない。
ちょっとかさばるんだけど。
とにかく一度にいろんなものが手に入ってしまって、
今、実はかなりうきうき。
ただし、同時にかなりの額の金が目の前から消え去っていった。
きょうだけで6万近くも使ってしまった。
・・・痛い。
しかもパソコン買ったばかりなので普通預金がもう残ってなく、定期預金崩さなきゃっていう勢いで・・・。
それでもシューズやシュラフを持っていた僕はまだ安く済んだほうで、
一緒に行った1年生は11万円とか言われてた。
とにかく山の装備はめちゃくちゃ高い。
カラビナとかなんてただの金属製のわっかなのにどれも1000円くらいするし。
どんな装備にしてもこればこるほど値は上がっていくわけで。
はっきりいって暇な中高年以外に手が出る金額じゃない。
そんなんだから山にいく若者の数が減って、高齢者ばかりになっていくんだ、って思う。
そしてそんなんだから山での事故が増えていくんだ、ってちょっといいすぎだけど。
そうそう、ついでにだけど、NHKスペシャルの「文明への道」を見た。
1年間を通してシリーズでやってくらしくて、今日はその2回目。
これがものすごく面白い。
なんか、もう、「ロマンだ」って思う。
前回の1回目はアレクサンドロスの人間性にばっかり焦点が当たってて、一番のテーマであるギリシャとペルシャの文化交流についていまいち説得力を持って伝えきれてない気がしたんだけど、
まぁそれはテーマ的に難しかったんだろうけど、
今回はアフガニスタンの地に建設されたギリシャ人都市をテーマに、客観的な立場からテーマを整理して上手に伝えてた。
CGとかの特殊技術も効果的だったし。
僕はもう、見てる途中、うなるか感心するか驚くかしてばっかだった気がする。
世界史がひたすら熱い。
そして次回は仏教の中央アジアへの伝来とクシャン人の果たした役割みたいなテーマらしい。
あの「カニシカ王」である。
これはもうみるっきゃない。
岩トレ
2003年5月14日ワンゲルで、西武秩父線の高麗という駅の近くにある岩場に、岩トレに行った。
高麗の駅前には「天下大将軍」「地下女将軍」とかかれたトーテムポールみたいな赤い棒が立っていて、ひたすら意味不明だ。
っていうかちょっと怪しい。
まぁ、そんなことはどうでもいいとして。
岩トレでは高さ12〜3メートル位の垂直の岩場を登ったり、降りたりした。
これがめちゃくちゃ楽しい。
ザイルで安全は確保してるので、よっぽどのことがない限り危険はないはずなのだが、
それでも垂直の岩を自分の力で上り下りするのはそれなりに怖い。
足場を十分に取れなくて不安定な状態で立ち往生しちゃったときなど、一瞬ヒヤッとするときもある。
そんな瞬間の直後の「あ、今やばかったかも」という感覚がたまらなくいい。
気づくと気分がものすごく高揚している。
心臓とかなんかもうどきどきだ。
ちょっと癖になりそう。
またいきたい。
今日、大学で、高校の山岳部の顧問だった先生に会った。
彼は昨年で定年を迎え、今は嘱託教員として大学の近くの都立高校に勤めている。
今日は大学の学食に昼飯を食べに来たらしい。
っていうか、毎日そうしてるらしい。
確かに、うちの大学にはとても大学生とは思えないような年配の人とか、家族連れとか、そういう人がうろうろしている。
でも、だからって、都立高校の教員という立場で、
自分の教え子も通ってる大学の学食で堂々と昼飯を食べる先生っていうのもどうなんだろう、って思う。
けど、先生らしいそんな大胆さがちょっと懐かしかった。
高麗の駅前には「天下大将軍」「地下女将軍」とかかれたトーテムポールみたいな赤い棒が立っていて、ひたすら意味不明だ。
っていうかちょっと怪しい。
まぁ、そんなことはどうでもいいとして。
岩トレでは高さ12〜3メートル位の垂直の岩場を登ったり、降りたりした。
これがめちゃくちゃ楽しい。
ザイルで安全は確保してるので、よっぽどのことがない限り危険はないはずなのだが、
それでも垂直の岩を自分の力で上り下りするのはそれなりに怖い。
足場を十分に取れなくて不安定な状態で立ち往生しちゃったときなど、一瞬ヒヤッとするときもある。
そんな瞬間の直後の「あ、今やばかったかも」という感覚がたまらなくいい。
気づくと気分がものすごく高揚している。
心臓とかなんかもうどきどきだ。
ちょっと癖になりそう。
またいきたい。
今日、大学で、高校の山岳部の顧問だった先生に会った。
彼は昨年で定年を迎え、今は嘱託教員として大学の近くの都立高校に勤めている。
今日は大学の学食に昼飯を食べに来たらしい。
っていうか、毎日そうしてるらしい。
確かに、うちの大学にはとても大学生とは思えないような年配の人とか、家族連れとか、そういう人がうろうろしている。
でも、だからって、都立高校の教員という立場で、
自分の教え子も通ってる大学の学食で堂々と昼飯を食べる先生っていうのもどうなんだろう、って思う。
けど、先生らしいそんな大胆さがちょっと懐かしかった。
山登り
2003年5月4日山からは2泊3日で帰ってくる予定だったが、
2日目にとまる予定だった無人の山小屋が廃墟同然だという話を聞いたり、
かなり速いペースで歩けていたりしたこともあり、
2日目の今日に下りてきちゃうことにした。
その結果、今日は1日で12時間近くも歩くことに。
大変だったけど、それだけ歩けたことでちょっと自信もついた。
山はやっぱりいい。
下界にいる間は常にわりとめんどくさがりなぼくだけど、
山にいるときは気分がしゃきしゃきしてくる気がする。
もくもくと体を動かし歩いているということが素直に気持ちよかった。
これまで山の魅力といえば、
岩場だったり、
高いところからみる景色だったり、
ほてった体に吹き付ける風の爽快感だったりと、
登山全体というよりは、そこからえられる2次的なものを主に考えてきたけど、
慢性的な運動不足だった浪人期間を終えて、自由に山に登れるようになって感じるのは、
歩くことそれ自体が楽しい、ということ。
そりゃ時には息が切れて苦しくなるときもあるし、
一度歩き出したら元には戻れない。
どんなに頭を使っても楽に登りきったり、歩くべき距離を短縮したりすることはできない。
それでもただ一歩一歩歩き続ければいつかは目標に到達することができる。
だから余計な事は考えずにただ黙々と歩みを進める。
登山口からはるか遠くに見えた山頂が、いつの間にか自分の足の下にある。
山の壮大さに比べると絶望的なほどに小さな自分の一歩一歩が、それでも確かにそれを可能にしているんだ、と感じる。
自分にはたくさんいやなところがあって、それは自分自身がおそらく誰よりもよく知っていることなんだけど、
それをふまえても、僕は歩いている時の自分は好きだ、と言える。
そんな感覚。
もっともっと山に登りたいなとおもった。
2日目にとまる予定だった無人の山小屋が廃墟同然だという話を聞いたり、
かなり速いペースで歩けていたりしたこともあり、
2日目の今日に下りてきちゃうことにした。
その結果、今日は1日で12時間近くも歩くことに。
大変だったけど、それだけ歩けたことでちょっと自信もついた。
山はやっぱりいい。
下界にいる間は常にわりとめんどくさがりなぼくだけど、
山にいるときは気分がしゃきしゃきしてくる気がする。
もくもくと体を動かし歩いているということが素直に気持ちよかった。
これまで山の魅力といえば、
岩場だったり、
高いところからみる景色だったり、
ほてった体に吹き付ける風の爽快感だったりと、
登山全体というよりは、そこからえられる2次的なものを主に考えてきたけど、
慢性的な運動不足だった浪人期間を終えて、自由に山に登れるようになって感じるのは、
歩くことそれ自体が楽しい、ということ。
そりゃ時には息が切れて苦しくなるときもあるし、
一度歩き出したら元には戻れない。
どんなに頭を使っても楽に登りきったり、歩くべき距離を短縮したりすることはできない。
それでもただ一歩一歩歩き続ければいつかは目標に到達することができる。
だから余計な事は考えずにただ黙々と歩みを進める。
登山口からはるか遠くに見えた山頂が、いつの間にか自分の足の下にある。
山の壮大さに比べると絶望的なほどに小さな自分の一歩一歩が、それでも確かにそれを可能にしているんだ、と感じる。
自分にはたくさんいやなところがあって、それは自分自身がおそらく誰よりもよく知っていることなんだけど、
それをふまえても、僕は歩いている時の自分は好きだ、と言える。
そんな感覚。
もっともっと山に登りたいなとおもった。
疲れる
2003年5月2日金曜日の授業は、
スポーツ方法、ドイツ語、線形代数、ドイツ語初級B。
1限のスポーツ方法の種目はフライングディスク。
いわゆるフリスビーというやつだ。
スポ方はテニスやサッカー、ソフトボール、バレーなどいろんな種目の中から好きなものを選べるのだが、
僕の場合、やりたかったソフトボールや軟式野球などが必修の授業と重なってとることができず、
そのほかのメジャーなスポーツはやる気がなかったので、
中で一番楽そうで、初めての人が多そうで、ちょっとレアな感じがかっこよいフライングディスクを選んでしまった。
第1希望にしながらも、提出した瞬間からそんな変な種目を選んでしまったことに後悔していたし、できれば抽選に外れてほしいなとも思ったのだが、
案の定というかなんというか、
あっさりフライングディスクに決まってしまった。
で、今日初めてディスクを投げてみたわけだが、
これがなかなか難しい。
バックハンドでの投げ方は何度かやったこともあって普通だったが(それでも円盤はなかなか思った方向に行かないものだが)、
フォアハンドでの投げ方というのがどうしてもうまくいかない。
握り方もいまいちしっくりこないし、
フォアにした瞬間に、水平にディスクを押し出すということが格段に難しくなる。
意識の上では水平に投げてるつもりなのに、押し出されたディスクはすぐに空中で斜めになってしまい、揚力をうしない失速する。
しかも二人一組になって投げ合うわけだが、
お互いに不慣れなため、相手に向かって投げようとしても、飛んでいく方向がとんでもなかったりするわけで、
そのたびにディスクを走って追いかけなくてはならない。
結果、授業の間中、常に走ってるか投げてるか。
ものすごく疲れる。
フリスビーなら楽だろうと思って選んだのに、とんでもない。
ちょっといきなり大失敗っていう感じです。
年間予定としてはフリスビーのいろんな種目に取り組み、最終的にはアルティメットというフリスビー版アメフトみたいなこともやるらしい。
疲れそう。
金曜日はドイツ語が2コマも入っている。
まぁ、入れたのは僕だけど。
第2外国語をやるのに、週2回の必修の授業じゃ足りないと思ってもうひとつ選択の会話重視の授業をとることにしたのだが、
やっぱり、1日に2コマはきついかも。
まだ何とか追いついてるけど、そのうち予習が追いつかなくなる気がしてとても怖い。
4限のドイツ語初級Bの方はネイティブのドイツ人ハーバーマイヤーが講師。
ハーバーマイヤーはわりと愉快なやつだとは思うけど、
なに考えてるか時々わかんないし、
英語とドイツ語ごちゃ混ぜで話をして、ほとんど日本語を使ってくれないので、いっていることもたまによくわからない。
疲れる。
授業始まって2週間ほどだけど、
うちの大学の授業は幸い、思ったより落ち着いている。
浪人時代に予備校講師や友人からは、私語がうるさすぎて講義がよく聞こえないような大学もあると聞いていたので、どの程度のものか心配していたが、
今のところ、授業中に私語を交わす人を見かけたことはないし、
授業も(面白さ・わかりやすさについて問わなければ)かなりスムーズに進行している。
周りの人の勉強に対する意識も、自分の口で言っているほどには低くない気もする。
なんだかちょっと安心した。
明日から友人がちゃと2泊3日で奥秩父東部の山に行く。
3日で歩くにはかなり無茶なコースで、2日目なんて10時間も歩くらしい。
無事に帰ってこれるのだろうか。
スポーツ方法、ドイツ語、線形代数、ドイツ語初級B。
1限のスポーツ方法の種目はフライングディスク。
いわゆるフリスビーというやつだ。
スポ方はテニスやサッカー、ソフトボール、バレーなどいろんな種目の中から好きなものを選べるのだが、
僕の場合、やりたかったソフトボールや軟式野球などが必修の授業と重なってとることができず、
そのほかのメジャーなスポーツはやる気がなかったので、
中で一番楽そうで、初めての人が多そうで、ちょっとレアな感じがかっこよいフライングディスクを選んでしまった。
第1希望にしながらも、提出した瞬間からそんな変な種目を選んでしまったことに後悔していたし、できれば抽選に外れてほしいなとも思ったのだが、
案の定というかなんというか、
あっさりフライングディスクに決まってしまった。
で、今日初めてディスクを投げてみたわけだが、
これがなかなか難しい。
バックハンドでの投げ方は何度かやったこともあって普通だったが(それでも円盤はなかなか思った方向に行かないものだが)、
フォアハンドでの投げ方というのがどうしてもうまくいかない。
握り方もいまいちしっくりこないし、
フォアにした瞬間に、水平にディスクを押し出すということが格段に難しくなる。
意識の上では水平に投げてるつもりなのに、押し出されたディスクはすぐに空中で斜めになってしまい、揚力をうしない失速する。
しかも二人一組になって投げ合うわけだが、
お互いに不慣れなため、相手に向かって投げようとしても、飛んでいく方向がとんでもなかったりするわけで、
そのたびにディスクを走って追いかけなくてはならない。
結果、授業の間中、常に走ってるか投げてるか。
ものすごく疲れる。
フリスビーなら楽だろうと思って選んだのに、とんでもない。
ちょっといきなり大失敗っていう感じです。
年間予定としてはフリスビーのいろんな種目に取り組み、最終的にはアルティメットというフリスビー版アメフトみたいなこともやるらしい。
疲れそう。
金曜日はドイツ語が2コマも入っている。
まぁ、入れたのは僕だけど。
第2外国語をやるのに、週2回の必修の授業じゃ足りないと思ってもうひとつ選択の会話重視の授業をとることにしたのだが、
やっぱり、1日に2コマはきついかも。
まだ何とか追いついてるけど、そのうち予習が追いつかなくなる気がしてとても怖い。
4限のドイツ語初級Bの方はネイティブのドイツ人ハーバーマイヤーが講師。
ハーバーマイヤーはわりと愉快なやつだとは思うけど、
なに考えてるか時々わかんないし、
英語とドイツ語ごちゃ混ぜで話をして、ほとんど日本語を使ってくれないので、いっていることもたまによくわからない。
疲れる。
授業始まって2週間ほどだけど、
うちの大学の授業は幸い、思ったより落ち着いている。
浪人時代に予備校講師や友人からは、私語がうるさすぎて講義がよく聞こえないような大学もあると聞いていたので、どの程度のものか心配していたが、
今のところ、授業中に私語を交わす人を見かけたことはないし、
授業も(面白さ・わかりやすさについて問わなければ)かなりスムーズに進行している。
周りの人の勉強に対する意識も、自分の口で言っているほどには低くない気もする。
なんだかちょっと安心した。
明日から友人がちゃと2泊3日で奥秩父東部の山に行く。
3日で歩くにはかなり無茶なコースで、2日目なんて10時間も歩くらしい。
無事に帰ってこれるのだろうか。
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はな
2003年5月1日一人暮らしをしている友達の部屋に遊びに、というか飲みに行ったら、
その子の部屋に花が飾ってあった。
毎週自分で取り替えているのだという。
なれない土地で一人暮らしをはじめて1ヶ月で部屋に花を飾れる余裕。
朝起きて学校行くまでの間の洗濯は忙しいらしいし、
毎日自炊するのはめんどくさいらしいし、
自分でいろいろ考えなきゃいけないのはとても大変だ、とその子はいうけど、
それでも生活のペースというか、ゆとりみたいなものはきっちり守っている。
すごく単純なことだけど、そんなことになんだかちょっと感動してしまった。
そういうことがすごく素敵だと思う。
よく考えてみると、我が家でも母親がどこからか調達してきたなんらかの花がたいていどこかに飾ってある。
それはいつも気にもかけないけど、毎日の生活を思い浮かべてみると、
僕たち家族の心の安定みたいなものに、大きな役割を果たしてくれてるんじゃないか、という気がする。
たとえば朝起きて、テンションがあがりきらないダルダル気分でふとそこにあった花が視界に入ったとき、
自分ではそうと気づかないにしても、ほんの少し明るい気分に僕らをさせてくれている。
家の中にほんの申し訳程度に飾ってある花には確かにそんな効果があるのかも。
その友達に、日常生活における花の必要性を熱弁されたからだけではないけれど、
将来一人暮らしをするときには、自分の部屋に花を飾れるくらいの精神的(&経済的)余裕は持っていられたらなと、ちょっと思った。
その子の部屋に花が飾ってあった。
毎週自分で取り替えているのだという。
なれない土地で一人暮らしをはじめて1ヶ月で部屋に花を飾れる余裕。
朝起きて学校行くまでの間の洗濯は忙しいらしいし、
毎日自炊するのはめんどくさいらしいし、
自分でいろいろ考えなきゃいけないのはとても大変だ、とその子はいうけど、
それでも生活のペースというか、ゆとりみたいなものはきっちり守っている。
すごく単純なことだけど、そんなことになんだかちょっと感動してしまった。
そういうことがすごく素敵だと思う。
よく考えてみると、我が家でも母親がどこからか調達してきたなんらかの花がたいていどこかに飾ってある。
それはいつも気にもかけないけど、毎日の生活を思い浮かべてみると、
僕たち家族の心の安定みたいなものに、大きな役割を果たしてくれてるんじゃないか、という気がする。
たとえば朝起きて、テンションがあがりきらないダルダル気分でふとそこにあった花が視界に入ったとき、
自分ではそうと気づかないにしても、ほんの少し明るい気分に僕らをさせてくれている。
家の中にほんの申し訳程度に飾ってある花には確かにそんな効果があるのかも。
その友達に、日常生活における花の必要性を熱弁されたからだけではないけれど、
将来一人暮らしをするときには、自分の部屋に花を飾れるくらいの精神的(&経済的)余裕は持っていられたらなと、ちょっと思った。
今日の日記
2003年4月23日今日の授業は「経済学入門」と「国際社会と政治」。
「経済学入門」は1限目の授業。
8:50から始まる。
うちから学校へはチャリで飛ばして15分くらいなので、
今日は「こころ」を最後まで見てから8:35くらいに家を出たのだが、
ついてみるとすでに経済学入門の教室は一杯。
空席がひとつもない。
この授業は経済学部生だけでなく、
ぼくのような「ちょっとは経済学もかじっとこう」という他学部の学生もとろうとするため
やたら受講希望者が多いようだ。
しかも小規模なうちの大学にはあまり大きな教室がないため、
この授業で使われている教室ではとてもこの大量の学生分の席は確保できない。
ぎりぎりで教室に入った僕には席は残されておらず、
結局90分間立ち見で授業を受けることに。
メモを取るのが大変だった。
この講義もそのうち受講者も減ってくるだろうが、
さすがに「こころ」見終わってから1限目の授業に出席するのは無茶かな、と思った。
「国際社会と政治」は国際関係学の授業。
今日はイントロであまり面白くなかった。
午後からワンゲルの活動。
部活に参加するのは初めてだ。
沢登り技術に関するビデオを見た後、
トレーニングに行くというので、何をするのかと思っていたら、
大学とは少しはなれたところにある、大学所有の空き地みたいなところに行って
みんなでサッカーをやった。
「トレーニングってサッカーかよ」ってちょっと笑ったが、
何回も全力疾走を繰り返してボールを追いかけるのはかなりのいい運動になった。
というか、運動不足の身にはちょっとつらかった。
トレーニング終了後、学校に戻って沢登り用のロープワークを教わり、
その後新歓コンパをやってくれるというので参加した。
この部の飲みの雰囲気は、
ぎゃあぎゃあ騒いで、時にはコールかけたりしながらとにかく盛り上がる、という感じではなく、
まったりと話しながらそれなりに楽しむ、という感じで、
うるさすぎて隣の人とも大声を出さないと話せない、ということがなく、
そういうところはけっこう好き。
まぁ、この部に場の雰囲気を爆発的に盛り上げられる人材が足りないというせいもあるのだが。
今日来てた1年生は全部で9人で、
そのうち僕を入れて5人はおそらく入部するのだろう。
あとの4人はよくわからないけど。
今日は他の1年生の人と仲良くなれて楽しかった。
民謡
2003年4月22日今日の授業は二外のドイツ語と倫理学。
ドイツ語は発音の規則を一通り教わった後、
発音練習としてドイツ語の民謡を歌わされた。
Maikefer, flieg!
Dein Vater ist im Krieg.
Deine Mutter ist in Pommerland.
Pommerland ist abgebrannt.
Maikefer, flieg!
という歌で、メロディーもものすごく簡単で、
かわいらしい声の少女がこの歌を歌っているテープに合わせてみんなで2〜3回歌ったのち、一人づつ歌わされた。
しかも歌う順番はなぜか僕が一番最初だったし。
授業でいきなり独唱させられるとは思ってなかったので、ちょっと恥ずかしかった。
ちなみにこの歌詞の意味は
コガネムシ、飛べ。
お前の父さんは戦場にいる。
お前の母さんはポメラニアにいる。
ポメラニアは焼き尽くされている。
コガネムシよ、飛べ。
という感じ。直訳だけど。
ポメラニアは今のポーランドのあたり。
この民謡はドイツ人が聞くと思わず胸が熱くなってしまう大切な民謡で、
外国人がこの歌を覚えて歌っているのを聞くと感動してくれるよ、
と先生は言っていた。
メロディーは割りと明るいし、
テープで歌っている少女の声はとても無邪気なのだが、
そこからは想像できないほどに
歌詞の意味はとても暗く、それが背負っている歴史は重い。
日本の「シャボン玉とんだ」や「赤とんぼ」などの童謡がそうであるように、
世界各地の民謡や童謡というのはえてして、さまざまな歴史が背景にあって、
それをかわいらしいメロディーで覆っているところに、
それがもつもの悲しさが凝縮されているものだと思う。
そしてそうだからこそ、何世代にもわたって歌い継がれていく。
なんだかちょっと呆然としてしまう。
ドイツ語は発音の規則を一通り教わった後、
発音練習としてドイツ語の民謡を歌わされた。
Maikefer, flieg!
Dein Vater ist im Krieg.
Deine Mutter ist in Pommerland.
Pommerland ist abgebrannt.
Maikefer, flieg!
という歌で、メロディーもものすごく簡単で、
かわいらしい声の少女がこの歌を歌っているテープに合わせてみんなで2〜3回歌ったのち、一人づつ歌わされた。
しかも歌う順番はなぜか僕が一番最初だったし。
授業でいきなり独唱させられるとは思ってなかったので、ちょっと恥ずかしかった。
ちなみにこの歌詞の意味は
コガネムシ、飛べ。
お前の父さんは戦場にいる。
お前の母さんはポメラニアにいる。
ポメラニアは焼き尽くされている。
コガネムシよ、飛べ。
という感じ。直訳だけど。
ポメラニアは今のポーランドのあたり。
この民謡はドイツ人が聞くと思わず胸が熱くなってしまう大切な民謡で、
外国人がこの歌を覚えて歌っているのを聞くと感動してくれるよ、
と先生は言っていた。
メロディーは割りと明るいし、
テープで歌っている少女の声はとても無邪気なのだが、
そこからは想像できないほどに
歌詞の意味はとても暗く、それが背負っている歴史は重い。
日本の「シャボン玉とんだ」や「赤とんぼ」などの童謡がそうであるように、
世界各地の民謡や童謡というのはえてして、さまざまな歴史が背景にあって、
それをかわいらしいメロディーで覆っているところに、
それがもつもの悲しさが凝縮されているものだと思う。
そしてそうだからこそ、何世代にもわたって歌い継がれていく。
なんだかちょっと呆然としてしまう。
文学
2003年4月21日1週間の講義ガイダンスも終わり、今週から本格的に授業が始まる。
今日受けたのは、日本近代文学とリスニング。
文学は、
これまで小説をストーリーとしてでなく、文芸として読もうとしてきたことがなかったし、
また、どうすればそれをすることができるかもよくわからなかったので、
一度はそういう授業をとってみるのもいいのでは、位の気持ちでとることにした。
ガイダンスのときに先生が「成績は厳しくつけます」みたいな感じで脅かしていたので、
今日授業に来た学生は8人ほど。
ゼミみたいな人数だ。
その数を見た先生は「あぁ、これくらいならちょうどいいや」と満足そうにつぶやき、
来週からはゼミ用の教室を探してみる、などと言っていた。
なんだかよくわからないが、面白いことになりそうだ。
今日受けたのは、日本近代文学とリスニング。
文学は、
これまで小説をストーリーとしてでなく、文芸として読もうとしてきたことがなかったし、
また、どうすればそれをすることができるかもよくわからなかったので、
一度はそういう授業をとってみるのもいいのでは、位の気持ちでとることにした。
ガイダンスのときに先生が「成績は厳しくつけます」みたいな感じで脅かしていたので、
今日授業に来た学生は8人ほど。
ゼミみたいな人数だ。
その数を見た先生は「あぁ、これくらいならちょうどいいや」と満足そうにつぶやき、
来週からはゼミ用の教室を探してみる、などと言っていた。
なんだかよくわからないが、面白いことになりそうだ。
おにゅう
2003年4月15日大学生になったことだし、これまでためてきた貯金をはたいて自分専用のパソコンを買った。
これまで我が家では仕事用のパソコンを持つ父を除く家族4人が、ひとつのパソコンを共有して来た。
4人が4人ともさまざまな目的でパソコンを使うため、一人で自由にパソコンを使える時間はとても少なかった。
そんな環境では、大学生になってレポートとかを書かなきゃいけないときに困るだろうってんで、
まぁ、今回自分用のパソコンを買おうかねぇということになったというわけだ。
そんなわけで今日はおにゅうのパソコンでの初日記ってことで。
これまで我が家では仕事用のパソコンを持つ父を除く家族4人が、ひとつのパソコンを共有して来た。
4人が4人ともさまざまな目的でパソコンを使うため、一人で自由にパソコンを使える時間はとても少なかった。
そんな環境では、大学生になってレポートとかを書かなきゃいけないときに困るだろうってんで、
まぁ、今回自分用のパソコンを買おうかねぇということになったというわけだ。
そんなわけで今日はおにゅうのパソコンでの初日記ってことで。
沢のぼり
2003年4月14日大学のワンダーフォーゲル部の新勧ハイクに誘われて、沢登りに行ってきた。
うちの大学のワンダーフォーゲル部は山登りだけでなく、
沢登りや山スキー、南の島の探検(?)などもやっているらしい。
多分僕は山登りだけでなくアウトドアというフィールド自体がとても好きなので、
そういう活動は向いているんだと思う。
だから多分この部に入ることになるだろう。
まぁ、そんなわけで沢登り。
今日行ったのは丹沢の葛葉川というところ。
なんだか、沢のガイドブックにも初心者の入門コースと書いてあるくらいの簡単なコースだ。
けど、沢用のシューズやヘルメットを身につけ、
ザイルやハーネスなどの装備をちゃんとつけて滝をまかずに直登したりして、
それなりに沢登りを楽しめた。
そんなにすごい滝はなかったけど。
ただ、やっぱり僕は沢よりも山のほうが好きだなとも感じる。
沢っていうのは当然、谷になってる部分の底にあるわけだから、景色があまりよくないし
いろいろと岩場をクリアしたりするのに時間がかかるために、
普通に上るより、距離が稼げない。
だから「登った」という達成感に関して、ちょっと物足りなさが残るような気がする。
けど、まぁ、何度も沢に行って、
スキルを磨いていくにつれ、もっと面白さを感じられるようにもなるのだろう。
あと、今まで高校時代ではほとんどの山行で、
先生以外に年上の人がいない中、
かなり好きなように歩いていたけど、
大学では当然のことだが、一番下級生。
先輩たちに安全面や技術面でもっとも気を使われる立場であるし、
こちらとしても先輩たちに気を使わないといけないかなという気にもなる。
そのこと自体、やっぱりけっこうめんどくさいものだし、
それによって自分の好きなように自由にあるくということがいまいちできなかった気もする。
あぁ、なんか下級生ってめんどくさいなと思った。
そのうち、そういう先輩たちに気を使わずにすむようになるだろうけど。
うちの大学のワンダーフォーゲル部は山登りだけでなく、
沢登りや山スキー、南の島の探検(?)などもやっているらしい。
多分僕は山登りだけでなくアウトドアというフィールド自体がとても好きなので、
そういう活動は向いているんだと思う。
だから多分この部に入ることになるだろう。
まぁ、そんなわけで沢登り。
今日行ったのは丹沢の葛葉川というところ。
なんだか、沢のガイドブックにも初心者の入門コースと書いてあるくらいの簡単なコースだ。
けど、沢用のシューズやヘルメットを身につけ、
ザイルやハーネスなどの装備をちゃんとつけて滝をまかずに直登したりして、
それなりに沢登りを楽しめた。
そんなにすごい滝はなかったけど。
ただ、やっぱり僕は沢よりも山のほうが好きだなとも感じる。
沢っていうのは当然、谷になってる部分の底にあるわけだから、景色があまりよくないし
いろいろと岩場をクリアしたりするのに時間がかかるために、
普通に上るより、距離が稼げない。
だから「登った」という達成感に関して、ちょっと物足りなさが残るような気がする。
けど、まぁ、何度も沢に行って、
スキルを磨いていくにつれ、もっと面白さを感じられるようにもなるのだろう。
あと、今まで高校時代ではほとんどの山行で、
先生以外に年上の人がいない中、
かなり好きなように歩いていたけど、
大学では当然のことだが、一番下級生。
先輩たちに安全面や技術面でもっとも気を使われる立場であるし、
こちらとしても先輩たちに気を使わないといけないかなという気にもなる。
そのこと自体、やっぱりけっこうめんどくさいものだし、
それによって自分の好きなように自由にあるくということがいまいちできなかった気もする。
あぁ、なんか下級生ってめんどくさいなと思った。
そのうち、そういう先輩たちに気を使わずにすむようになるだろうけど。
今度、
2003年3月14日タイに行くことにした。
期間は今度の日曜から土曜まで。
受験が終わってから決めたことなので、展開がかなり急。
実は飛行機のチケット取ったのは昨日だし、
パスポートを受け取ったのが今日だったりする。
僕にとっては、初めての海外旅行である上に、初めての一人旅。
何をどういう風に、どれくらいの時期にやればいいのか、などよく分かっていないが、
とりあえず飛行機には乗れそうかなというところまで来た。
タイについてからの予定とか、宿泊するところなどはまだ何も考えていない。
もちろんタイ語なんてわかるわけがなく、僕の英語が通じるのかもわからない。
ていうか英語で話せるのかもわからない。
でもまぁ行ってみればなんとかなるんじゃないかな。
4月からは僕も大学生になるわけで、
大学生になったら、長期の休暇にはできるだけ色んなところを旅してみたい。
でも入学する前にいくらそう思っていたとしても、意志のそんなに強くない僕は、
ボーっとしているうちに時間が過ぎてしまい、
結局どこにも行かないうちに休みが終わってしまっているなんていうことにもなりかねない。
だからいつでも思い立った時に、ひょいひょいといろんな場所に旅にいけるようになっているには、
一度海外に行った経験があることが必要だと思う。
だから僕はこの時期にタイに行く。
別にタイに行って特に強く見たい場所があるとかいうわけでもないし、
観光の予定をばっちり決めて、その予定にぴったり合うように時間に追われて駆け回る、という作業にもあまり魅力を感じない。
なんとなく「試し」で海外に身をおいてみる、という感覚で充分だと思う。
一人で、しかも自分の母語が全然通用しない世界をうろつきまわるのだから、
受身の姿勢でいるわけにも、恥ずかしがっているわけにもいかない。
とりあえず、なにより、
「めんどくさい」って言わない。
そうすればなんとかなるだろ。
期間は今度の日曜から土曜まで。
受験が終わってから決めたことなので、展開がかなり急。
実は飛行機のチケット取ったのは昨日だし、
パスポートを受け取ったのが今日だったりする。
僕にとっては、初めての海外旅行である上に、初めての一人旅。
何をどういう風に、どれくらいの時期にやればいいのか、などよく分かっていないが、
とりあえず飛行機には乗れそうかなというところまで来た。
タイについてからの予定とか、宿泊するところなどはまだ何も考えていない。
もちろんタイ語なんてわかるわけがなく、僕の英語が通じるのかもわからない。
ていうか英語で話せるのかもわからない。
でもまぁ行ってみればなんとかなるんじゃないかな。
4月からは僕も大学生になるわけで、
大学生になったら、長期の休暇にはできるだけ色んなところを旅してみたい。
でも入学する前にいくらそう思っていたとしても、意志のそんなに強くない僕は、
ボーっとしているうちに時間が過ぎてしまい、
結局どこにも行かないうちに休みが終わってしまっているなんていうことにもなりかねない。
だからいつでも思い立った時に、ひょいひょいといろんな場所に旅にいけるようになっているには、
一度海外に行った経験があることが必要だと思う。
だから僕はこの時期にタイに行く。
別にタイに行って特に強く見たい場所があるとかいうわけでもないし、
観光の予定をばっちり決めて、その予定にぴったり合うように時間に追われて駆け回る、という作業にもあまり魅力を感じない。
なんとなく「試し」で海外に身をおいてみる、という感覚で充分だと思う。
一人で、しかも自分の母語が全然通用しない世界をうろつきまわるのだから、
受身の姿勢でいるわけにも、恥ずかしがっているわけにもいかない。
とりあえず、なにより、
「めんどくさい」って言わない。
そうすればなんとかなるだろ。
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発表
2003年3月10日志望校の合格発表の日だった。
10時ごろ家を出た。
入試要綱は受験が終わった直後にうっかり捨ててしまい、
合格発表についての詳細な情報がわからなくなってしまっていたが、
たしか10時に発表が開始されるというように記憶していた。
近くなので自転車で行くことにしたが、風が強く、こぐのがつらい。
去年の合格発表の時のことを思い出す。
あの時は合格する可能性についてはほとんど考えていなかった。
センターの得点も悪かったし、2次試験でも英語でこけていたし。
不合格を確認したとき、いかに狼狽を顔に表さず、クールにその場を立ち去るか。
自転車をこぎながら、そのためのイメージトレーニングを何度も繰り返していた。
そして実際に落ちた。
思えば、自分、ちょっと暗かった。
あれから1年。
去年よりは自信を持って自転車をこいでいる自分がいる。
大学が近付くとさすがに緊張の度合いが増す。
2年間の受験勉強。
その結果がもうすぐわかる。
いよいよだ。
自分の中でテンションがむやみに高まるのを感じた。
ところが。
大学の前に自転車を止め構内に入っていっても、人がほとんどいない。
校門のところにも、掲示板の前にも。
難関といわれる国立大学の合格発表だ。
しかもインターネットや電話での案内は行っていない。
発表開始と同時にものすごい数の受験生やその親が掲示板の前に押し寄せる。
在校生たちがサークルの勧誘のためその周りに群がる。
ラグビー部員かなんかがやたらと騒いでいる。
漠然とそんな様子を想像していた。
しかしそこには誰もいない。
なぜだ。
理由はよく分からなかったが、
まぁ発表がはじまった直後なんてこんなものなのかな。
それくらいに考えて、法学部のところで自分の番号を探す。
なぜか2次試験の番号ではなく、センター試験の受験番号で表示してあるのが、意外だった。
自分の番号を見つける。
あぁ…、あった…。
受かったのか?
いまいち実感が持てない。
どうもまわりに一人の受験生もいないのがとても気になる。
これでいいのか?
あとは事務室かなんかに行って、書類もらって帰るのか?
とその時、羅列される番号の上に
「後期試験1次審査結果」と書かれているのを見つける。
…な、なんだ。
後期のかよ。
そりゃ、センターの受験番号しか書いてないわけだ。
受かったと思っちゃったじゃん。
どうも場所を間違えたらしい。
前期の発表は別の場所でやってるのかな?
去年はここだったけど…。
校門の側に守衛さんがいるので、「すいません、前期の発表ってどこですか?」と聞いてみた。
「は?前期の発表は1時からじゃない?」
え…
間違えたのは場所じゃなくて、時間のほうだったらしい。
しまった。
かなりはずかしい。
「あ、そうですか。すいません、間違えました。」
それでもここで恥じ入る姿を見せては余計に笑われると思い、
頑張って、クールに見えるよう早口で言ったつもりだが、
おそらく僕の顔は真っ赤であったに違いない。
顔が熱かった。
思い起こせば、今年の僕の受験はこんなことの連続だった。
早稲田大学を受けに行った時には、時計と消しゴムを忘れた。
小論文に消しゴムがないのは、かなりつらかった。
中央大学に行った時には、試験前に時計のアラームを切り忘れ、
試験中にバッグがピロピロ鳴り出した。
運良く僕のバッグからの音だとはばれずにすんだが、
ばれたら退場させられても文句は言えないところだった。
慶応大学の2次の面接を受けに行った時には、受験票を忘れた。
これにはかなり焦った。再交付してもらったが。
そして今回。
いままで忘れ物はしても時間だけは間違えない、つもりだったのに。
まぁ、試験の日でなく発表の日でよかった。
仕方ないので、その辺で時間をつぶす。
当然母親には10時発表だといって家を出てきたわけで、
12時頃になっても連絡がこないのに心配になったのか、
「どうだった?」と不安げな声で電話してきた。
事情を話し安心させてやる。
1時になったので、もう一度大学に行ってみる。
そこでは想像どおりの光景が展開されていた。
発表開始と同時にものすごい数の受験生やその親が掲示板の前に押し寄せる。
在校生たちがサークルの勧誘のためその周りに群がる。
ラグビー部員かなんかがやたらと騒いでいる。
はっきりいって、うっとうしい。
出来ればそんな人たちとは関わりあわずにさっさと確認して帰りたい。
そう思って、足早に掲示板に近付く。
…。
こんどは間違いない。僕の番号が確かにそこにある。
受かったらしい。
やった。
掲示板に近付き番号をもう一度きちんと確認しようとした時、
気付いたらアメフトのユニフォームを着たやたら頑丈そうな(そしてちょっと汚らしい)男たちに囲まれていた。
「おおっっと、ちょっと待った。」
「ちょっと受験票貸して。」
「どこどこ?君の番号。」
「あ、あったあった。」
「あった!!」
「ごうかくぅぅぅーーーー!!」
「うぉぉぉーーーーー!!!」
え、と思うまもなくなんだかすごいテンションで勝手に番号を確認され、
やめて、というまもなくめちゃくちゃでかい声で万歳三唱をされ、
有無を言わせずに胴上げまでされた。
胴上げする時にはわざわざ僕の眼鏡を外してくれるところが手慣れていて笑える。
胴上げの後、アメフトの一人が書類を配っている場所まで案内してくれるのだが、
アメフトに連れられて歩く僕が合格者であることは一目瞭然なわけで、
歩く途中ものすごい数の人からサークルの勧誘や下宿・アパートのビラを渡される。
次から次へと。僕の手の中にねじ込むように。
あっというまに大量のビラがたまっていく。
その後、そのアメフトに合格記念の写真撮影までされ、
写真送るからと住所まで書かされ、
やっと解放された。
合格を確認した直後で頭がてんぱっている中ものすごい勢いで事態は進展し、
最後までそれを断ることが出来なかった。
じっくりひたろうと思っていた合格確認後の喜びも気付いたら急激に冷めてしまっている。
後には疲労感だけが残る。
2年間の受験勉強がやっと終わったのに。
なんだったんだ。
なんだかものすごく疲れた。
っていうか、あんなところで住所と名前を書いちゃってよかったのか?
書類をもらったのち、高校と塾の方に報告に行った。
チューターからは
「なんだか大きな波もなく落ち着いた受験だったね。」と言われた。
確かに自分でもそう思う。
この1年、特に大きなスランプもなく、
何かに激しく悩むこともなく、
模試の成績も常にわりと安定していた。
受けた大学は一応全部受かったし、
こうして志望校にも合格した。
もちろんだからって僕が苦労しなかったわけではないし、
それなりの努力をしてきたつもりだけど。
でもまぁ、確かに今年1年に関してはかなり緩やかに受験生活を乗り切ってきたといえるかもしれない。
落ち着いた受験だった。
とりあえず、合格できてうれしい。
10時ごろ家を出た。
入試要綱は受験が終わった直後にうっかり捨ててしまい、
合格発表についての詳細な情報がわからなくなってしまっていたが、
たしか10時に発表が開始されるというように記憶していた。
近くなので自転車で行くことにしたが、風が強く、こぐのがつらい。
去年の合格発表の時のことを思い出す。
あの時は合格する可能性についてはほとんど考えていなかった。
センターの得点も悪かったし、2次試験でも英語でこけていたし。
不合格を確認したとき、いかに狼狽を顔に表さず、クールにその場を立ち去るか。
自転車をこぎながら、そのためのイメージトレーニングを何度も繰り返していた。
そして実際に落ちた。
思えば、自分、ちょっと暗かった。
あれから1年。
去年よりは自信を持って自転車をこいでいる自分がいる。
大学が近付くとさすがに緊張の度合いが増す。
2年間の受験勉強。
その結果がもうすぐわかる。
いよいよだ。
自分の中でテンションがむやみに高まるのを感じた。
ところが。
大学の前に自転車を止め構内に入っていっても、人がほとんどいない。
校門のところにも、掲示板の前にも。
難関といわれる国立大学の合格発表だ。
しかもインターネットや電話での案内は行っていない。
発表開始と同時にものすごい数の受験生やその親が掲示板の前に押し寄せる。
在校生たちがサークルの勧誘のためその周りに群がる。
ラグビー部員かなんかがやたらと騒いでいる。
漠然とそんな様子を想像していた。
しかしそこには誰もいない。
なぜだ。
理由はよく分からなかったが、
まぁ発表がはじまった直後なんてこんなものなのかな。
それくらいに考えて、法学部のところで自分の番号を探す。
なぜか2次試験の番号ではなく、センター試験の受験番号で表示してあるのが、意外だった。
自分の番号を見つける。
あぁ…、あった…。
受かったのか?
いまいち実感が持てない。
どうもまわりに一人の受験生もいないのがとても気になる。
これでいいのか?
あとは事務室かなんかに行って、書類もらって帰るのか?
とその時、羅列される番号の上に
「後期試験1次審査結果」と書かれているのを見つける。
…な、なんだ。
後期のかよ。
そりゃ、センターの受験番号しか書いてないわけだ。
受かったと思っちゃったじゃん。
どうも場所を間違えたらしい。
前期の発表は別の場所でやってるのかな?
去年はここだったけど…。
校門の側に守衛さんがいるので、「すいません、前期の発表ってどこですか?」と聞いてみた。
「は?前期の発表は1時からじゃない?」
え…
間違えたのは場所じゃなくて、時間のほうだったらしい。
しまった。
かなりはずかしい。
「あ、そうですか。すいません、間違えました。」
それでもここで恥じ入る姿を見せては余計に笑われると思い、
頑張って、クールに見えるよう早口で言ったつもりだが、
おそらく僕の顔は真っ赤であったに違いない。
顔が熱かった。
思い起こせば、今年の僕の受験はこんなことの連続だった。
早稲田大学を受けに行った時には、時計と消しゴムを忘れた。
小論文に消しゴムがないのは、かなりつらかった。
中央大学に行った時には、試験前に時計のアラームを切り忘れ、
試験中にバッグがピロピロ鳴り出した。
運良く僕のバッグからの音だとはばれずにすんだが、
ばれたら退場させられても文句は言えないところだった。
慶応大学の2次の面接を受けに行った時には、受験票を忘れた。
これにはかなり焦った。再交付してもらったが。
そして今回。
いままで忘れ物はしても時間だけは間違えない、つもりだったのに。
まぁ、試験の日でなく発表の日でよかった。
仕方ないので、その辺で時間をつぶす。
当然母親には10時発表だといって家を出てきたわけで、
12時頃になっても連絡がこないのに心配になったのか、
「どうだった?」と不安げな声で電話してきた。
事情を話し安心させてやる。
1時になったので、もう一度大学に行ってみる。
そこでは想像どおりの光景が展開されていた。
発表開始と同時にものすごい数の受験生やその親が掲示板の前に押し寄せる。
在校生たちがサークルの勧誘のためその周りに群がる。
ラグビー部員かなんかがやたらと騒いでいる。
はっきりいって、うっとうしい。
出来ればそんな人たちとは関わりあわずにさっさと確認して帰りたい。
そう思って、足早に掲示板に近付く。
…。
こんどは間違いない。僕の番号が確かにそこにある。
受かったらしい。
やった。
掲示板に近付き番号をもう一度きちんと確認しようとした時、
気付いたらアメフトのユニフォームを着たやたら頑丈そうな(そしてちょっと汚らしい)男たちに囲まれていた。
「おおっっと、ちょっと待った。」
「ちょっと受験票貸して。」
「どこどこ?君の番号。」
「あ、あったあった。」
「あった!!」
「ごうかくぅぅぅーーーー!!」
「うぉぉぉーーーーー!!!」
え、と思うまもなくなんだかすごいテンションで勝手に番号を確認され、
やめて、というまもなくめちゃくちゃでかい声で万歳三唱をされ、
有無を言わせずに胴上げまでされた。
胴上げする時にはわざわざ僕の眼鏡を外してくれるところが手慣れていて笑える。
胴上げの後、アメフトの一人が書類を配っている場所まで案内してくれるのだが、
アメフトに連れられて歩く僕が合格者であることは一目瞭然なわけで、
歩く途中ものすごい数の人からサークルの勧誘や下宿・アパートのビラを渡される。
次から次へと。僕の手の中にねじ込むように。
あっというまに大量のビラがたまっていく。
その後、そのアメフトに合格記念の写真撮影までされ、
写真送るからと住所まで書かされ、
やっと解放された。
合格を確認した直後で頭がてんぱっている中ものすごい勢いで事態は進展し、
最後までそれを断ることが出来なかった。
じっくりひたろうと思っていた合格確認後の喜びも気付いたら急激に冷めてしまっている。
後には疲労感だけが残る。
2年間の受験勉強がやっと終わったのに。
なんだったんだ。
なんだかものすごく疲れた。
っていうか、あんなところで住所と名前を書いちゃってよかったのか?
書類をもらったのち、高校と塾の方に報告に行った。
チューターからは
「なんだか大きな波もなく落ち着いた受験だったね。」と言われた。
確かに自分でもそう思う。
この1年、特に大きなスランプもなく、
何かに激しく悩むこともなく、
模試の成績も常にわりと安定していた。
受けた大学は一応全部受かったし、
こうして志望校にも合格した。
もちろんだからって僕が苦労しなかったわけではないし、
それなりの努力をしてきたつもりだけど。
でもまぁ、確かに今年1年に関してはかなり緩やかに受験生活を乗り切ってきたといえるかもしれない。
落ち着いた受験だった。
とりあえず、合格できてうれしい。
今日の日記
2003年3月4日国立大の入試が終わって1週間。
発表が出るまで1週間。
微妙だ。
今は何をしてればいい時期?
後期の勉強をするべきなのか。
解放感に包まれてるべきなのか。
どうすればいいのかよく分からないので、とりあえず本を読んでごまかす。
あんまりボーっとしすぎて英文読むスピードが落ちるのも困るなぁと思う。
けど、こないだまで何度も何度も読みつづけた塾のテキストに目を通す気にはもうならない。
だから昨日はnewsweekの英語版を買いに行った。
日本語版で買うと400円。
英語版だと800円。
倍かよ。
今週号の表紙はノムヒョン。
のむひょんはひらがなで書くとものすごく間抜けっぽい。
でも同じ写真でも周りを英語に囲まれるとちょっと気持ち悪く見えるのはなぜでしょう。
妹の顔の目の前にいきなりのむひょんを付きつけたら叩かれた。
試験前の高校生は気がたってていやだねぇ。
朝、ニュースを見てたら松井が3安打1本塁打だとか。
すごい。
アメリカでの松井を見ていていつも思うのは、塁上で相手選手に話し掛けられたときの笑顔が堅いということ。
別に試合中に限らず、なんとか早く慣れようと頑張ってはいるものの、まだいまいち戸惑いが隠せないような。
でもそれは普通だと思う。
だって、日本人だもん。
おそらく街を歩いてて外国人に外国語で何か話し掛けられた時、半分以上の日本人が彼と同じような表情をするだろう。
それが日本人の典型だと思う。
もちろんそうでない人もいるけど。
野茂に佐々木に長谷川にイチローに新庄に…。
アメリカに行ってもまわりの人に自然に混じって、自然に会話し、自然に自己主張する。
いままでメディアで伝えられる日本人大リーガーはそんな人たちばかりだった。
(まぁ、影の苦労はあったんだろうけど)
けど日本人の多くはおそらくいきなりアメリカに渡って大リーガーとしてプレーしろといわれたら、
そんな風にはふるまえない。
なんとかなじもうと頑張って、でも初めから完全になじむことはできなくて、
そしてちょっとこわばった笑顔を浮かべてしまうんだろう。
だから、松井の戸惑ったような笑顔になんだかとっても親近感を覚える。
松井に関しては日本人大リーガーとしては「初めてのパワーヒッター」であることがやたらと強調される。
でもそれ以上に「初めての日本人っぽい日本人大リーガー」であることのほうが僕には気になる。
早く新しい環境に慣れて欲しいなと思いつつも、「日本人っぽさ」を改めて確認させてくれたところになんだかほっとするような。
発表が出るまで1週間。
微妙だ。
今は何をしてればいい時期?
後期の勉強をするべきなのか。
解放感に包まれてるべきなのか。
どうすればいいのかよく分からないので、とりあえず本を読んでごまかす。
あんまりボーっとしすぎて英文読むスピードが落ちるのも困るなぁと思う。
けど、こないだまで何度も何度も読みつづけた塾のテキストに目を通す気にはもうならない。
だから昨日はnewsweekの英語版を買いに行った。
日本語版で買うと400円。
英語版だと800円。
倍かよ。
今週号の表紙はノムヒョン。
のむひょんはひらがなで書くとものすごく間抜けっぽい。
でも同じ写真でも周りを英語に囲まれるとちょっと気持ち悪く見えるのはなぜでしょう。
妹の顔の目の前にいきなりのむひょんを付きつけたら叩かれた。
試験前の高校生は気がたってていやだねぇ。
朝、ニュースを見てたら松井が3安打1本塁打だとか。
すごい。
アメリカでの松井を見ていていつも思うのは、塁上で相手選手に話し掛けられたときの笑顔が堅いということ。
別に試合中に限らず、なんとか早く慣れようと頑張ってはいるものの、まだいまいち戸惑いが隠せないような。
でもそれは普通だと思う。
だって、日本人だもん。
おそらく街を歩いてて外国人に外国語で何か話し掛けられた時、半分以上の日本人が彼と同じような表情をするだろう。
それが日本人の典型だと思う。
もちろんそうでない人もいるけど。
野茂に佐々木に長谷川にイチローに新庄に…。
アメリカに行ってもまわりの人に自然に混じって、自然に会話し、自然に自己主張する。
いままでメディアで伝えられる日本人大リーガーはそんな人たちばかりだった。
(まぁ、影の苦労はあったんだろうけど)
けど日本人の多くはおそらくいきなりアメリカに渡って大リーガーとしてプレーしろといわれたら、
そんな風にはふるまえない。
なんとかなじもうと頑張って、でも初めから完全になじむことはできなくて、
そしてちょっとこわばった笑顔を浮かべてしまうんだろう。
だから、松井の戸惑ったような笑顔になんだかとっても親近感を覚える。
松井に関しては日本人大リーガーとしては「初めてのパワーヒッター」であることがやたらと強調される。
でもそれ以上に「初めての日本人っぽい日本人大リーガー」であることのほうが僕には気になる。
早く新しい環境に慣れて欲しいなと思いつつも、「日本人っぽさ」を改めて確認させてくれたところになんだかほっとするような。
じかん
2002年11月29日今日はセンター試験プレテスト。
大体の教科で時間が余るようになったけど、
数学だけはどうしても何問か解き残しができてしまう。
普段2次対策でだらだらと時間をかけて、とにかく答えを出す練習ばかりしてきて、
時間を早める公式とかそういうものを軽視してきたツケがでているのだと思う。
いつもなら多分簡単に解けるであろう問題も、
模試になると60分以内に解かなきゃという思いが空回りしてしまい、
やけに舞い上がって頭の回転が鈍くなってしまう。
我ながら小心者だなとつくづく感じる。
このままではだめだと思うが、
センター数学は頭の回転力というよりは、
精神力勝負みたいなもので、
テクニックと経験が物を言う。
直前になって本格的にセンター対策しだせば、
まぁ何とかなるだろう。
これがおそらく今年最後の模擬試験。
11月はほとんど毎週のように模試が入り、
やたらと大変だった。
まぁ、だからといってこんなところで達成感を感じても仕方ないのだが。
あと1週間でレギュラーの授業も終わる。
4月からもうすでに8ヶ月が過ぎたわけだけど、
なんだかやたらとあっというまだった気がする。
いつ何があったかとか、ろくに覚えてもいない。
毎日目が覚めたと思ったら、あっというまに授業が終わり、
あっというまに寝る時間を迎えていた。
ただただ、それの繰り返し。
このままだと3月までもあっというまだろう。
浪人生だからしょうがないけど、1年間がこんなに軽くていいのだろうか。
高1の時の担任だった中年の数学教師が、
「年を取れば取るほど、月日のたつのが速く感じられるものです。私なんて気付いた
ら40過ぎてましたから…。」と
妙に哀愁漂わせて語っていたのを思い出す。
大人の1年間なんてこんなものなのだろうか。
時間の中で生きている人間にとって、
その時間の量が小さくなっていくということは、
その分だけ、自分が持っていると思っていた可能性を奪われているということ。
それは昔、担任の話に笑っていた時に想像していたよりも
ずっとずっと淋しいものなのかもしれない。
大体の教科で時間が余るようになったけど、
数学だけはどうしても何問か解き残しができてしまう。
普段2次対策でだらだらと時間をかけて、とにかく答えを出す練習ばかりしてきて、
時間を早める公式とかそういうものを軽視してきたツケがでているのだと思う。
いつもなら多分簡単に解けるであろう問題も、
模試になると60分以内に解かなきゃという思いが空回りしてしまい、
やけに舞い上がって頭の回転が鈍くなってしまう。
我ながら小心者だなとつくづく感じる。
このままではだめだと思うが、
センター数学は頭の回転力というよりは、
精神力勝負みたいなもので、
テクニックと経験が物を言う。
直前になって本格的にセンター対策しだせば、
まぁ何とかなるだろう。
これがおそらく今年最後の模擬試験。
11月はほとんど毎週のように模試が入り、
やたらと大変だった。
まぁ、だからといってこんなところで達成感を感じても仕方ないのだが。
あと1週間でレギュラーの授業も終わる。
4月からもうすでに8ヶ月が過ぎたわけだけど、
なんだかやたらとあっというまだった気がする。
いつ何があったかとか、ろくに覚えてもいない。
毎日目が覚めたと思ったら、あっというまに授業が終わり、
あっというまに寝る時間を迎えていた。
ただただ、それの繰り返し。
このままだと3月までもあっというまだろう。
浪人生だからしょうがないけど、1年間がこんなに軽くていいのだろうか。
高1の時の担任だった中年の数学教師が、
「年を取れば取るほど、月日のたつのが速く感じられるものです。私なんて気付いた
ら40過ぎてましたから…。」と
妙に哀愁漂わせて語っていたのを思い出す。
大人の1年間なんてこんなものなのだろうか。
時間の中で生きている人間にとって、
その時間の量が小さくなっていくということは、
その分だけ、自分が持っていると思っていた可能性を奪われているということ。
それは昔、担任の話に笑っていた時に想像していたよりも
ずっとずっと淋しいものなのかもしれない。
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