今日は父の勤務先の中学校の体育祭だったらしい。

「放送機器の故障で少し間が空いちゃってさぁ、父ちゃんがもうちょっと若かったら、高校時代に鍛えた器械体操を披露してあげたんだけどねぇ。」

帰宅するなり、そんなことをのたまう父。

・・・もうちょっと若かったら、か。

 
50歳を越してもいまだに白髪が一本もない父。
僕や兄が着れなくなった、もしくは着なくなった服を、「俺が着れるかもよ。」と主張する父。
妹が見るような甘っちょろいテレビドラマを楽しみにして毎回欠かさず、下手すると夜の職員室とかで、見ている父。
あの年になってもいまだに甘いものが大好きで、スーパーに買い物に行こうものなら、必ず袋いっぱいのデザートを買ってくる父。

思えば父は、その年齢にそぐわず、気持ちだけは若さを異常なほど保ち続けてきた人間だった。気持ち悪いくらいに。『くらいに』っていうか実際に気持ち悪かった。そして自分がもう若くはないのだということを一切自覚していないようだった。少なくとも自らが老いていくことを認めるような発言をしたことは今までなかった。

そんな父が無意識のうちに「もうちょっと若かったから・・・」なんて言うとはね。

若かったら、かよ。

おいおい。
 
 
 
 
 
森絵都の「永遠の出口」を読了。
少女がふとしたきっかけからほんのちょっとずつ世の中の見方を変化させていく過程を、主人公の小学4年から高校卒業までの普通の日常を通して描いていく短編集。
なんだか柄にもなく胸がきゅんきゅんしてきた。
自分がついこないだ通過し終えてしまった10代という年代の貴重さを改めて感じる。
昔はそんなこと考えもしなかったのにさ。
なくしてしまってから分かるものさ、ものの価値なんてね。とかいって。
この手の児童文学が持つ緩さというか、甘さというか、やさしさというか、独特の空気がすごく好きだ。
自分は既にそんな空気を吸い続けることが許されなくなってしまっただけに、それに触れている時間がなんだか無性にいとおしいと思う。
無意味によっしゃ、がんばろ、って思ったり出来る。
それに児童文学の人って表現力がすごく確かだ。技巧とかの問題ではなく、ストレートに言葉そのものの素直さで、日々の生活を表現できる。読んでてすごく安心できるのを感じる。

そういや、もうすぐ、夏休みも終わり。
のんびり小説読んでられる時間もなくなるねぇ。

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