今日の日記
2002年10月12日南北戦争はもともと奴隷解放戦争なんかじゃなかった。
単なる清教徒中心の工業社会である北部と、
国教徒中心の農業社会である南部の利害対立の結果だ。
奴隷問題も焦点の一つとなってはいたが、
北部が奴隷解放を主張したのは主に、
これまで南部が独占していた大量かつ安価の黒人の労働力が解放されることを北部工業も必要としていたからであり、
400万と言う規模の、新たな工業製品市場の拡大が見込まれたからである。
一部に、人道主義から奴隷労働の実態を描いたストウ婦人とか、
奴隷の逃亡を援助する地下鉄道運動とかがあったらしいが、
それも一部に限られた話。
したがって南北戦争開戦当初は、今回の戦争は南部の独立戦争であると捉えられていた。
これにより、南部の士気は上がったし、ヨーロッパの世論も南部支持へと傾いていた。
自由貿易を唱えるイギリスなどは、
保護貿易を主張する北部よりも、南部との経済的結びつきが強く、
時のパーマストン政権は南部の独立を承認しようとさえしていた。
この動きを察したリンカンが、イギリスを牽制するために出したのが、奴隷解放宣言である。
これによって、南部の独立とそれを阻む連邦政府という構図は崩され、
当初は一焦点にすぎなかった奴隷解放問題が、一躍戦争の主役に踊り出る。
奴隷たちを家畜のように扱い使役する南部と、黒人たちの人権を守るために戦う正義の北部。
独立戦争から奴隷解放戦争へ。
見事な論点のすり替えが行われたのである。
正義と言う言葉の前に動きの取れなくなった英政権を尻目に、内外世論と黒人の支持を取り付けた北部は
南部を征服し、以後北部主導の国家統合を進めていく。
なんだかんだと、前置きがやたらと長くなってしまったが、
いつも世界史でこの個所を勉強していて思うのは、「正義の戦争」という言葉が今のアメリカでも全く同じように使われているなと言うこと。
テロ後のアメリカも、この言葉によって、国内世論をまとめて支持率をアップさせ、
諸外国をアメリカを支持せざるを得ない状況へと追い込んで、報復戦争へと突き進んだ。
「正義」「自由」「平和」。
国内だけの話に限れば、「愛国心」という言葉を加えても良い。
ほとんどの人間が、これらの言葉を使われると、その裏にどんなに汚い意図が隠されていようとも、
まるで金縛りにあったように、非難・抵抗することができなくなる。
この言葉に触れることは社会からの抹殺を意味するようになり、タブーがタブーを生んでいく。
全ての人間が自分以外の全員が乗っている大きな流れに乗り遅れまいと必死にならざるを得ず、
個々の人間が流れに乗った結果それが大きな流れとなり、
もうほとんど修正不可能な大潮流となって突き進む。
まさに魔法の言葉だ。
そして、今も昔もその魔法を使いつづけ、世界をリードするアメリカ。
この魔法にかかるのは、しかし、所詮は人々の弱さゆえのこと。
誰か1人でも、大きな流れに抗い、耐えられる人がいれば、そこから解決の糸口がつかめるのに、と思うのだが。
安保理決議はどうなるのだろう。
単なる清教徒中心の工業社会である北部と、
国教徒中心の農業社会である南部の利害対立の結果だ。
奴隷問題も焦点の一つとなってはいたが、
北部が奴隷解放を主張したのは主に、
これまで南部が独占していた大量かつ安価の黒人の労働力が解放されることを北部工業も必要としていたからであり、
400万と言う規模の、新たな工業製品市場の拡大が見込まれたからである。
一部に、人道主義から奴隷労働の実態を描いたストウ婦人とか、
奴隷の逃亡を援助する地下鉄道運動とかがあったらしいが、
それも一部に限られた話。
したがって南北戦争開戦当初は、今回の戦争は南部の独立戦争であると捉えられていた。
これにより、南部の士気は上がったし、ヨーロッパの世論も南部支持へと傾いていた。
自由貿易を唱えるイギリスなどは、
保護貿易を主張する北部よりも、南部との経済的結びつきが強く、
時のパーマストン政権は南部の独立を承認しようとさえしていた。
この動きを察したリンカンが、イギリスを牽制するために出したのが、奴隷解放宣言である。
これによって、南部の独立とそれを阻む連邦政府という構図は崩され、
当初は一焦点にすぎなかった奴隷解放問題が、一躍戦争の主役に踊り出る。
奴隷たちを家畜のように扱い使役する南部と、黒人たちの人権を守るために戦う正義の北部。
独立戦争から奴隷解放戦争へ。
見事な論点のすり替えが行われたのである。
正義と言う言葉の前に動きの取れなくなった英政権を尻目に、内外世論と黒人の支持を取り付けた北部は
南部を征服し、以後北部主導の国家統合を進めていく。
なんだかんだと、前置きがやたらと長くなってしまったが、
いつも世界史でこの個所を勉強していて思うのは、「正義の戦争」という言葉が今のアメリカでも全く同じように使われているなと言うこと。
テロ後のアメリカも、この言葉によって、国内世論をまとめて支持率をアップさせ、
諸外国をアメリカを支持せざるを得ない状況へと追い込んで、報復戦争へと突き進んだ。
「正義」「自由」「平和」。
国内だけの話に限れば、「愛国心」という言葉を加えても良い。
ほとんどの人間が、これらの言葉を使われると、その裏にどんなに汚い意図が隠されていようとも、
まるで金縛りにあったように、非難・抵抗することができなくなる。
この言葉に触れることは社会からの抹殺を意味するようになり、タブーがタブーを生んでいく。
全ての人間が自分以外の全員が乗っている大きな流れに乗り遅れまいと必死にならざるを得ず、
個々の人間が流れに乗った結果それが大きな流れとなり、
もうほとんど修正不可能な大潮流となって突き進む。
まさに魔法の言葉だ。
そして、今も昔もその魔法を使いつづけ、世界をリードするアメリカ。
この魔法にかかるのは、しかし、所詮は人々の弱さゆえのこと。
誰か1人でも、大きな流れに抗い、耐えられる人がいれば、そこから解決の糸口がつかめるのに、と思うのだが。
安保理決議はどうなるのだろう。
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