今日は・・・。

2001年11月17日
今日は、うちの高校の百周年記念式典だったみたいです。

僕は行かなかったんですけど。


言い訳になるけど、
いこうと思ってたんです。
木曜日に全校生徒が体育館に集められて、
『式典に当たっての注意』を聞かされるまでは。

最悪でした。
気分が悪くなった。
別に、誰に対してってわけではないけど、怒りが込み上げてきた感じ。

入学式までは座ったままテープを流すだけだった国歌斉唱が、
起立した状態でのそれに変わるとか言うし。
いままで、この学校で聞いたこと無かった
『高校生らしい服装と態度』なんて言葉を、
うちの学校でその手の言葉が一番似合わないと思われる先生から聞くことになるし。
当日は卒業生を中心に、来賓が200人ほどきて、
そういう人が注目するのは現役高校生の姿なんだから、
充分気をつけるように、とかって言われるし。

うちの高校はこれまで、わりといろんなことが生徒の自主性にゆだねられていて、
生活指導とか、その手のことが行なわれたことは、ほとんど無かった。

それが(来賓のたくさんくる)百周年記念式典だからって、
先生方のこの(微妙な)気合の入りよう。

先生たちもほんとはこんなこといいたくなんだけど、しょうがないから言わされてます、
みたいな態度がみえみえ。
うちの高校は普段、先生たちもわりと自由にお仕事してるように見える事が多いのに、
そんな先生たちが上から言うことを聞かされてるところなんて、見たくなかった。
なんか、かわいそうになってくる。

そこには、当然、
式典における、
っていうか、学校生活における、『秩序』を、
重んじていきたい教育委員会の意向が反映されているのだろう。
先生もそんなことをほのめかしていたし。

そう、国歌斉唱にしても、式典前の指導にしても、
結局は上からの押しつけ。
そんな波がうちの高校にまで押し寄せてきたのだなと思うと、
なんかむかつく。


しかも、うちの学校はかつての東京府立第2中学校、
都内有数の進学校としての栄光の時代を知る卒業生などというものは、
えてして、学校運営に我がことのように口を出すのが大好きらしい。

今回の式典でも、
自分の母校の『後輩』たちの現在の姿を観察し、
『昔はこうだった』などと偉そうに評して帰るのだろう。

考えただけで反吐が出る。

この学校で学び生活するのは僕たちなのに、
なんで卒業した人たちに言いたいこと言われなきゃいけないんだろう。
そんな人たちをがっかりさせないように、
普段の生活をこわしてまで『高校生らしく』ふるまわなくてはならないんだろう。

『昔はこうだった』なんてどうでもいい。
今、僕たちはこういう風にやりたいから、
現在、こんな学校になっているんだ、
そのことくらい認めてくれてもいいと思う。

行事の規模・レベルが低下してるのだって、
我が校独自のカリキュラムが廃止されてるのだって、
進学校としてのレベルが下がる一方なのだって、
かつて、うちの高校の生徒が普通にこなせていたことが、
現在の生徒には手に余るようになってしまったからというだけのこと。
そして、それは生徒たちの一つの選択。
そりゃ、そういう流れを止めようとする生徒もいるけど、
現実に大勢がそうなっているのだからしょうがない。
同じ高校でも、時代が変わればそこに通う生徒の質もレベルも変わる。
そうであるなら、自分たちの間尺にあった高校生活を送るしかしょうがないのだ。

愛校心はいいけれど、
かつて自分のものであったもの、かつて自分の愛したものが、
いつまでも自分の思い通りになると信じて疑わない、
そんな人たちって、
人間として、現代人として、どうかと思う。
っていうか、かっこ悪い。


だいたい、現役の生徒に『百周年だから祝え』とか言うのも無理があると思う。

そりゃ、大昔うちの高校に通っていたじいさんばあさんは、
自分の母校が百周年を迎えたらうれしいだろうと思う。
誇らしいだろうと思う。
けど、僕たち現役生にしたら、この高校の存在を知ったのでさえ、
せいぜい4〜5年前。
だから、自分的には、この学校もまだ5周年でしかない。
それなのに、いきなり、この学校は百周年だ、とかいわれても、
実感なんてわくわけない。
うれしくも誇らしくも何ともない。
自分としては、
『百周年と言う節目の年に、自分が居合わせるなんて、ラッキー♪』なんて
単純に喜ぶような性質でもないし、
受験前にそんな気分になれるわけない。

だからじいさんばあさんが、どうしても母校の百周年を祝いたいのであれば、
じいさんばあさんだけでやればいいのであって、
学校の教職員まで働かせたり、
貴重な授業時間減らしたり、
生徒の参加を強制したりする必要はない。
そんな極めて個人的で主観的な式典に、
教育という場が利用されてもいいのだろうか。
何はともあれ、えらいいい迷惑だ。


そして、そんな卒業生たちの、そこまで百周年に気合を入れる動機が、
おそらくは自らのプライドや自己満足のためであろう、ということが一番むかつく。

そういう奴らって、
なぜか都立高校全てに妙なライバル意識を燃やしている。
特に旧制府立中じだいからある高校に対しては。
あの高校には、大学進学実績で負けるわけにはいかないとか、
あの高校は出来てまだせいぜい30年くらいのくせにとか、
あの高校で取り入れられた制度が、なぜうちの高校には取り入れられないのかとか。

現在の自分の生活に関わるようなことは何もないのに、
母校だ、というだけでなぜかやたらとうちの高校の行く末を案じてくれている。
それは結局、自分がかつてそこに在籍していたと言う事実があるから。
自分の経歴の中に、この高校の名がある限り、
この高校は常に他校に比べて優位になくてはならない。
世間の高い評判を獲得していなければならない。
ようするに、そういう論理なのだろう。

そんな彼らにとって百周年式典は、
高校の歴史を誇示するのにはうってつけだ。
そりゃ、気合も入るだろう。
4年前から準備をしちゃったりもするだろう。

でも、だからって、関係ない僕たちまで巻き込むのはやめてほしい。
そう思うのである。
 
 
 
とりあえず、百周年式典について考えれば考えるほど、
腹が立ってくる。
我ながら若いなと思うが、実際に腹が立つのだからしょうがない。

そんなわけで、今日、会場の市民会館に向かうだけの意義付けを
自分の中に見出すことが、結局出来なかった。

手っ取り早く言うと、サボりました。

そんな前生徒会長。

何はともあれ思ったことは、
こんな下らないことに、思考力とエネルギーを費やしてしまったな、ということ。

あぁ、やだやだ。

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