今日は雨。
久しぶりに電車で登下校。

帰り。
雨の日に、一人で電車乗るのは、
なぜだか凹む。

たった今、
駅で見かけたけれど無意識のうちに避けてしまった背中が、
頭を離れない。


よくわかんないけど、
自分の過ごした年月を象徴するものって、あると思う。
「これを見るとあの頃を思い出す」とか、
「あの頃あんなことをしてたから、今僕のそばに、これがある」みたいなものとか。

人にとっては何てことなくても、自分にとっては意味があるようなもの。

例えば、昔書いた作文とか、
委員会のミーティングのために夜通しかけて作った資料とか、
一ヶ月くらいほとんどそれだけに費やした生徒会の予算案とか、
夏休み中毎日のように練習した演劇の台本とか。

それから、あとは、
その頃を一緒に過ごし、
信頼して一緒にそれらを作り上げてきた友達とか。

そういうのが、仮に、自分の手元からなくなったとしたら、
それらが象徴する自分の思い出はどうなるんだろ。

別に、消えるとは思わないけど、
自分の中にしまっとけばいいだけの話だけど、

けど、そんな時、僕はそれらの思い出を、
リアリティを伴った自分の過去として、今までどおり、認識していけるだろうか。
現在の自分とその頃の自分とを比較したときに、
その明確な位置付けを自信を持ってすることができるだろうか。

なにより、自分の過ごした日々を実証するものを、自分以外に過去を共有できるものを、
何も持たないで、虚しさを感じずに生きていけるだろうか。


もうすぐ、
毎日のようにこの街に通う生活も、終わるらしい。
(あ、大学受かればの話ね)

ふと、不安になる。
 
 
 
だから、雨の日の電車は嫌いだ。

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