3月12日の日記

2005年3月12日
「まあ、私はここにいるから。」

って言われた。メールで。

 
やばい。うれしい。

男女間の

2005年1月30日
こんな友情がよく今までもったもんだ、と思う。

そして、おそらくは今後相当長いこと続くであろう事を考えると、
多少憂鬱になる。

それとも、こいつがそういう人間関係の機微を理解できる日が来るのだろうか。
そして僕が、もうすこし自分に自信をもって人と接することができる日は来るのだろうか。

今日も、こいつと話してちっちゃく傷ついた。
傷跡をなでながら笑顔をこしらえるのにも、もうずいぶん慣れてきたんですけど。

ジワ

2005年1月28日
悲しくて泣く

 
というのは、すごい久しぶりだ。
っていうか、前がいつだったのか記憶にない。
悔しくて泣いたことなら何回か思い出せるけど。

長いことそれは、僕の中では文学上の一概念でしかなかった気がする。
実際にそんなことがありえるのだ。

なんだか中途半端で、
顔を伝ってく液体が気持ち悪く、
自分を哀れむことができるわけでもなく、
女々しい自分がやたらと恥ずかしいのと悔しいのと、
ただまぁ一人だったからいいかなという安堵と。

 
でもまぁ、泣くっていうことは心のどこかに、
最悪の事態は避けられたという思いがあるのだろう、
とも思う。

レポート

2005年1月17日
ああ、あと提出時間まで4時間で、2000字たりないのか。

多分、今まででもっとも気合の入ってないレポートだと思う。
そして出来上がりは最悪だろうとも。

「現代社会文明論」
畑違いに首突っ込むべきでない。
ってことなのか。

なんて、まだ自分の畑すら十分に耕せてないくせに。

教習所

2005年1月14日
第1段階が終わった。

けっこう時間かかった。
冬休み中にもっと進んどくんだった。
 
 
運転。あまり楽しくない。

新年

2005年1月1日
2005年。

年越しはバイト先のファミリーマートだった。
しかも雪。

なんかもう、どうでもよい。

2時の勤務終了後に彼女と初詣に湯島天神まで行った。
寒かった。

 
思えば2004年は2003年に比べると、
驚くほど短い一年だった。
中身が薄かったせいか。
2003年が長すぎたのか。

なんだかんだでゆるゆると生きている。
しばらく忘れてた。この日記。

なんとなく、今日とおとといの日記を書いてみる。

多分3週間後にはまた忘れてる。

最近、プログラミングを『計算機概論』の授業で習ってる。
今学期に入ってからだけど。
C言語。

そんなのやるの初めてだけど、ちょっと楽しい。

「ちょっと」っていうか、人一倍飽きっぽい僕にしては、
「はまっている」という領域に入るのではないかと思う。
まぁ、じき飽きるだろうけど。

残念ながら週1の授業では進む速度が非常に遅いので、
買わされたテキストを自習してがんがん進んでたりする。

こないだはオセロゲームもどきを作ってみた。
できたことはできた。
いちおう四方八方全部ひっくり返ってくれた。
けど何回か先手後手を一人で分担して指していると、
パソコンがフリーズする。
プログラムが長すぎたのかな。
「ひどいっ!」って思う。

文系の哀しさ。
一つの言語として理解することはできても、
その人工の言語を言語たらしめているシステムについては全く理解できていないのだ。
そして文系学部しか存在しないうちの大学には、
解決策は、少なくとも自分の近くには見当たらない。

理系の友達が欲しいなって思う。

同級生

2004年12月3日 日常
最近僕のバイト先に高校のときの同級生が入った。
しかも3年生のとき同じクラスだったらしい。
吹奏楽部のClパートのY田さん。

最初に会ったのは、
彼女が事務所で面接しているところに僕が入っていき、ユニフォームを着て店に出ようとした時。
「あの、この人知ってるんですけど。」
突然声がかかるので、見てみると確かに見覚えが。
けど名前は覚えてない。

「あぁ、うん。・・・。顔は覚えてる。」
そんなことを言った気がする。
思い出してみると失礼な話だ。
未だに、シフトが一緒になるたびに、
名前を覚えていなかったことについて文句を言われる。
なんだか聞いてみると、隣の席だったこともあるらしい。
「たまに『あ、寝てるなぁ』と思って隣の席から見てたりしたよ」とか言ってくる。
そんなこと言われても困るけど。

それ以来バイトで会ったらたまに話す。

Y田さんは面白い。
何が?ときかれると困るけど、
いつもものすごい不自然な丁寧語で話しかけてくるところとか、
「わたし、シャイなの・・・。」って言うところとか、
「高校の人とはまだ連絡取ってるの?」ってきいたら、
「え、わたし、そういうのめんどくさくて・・・。」って言うところとか。
挙動も常になんとなく不審だ。
言葉じゃうまくいえないけど。

なんていうか、いわゆる『切れ者』ばかりのうちの大学には絶対いないタイプ。
けど、そんなキャラクターは高校時代にはたくさんいた気がする。
要するに彼女を見てると、
高校時代の雰囲気に触れてるようなちょっと懐かしい気分になる。

フッ・・・。
って思う。

将来について

2004年12月1日 日常
多分、子供は持たないと思う。
少なくとも今の段階で自分の生活の中に、自分の子供がいたらいいなとはまったく思っていない。
子育てにそんなに魅力を感じないし、
適性があるとも思わないし、
コストもかかるし。

でも、自分の性格上、
好きな女の人を人生のパートナーにすることはあると思う。
わりと、自分のこと語りたがりだし、
寂しがりやだし、
そういう関係にいるほうが安心できる方だし。

ただ、一緒に暮らすというのはどうなのかなと思う。
何十年も毎日顔をつき合わせて生活するということになると、
『好きな女の人』とかそういう雰囲気ではなくなる気がする。
すぐそばにいつでも話せる相手がいる環境は魅力的だと思う反面、
「家族」という関係になることはデメリットもあるのではないだろうか。
一長一短と言うところか。
少なくともお互いに自立できるだけの経済状況にある限りはほかの選択肢もあるように思う。

そもそも「育児」ということを前提にしなければ、
「夫婦」という生活形態を選択することのメリットは、そのデメリットに対してどれほど大きいだろうか。
いや、もっと言うと、結婚することに「法律関係における一ユニットを形成する」ということ以外に、
どんな意義があるのだろうか。
そんなことを考える。

別に、結婚に意義がない、と考えているわけではない。
形式的には戸籍制度上の手続きでしかない結婚を、
これだけ多くの人が、人生における一つの到達点として、当然のことのように受け入れているのは、なぜだろうか。
どんな要因があるのだろうか。
ということが疑問であるというだけだ。

ぱっと思いつく
「『独身でいること』に対する社会的なプレッシャー」や、
「国家の政策による結婚(出産)の奨励」とかではなしに、
個人のレベルでの結婚志向はどういう風に説明ができるのだろう。

それを解明することが、将来の生活のあり方を考える上で必要だと思うんだけど、

でもそういうことって、ほんとの意味では、結婚してみないと分からない気がする。

っていうか、それ以前に、
こんなのんきな議論ができるのも今のうちだけなのかも。

能登半島

2004年8月26日
4泊5日で彼女と旅行に行ってきた。
行き先は富山と能登半島。
富山では彼女の母校や昔住んでた家などを見せてもらい、
能登では、
能登のシンボルといわれているらしい見附島や
先っぽの禄剛崎や、そこで行われていたトライアスロン大会や、
白米というところにある千枚田や、
有名な輪島の朝市とかを見た。
18切符でテント泊というところからして相当の貧乏旅行だったが、
結構楽しかった。
珍しいものをたくさん見られたし。
「ド田舎」といって差し支えない地域だが、
田舎特有ののんびりした空気だとか、
生活の不便さとか、
そういうものも感じられた。

なんか大学はいってから、出かけるところといえば田舎ばかりだ。
人が多く集まるところにはほとんどいったことがない。
奈良くらいか。
生まれてからずっと東京都に住んできた自分にとっては、
衝撃的なことがたくさんあったし、
なかなかなじめないものも感じるが、
けっこういい体験になっている気がする。

いつも思うのは生きていくというのは複雑な作業だということ。
実際的にも、精神的にも。
負けそうになる。

夏合宿

2004年7月24日 日常
僕が所属する山登りサークルの今年の夏合宿は、8月1日〜8日。

コースは
信濃大町駅→高瀬ダム(入山)→烏帽子小屋▲
→烏帽子岳→野口五郎小屋▲
→野口五郎岳→水晶小屋→水晶岳(ピストン)→雲ノ平山荘▲
→鷲羽岳→三俣蓮華岳→双六岳→双六小屋▲
→槍ヶ岳→槍ヶ岳山荘▲
→上高地(下山)

 
ほとんどの行程が、去年、所属してたワンダーフォーゲル部の夏合宿で逆に歩いた道。
できれば避けたかったパーティーなのだが、
諸事情でやむなくこうなった。

今回僕が始めていく場所は、水晶岳と雲ノ平。

水晶岳は去年も予定に入っていたが、雨のため省略したところ。
リベンジなるか。

雲の平を初めて知ったのは高校生のとき。
朝のニュース番組でここからの中継をやっていて、
「どのコースを使っても2日以上かかる正真正銘の秘境」とかいうことで紹介されてて、
あの頃は「ひゃー。遠いんだー。」って思って、それ以降あこがれていた場所だが、
今考えると「到達に必要な日数2日間」自体はそんなたいしたことじゃない、っていう気がする。
そんなことよりも北アルプスの稜線上の登山道に開ける平原、っていうのがすごいと思う。
「スイス庭園」とか「ギリシャ庭園」とかいろんな場所があるらしい。
楽しみ。

っていうかそもそも去年の夏合宿はほぼ全工程を通じて、真っ白な霧、若しくは雨に周囲をさえぎられていたため、
せっかく北アルプスを縦走していたにもかかわらず、
全く景色を堪能できなかった。
そういう意味では初めてのつもりで楽しめるかも。

今年こそ晴れるといいな。

 
まぁ、その前に膨大なテスト範囲を何とかしなきゃいけないんだけど。 
大学図書館でレポートを書きつつ更新。

図書館では無線LAN対応のパソコンを持ち込めば、そのままでインターネットに接続できる。
「おーぷんあくせすふろあ」ってやつだ。

図書館内だから大量の書物がすぐそばで手に入るし、
さらにネットが使えることにより、
ネット上のウェブサイトの情報を取得できるのみならず、
学内だけで接続可能なオンラインデータベースから、
判例やら新聞・雑誌の記事やら論文やらを読むことができて非常に便利。
ボックス席には電源もあるしね。

レポート作成中にネットで遊びたくなるのは困りものだが・・・。
あ、一月以上かいてなかった。

とかいってる割にぜんぜん気にしてないけど。

選挙に行った。
前回の衆院選は「めざせ2大政党制」みたいな掛け声に流されてしまった口だけど、
今回はそこまでアバウトになれず
かといって個々の問題についての賛否がぴったりよいと思う候補者なんていないわけで、
そうとう迷ってしまった。

基本的に護憲の立場は守るべきだと思う。
解釈の広がりの歯止めとなる意味でも、
国際社会に与えるインパクトの意味でも。
自衛権については、解釈の範囲でこれまでやってきたわけだし、
それでそこまでの無理はないと思う。

ただし自衛隊の海外派遣は行うべき。
冷戦が終わり、イデオロギー対立が崩れ、
日本が何もしなくても平和憲法をそのままに守れる時代は終わった。
これからは世界の経済大国として、
日本も世界平和や紛争解決への貢献を積極的に行っていくというのが現実的だし、
またそうするべきだ。
平和憲法を掲げてるからって、
日本も恩恵を受ける国際公共財である世界平和の維持については、他国にお任せ、
というわけには行かないだろう。
それは対米追従とかそういう議論とは別の話だ。

しかしそのような国際社会から求められている海外派遣と、平和憲法が本来禁じる対外侵略とは全く違うものだ。
それが現在混同して論じられてしまうのは、
日本政治における平和主義者たちの伝統的な主張によるものだと思う。
大戦中の反省から自衛隊が外に出て行くこと、それ自体がタブーとされ、平和憲法もそのように解釈されてきた。
だから現在に至っても、国際貢献が求められる事案に関しては、そのような解釈に縛られるあまり、
次々に特措法が連発され、
その度に一方では自衛隊派遣への批判がもりあがり、
他方ではそのような現実と憲法との乖離が叫ばれる。
しかし自衛隊派遣が即、平和憲法に抵触するかというと、
そんな事はないのではないかと僕は思う。
自衛隊派遣はあくまで国際貢献であり、
戦争とは切り離して考えるべきだ。
したがって平和憲法と現実との乖離と特措法の連発を問題にするなら、
外に出ることそれ自体を不可とする解釈を改め、
海外侵略と海外派遣を区別することで対応が可能だと僕は思う。

ただし、いまのところ護憲と国際貢献の両方を唱える候補者はいないわけで、
結局は相対的に好ましいと思える候補者を選ぶことになる。

6月1日の日記

2004年6月1日
風邪引いた。
相変わらず急激な気温の変化にめっぽう弱い。
はぁ。なさけない。
今週末はまたサークルの人と鳳凰三山に行くというのに。
 

とりあえず、
暑いとどこで弁当食えばいいのかわかんないんですけど。

学食では食いたくない。
人が多いから。

なんか大学に入ってからさらに人ごみが嫌いになった気がする。
新宿とか渋谷とか歩いてるだけで気分が悪くなる。
こんなんで社会に出て行けるんだろうか。

最近
「対乳酸プロダクト 903」の「903」は「クエン酸」なんだということをはじめて知った。

5月23日の日記

2004年5月23日 日常
最近うちの大学の山友会という山登りサークルに顔を出しているのだが、
この土日でそこの新歓山行にいってきた。
山は八ヶ岳の編笠山、権現岳。

期待してたほど天気はよくなく、
特に今日は朝からかなりの激しさで雨が降り、
今日予定されていたコースをカットする羽目になってしまったが、
サークル全体の雰囲気もかなりつかめたし、
僕のいたパーティは男だけのやろパーで無難に上れたし、
いろんな人と仲良くなれてそれなりに楽しい山行になった。

去年所属してたワンゲルに比べるとかなりゆるい雰囲気で山登りをするサークルで、
そこはすごく楽。
けど、やっぱり山をやってるだけあって、
相当の変わり者ぞろい。
いろんな主張をする人がいてちょっと大変そうだった。
 
 
去年は山行に行ったときはほぼ毎回といっていいほど雨に降られたが、
今年1回目の宿泊山行で雨に降られてしまった。
なんか不吉。

援団再考

2004年5月19日 日常
昼休み、池で弁当を食っていたときのこと。

隣で話していた1年生二人の会話を何の気なしに聞いていたところ、
一方の高校時代やっていた部活動の話がどうも応援団についてのそれっぽい。
「すめ」やら「つけ」やらその他大量に存在する援団特有の不条理な決まりごとについて、
あれこれと説明している。
話を聞かされてる相手は
「えー!?ありえない!」
「何でそんなことやんなきゃいけないの?」
などとわめいている。

高校応援団なんてその実態はどこも大して変わらないもので、
同じような風習がどこの学校にも残っているのだろう。
なんだか彼らの話が妙に懐かしかった。

今から思えば、高校応援団は伝統芸能保存会のようなものであった。
あの無意味な動きの数々も、
不条理な上下関係も、
今時はやらない根性論も、
ほとんど手段が目的化してしまったようなあの肉体と精神の酷使は全て、
高校だけに語り継がれてきてそして今廃れ行く伝統芸能なのである。
だから援団の活動はそれを自分たちで体験し、下の代へと引き継ぐための、伝統芸能保存活動なわけだ。
保存会の活動の目的は、芸能を自分たちで体験することそれ自体なのである。
芸能の意味づけなんて関係ない。

まぁ要するにいろんな青春があるってことさ。

もうとっくに話題を変えた一年生たちの横で、さびしくひとりごちてみた。

べんとう

2004年5月18日 日常
いま、母親は父方の祖父母の看病で毎日忙しい。

だから僕の弁当を作っている暇はなく、
かといって外食することになると途端に金のやりくりが苦しくなる状況なので、
最近は自分で弁当を作るようにしている。
20歳にして初めて自作弁当で昼飯を済ます毎日だ。

今まで、弁当とはふたを開けるまで中身がわからないところがよいのだ、って言う感じがしてたから
自分で作って中身を全て把握している弁当というのはどういうものだろう、と思っていたが、
実際に作ってみると、中身がわかっているからってそんなにがっかりしない。
結構それはそれで楽しみなものだと思う。
毎日3品くらいはおかずを用意することにしているんだけど、
朝の朦朧とした頭で考え、自分で作ったものであるだけに、
なんとなくいつもの弁当より特別なものである気がしてくる。
短い昼休みだが、いい時間をすごせていると思う。

おやじ

2004年4月20日
友達が「今郵貯がマイナスなの」という。

郵便貯金は口座に金がなくなっても
10万円までなら普通の引き出し操作で借りられるらしい。

初めて知った。
 
 
思わず
「ずいぶん悠長だねぇ」とか言いそうになった自分が恥ずかしい。
刑法の授業でよく出てくる、胎児とか堕胎罪とかの「胎」の字。

ノート書きなぐってるとしょっちゅう「脂」と書き間違えている自分がいる。

 
けっこう困る。
 

「脂児」  かわいくない。てかむしろ産みたくない。

「堕脂罪」  確かに犯罪な気がする。別の意味で。
 
 
   

朝5時

2004年4月14日 日常
バイト終了が2時半。
1時間ほど事務所で先輩とだべって帰宅は4時。
明日の授業は1限から。
そんなわけで寝れない。寝たら起きれない。
教科書を開いても頭が回らない。
パソコンに向かうしか道はなし。みたいな。

 
うちの学校では今週はガイダンス期間。
いろんな授業の様子を見つつ履修科目を決める。

時間割が決まらない。
とるべき科目が多すぎる。
しかし、年間の上限は25コマなのでなんとか今学期は12コマの履修に抑えたい。
冬学期にとる予定の科目もにらみつつ考え込む。
ここにきて(いまさらだけど)卒業後の進路について
新たな選択肢を思いついてしまい、さらに悩む。
日々異なる時間割が出来上がっている感じだ。
しかもガイダンス期間でありながら、
週に2コマの授業については今週中に2回目の授業があるわけで、
そのための予習もしないと。っていうか教科書買わないと。
はあ。大変。

なんか2年生になった途端教科書価格がやたら高くなった気がする。
1年のうちは概論科目が多かったため、
新書サイズのものでよかったが、
今年からはがっしりしたハードカバーがほとんど。
次々とソウセキが舞っていく。
天下のユキチ様も高々10人のソウセキの集合体でしかないことを実感する日々。
はあ。憂鬱。
 
 
長いこと春休みだったから、
朝きちんと定時に起きる生活にまだ慣れてなくやたらだるい。
そして夏に備えてトレーニングもしないと、とか
勉強する癖を早く取り戻さなきゃ、とか
いろいろ考えるもんだから余計に。

また長い長い日常が始まる。
うすーく伸びた1年が。

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