つめたい

2002年7月13日
「いのは冷たいよね」

最近、友達に冗談交じりでよく言われる。

好きな女の子に告白して振られた友達の話を、
みんなは気の毒そうな顔をして神妙に聞いているのに、
僕だけが「実に面白そう」な顔をして、笑顔で聞いているのがいけないのだそうだ。
「笑っちゃダメだろ」といわれて、真面目な顔を作っても、口元に笑いが残ってるらしい。

別に悪意があるとか、「ふられてざまぁみろ」っておもってるとか、
そういうわけではない。
その点はもちろん友達も分かっているから、冗談交じりで済んでいるわけだけど。

それに、僕に言わせれば、
そのふられた子、
好きな子が先週その時間自習室にいたからって授業サボってそこで勉強してた、とか、
相手を待ち伏せしていたのに、向こうがエレベーターで上がっていったもんだから、急いで階段を駆け上がって、やっと追いついた時には息が切れていたとか、
失恋が確定した相手からのメールを、みんなに見せていたとか・・・。
そんな話を聞いて笑わない方がどうかしていると思う。

面白いから笑う。

ただそれだけのことなんだけど。

それはやっぱり「冷たい」って言うことなんだろうか。


「普通」と言われるためには幾つものものルールがある。

友達からきたメールは返さないといけない。
友達の神妙な相談事には笑ってはいけない。
恋人のことは年がら年中好きでいつづけなくてはいけない。
大事な話は電話でしてはいけない。
みんなが楽しげに話している時1人でいてはいけない。
ふたまたかけてはいけない。
人付き合いをめんどくさがってはいけない。
などなど。

別に強制力はたいして強くない。

守らなければ守らないなりに「守らない人」として認知される、それだけのことだ。

でも、きっちり守っている人もいる。

高校時代の友達の多くがその手のルールを守らない人だったからだろうか。

予備校の友達の多くが私立出身のお坊ちゃん(偏見だろうか?)だからだろうか。

かつては意識もしなかったそのルールからの逸脱を日々指摘されて、
少々違和感を覚えている。


但し、僕としては、
最近更にその手のルールに対する関心が失われている。
はっきりいってどうでも良い。
めんどくさい。

基本的に、個人の悩みはその人でしか解決できないもの。
もちろん人の助けがいる場合はある。
求められれば力を貸すのは当然のことだ。
でも、求められる前から相手の心に擦り寄るポーズをとる必要はないし、
人によってはそっちの方がうっとうしかったりもする。

こうしなきゃいけない、こうするべきだと考える必要はない。
ことの善悪や行動の指針を決定するのは、
その時自分がどう思ったか、以外にはありえない。
決められたルールなんて適用する意味はない。
それはそのまま「自分はどうあるべきか」ということに対する思考停止を意味するだけだ。


環境が変われば、人間関係も変化する。

高校時代に較べて、今の環境は、よいところもあるし、ちょっとやりにくいところもある。

でも、自分のいき方をまわりに合わせる必要はない。
かといって肩肘張って周囲を寄せ付けないのも、疲れが増す。

結局は、自分で考えることをやめなければいいのだ。


そう思ってる。

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