じーちゃんとばーちゃん
2002年4月8日久々の更新。
もうなんか書くのよそうかとも思ったりもしたけど、
気まぐれでまた書いてたりする。
土曜、日曜と両親の実家にいってきました。
土曜は父親の実家。
正月に、70代にしては驚異的な元気のよさを誇っていたじーちゃんが
ぎっくり腰と風邪によって寝込んだ時は
これをきっかけに寝たきりか!?
などという心配が家族を襲い、
のんきな父と母も、老人が夫婦二人きりで暮らすことの恐ろしさを
さすがに痛感したが、
その後持ち直し、今ではすっかり元気に生活できているようだ。
ばーちゃんも今までより更に腰が曲がり体が一回り小さくなってしまっていたが、
僕達の顔を見たらすごい勢いでうれしそうに話しつづけるところを見ると、
なんだか安心してしまった。
じーちゃん家は隣りの市にあり、車なら20分でいけるにもかかわらず、
ぼくは受験やらなにやらで、しばらく行けなくて、
じーちゃんばーちゃんにあうのは久しぶり。
それだけに二人ともとてもうれしそうに迎えてくれた。
特にばーちゃんはひたすら感激してくれて
『あらあら、3人とも大きくなって・・・』
『あんなに小さかった子達がこんなに大きくなる姿が見られるまで生きられるなんてねぇ。』
というようなことを、何度も何度も繰り返していた。
ちょうど、友達にもらった卒業式の写真が、
もらった時に手帳に挟み込んだままだったのを見せてやると、
食い入るように2人でじっと見つめていて、ちょっと困った。
そんなに喜んでくれるならもっと沢山持っていってやればよかったかも。
じーちゃんが『いのすけの彼女はいるのか?』とか聞いてくるから、
『あぁ、一応こいつだけど』と指差して教えてやると、
『ほぉー・・・、あぁ、ちょっとかわいいじゃないか・・・』と、つぶやいていた。
「ちょっと」ね・・・。
まぁいいや。
兄と妹は疲れてたり、高校の課題に追われてたりして、
食事が終わるとすぐに別の部屋に行ってしまったので、
僕と母親がずっと二人の相手をしてやった。
ばーちゃんとじーちゃんの話はすぐに戦争中に飛んだり、
前にも聴いたことあるような田舎の話をはじめたりするので、
ちょっと苦手な印象が会ったけど、
久しぶりに話してみると、
ばーちゃんは昔から山好きで、腰痛める前はよく登ってたみたいだし、
じーちゃんは僕よりずっと古くからの相撲好きだし、
二人とも最近家にいるせいか、TVもよく見ていて話題も豊富になっていて、
実は僕と話がとても合う。
おしゃべりなばーちゃんと、理論派のじーちゃん(元出版社勤務)の会話は
軽く毒舌が効いていて、とても楽しかった。
帰り際、『もしかしたらかおり(妹)が成人するまで生きてられるかもしれないねぇ』と
ばあちゃんが感慨深げに語っていた。
ひたすら元気に意地を張り通してきたばーちゃんも、
そろそろ『死』ということを明確に意識するようになってきたのか、
以前には絶対に言わなかったようなそんなせりふまで飛び出すようになったようだ。
なんだか、その場の雰囲気が
やたらと物語的で通俗的で、そして感動的になってしまったのが、
ちょっとおかしく、不思議な気がした。
もうなんか書くのよそうかとも思ったりもしたけど、
気まぐれでまた書いてたりする。
土曜、日曜と両親の実家にいってきました。
土曜は父親の実家。
正月に、70代にしては驚異的な元気のよさを誇っていたじーちゃんが
ぎっくり腰と風邪によって寝込んだ時は
これをきっかけに寝たきりか!?
などという心配が家族を襲い、
のんきな父と母も、老人が夫婦二人きりで暮らすことの恐ろしさを
さすがに痛感したが、
その後持ち直し、今ではすっかり元気に生活できているようだ。
ばーちゃんも今までより更に腰が曲がり体が一回り小さくなってしまっていたが、
僕達の顔を見たらすごい勢いでうれしそうに話しつづけるところを見ると、
なんだか安心してしまった。
じーちゃん家は隣りの市にあり、車なら20分でいけるにもかかわらず、
ぼくは受験やらなにやらで、しばらく行けなくて、
じーちゃんばーちゃんにあうのは久しぶり。
それだけに二人ともとてもうれしそうに迎えてくれた。
特にばーちゃんはひたすら感激してくれて
『あらあら、3人とも大きくなって・・・』
『あんなに小さかった子達がこんなに大きくなる姿が見られるまで生きられるなんてねぇ。』
というようなことを、何度も何度も繰り返していた。
ちょうど、友達にもらった卒業式の写真が、
もらった時に手帳に挟み込んだままだったのを見せてやると、
食い入るように2人でじっと見つめていて、ちょっと困った。
そんなに喜んでくれるならもっと沢山持っていってやればよかったかも。
じーちゃんが『いのすけの彼女はいるのか?』とか聞いてくるから、
『あぁ、一応こいつだけど』と指差して教えてやると、
『ほぉー・・・、あぁ、ちょっとかわいいじゃないか・・・』と、つぶやいていた。
「ちょっと」ね・・・。
まぁいいや。
兄と妹は疲れてたり、高校の課題に追われてたりして、
食事が終わるとすぐに別の部屋に行ってしまったので、
僕と母親がずっと二人の相手をしてやった。
ばーちゃんとじーちゃんの話はすぐに戦争中に飛んだり、
前にも聴いたことあるような田舎の話をはじめたりするので、
ちょっと苦手な印象が会ったけど、
久しぶりに話してみると、
ばーちゃんは昔から山好きで、腰痛める前はよく登ってたみたいだし、
じーちゃんは僕よりずっと古くからの相撲好きだし、
二人とも最近家にいるせいか、TVもよく見ていて話題も豊富になっていて、
実は僕と話がとても合う。
おしゃべりなばーちゃんと、理論派のじーちゃん(元出版社勤務)の会話は
軽く毒舌が効いていて、とても楽しかった。
帰り際、『もしかしたらかおり(妹)が成人するまで生きてられるかもしれないねぇ』と
ばあちゃんが感慨深げに語っていた。
ひたすら元気に意地を張り通してきたばーちゃんも、
そろそろ『死』ということを明確に意識するようになってきたのか、
以前には絶対に言わなかったようなそんなせりふまで飛び出すようになったようだ。
なんだか、その場の雰囲気が
やたらと物語的で通俗的で、そして感動的になってしまったのが、
ちょっとおかしく、不思議な気がした。
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