大人

2002年3月7日
出来上がった答辞を先生に見てもらうために学校に行った。

卒業生の代表としてこの学校最後の日に読む答辞。
さすがに今回ばかりは、適当に書くわけにはいかない。
自分の書いた文章が果たして他人に理解してもらえるか、
卒業式という場に適しているのか、
結構不安だったが、
職員室にいた国語の先生に見てもらい、
とりあえずは「いいと思うよ」と言われて、
少し自信が持てた。

なにより、その先生が、
軽く読み飛ばして「あ、いいんじゃない」とあっさり流されるのでなく、
真剣に読み込んでくれたのがうれしかった。
僕が気になっていた個所も、しっかり指摘した上で、
「文章全体のバランスを考えれば、このままでいい」と、励ましてくれた。
コピーまでとって「これは記念にとっておくわ」とまで言ってくれた。

帰り際、先生に一枚の紙をもらった。
自分の担任のクラスの生徒に送るために書いた言葉だという。

僕の担任はその先生ではないが、
クラスについて書いた文章の他にも、
先生の国語の授業に対する思いをつづった部分もあり、
それを僕に、お礼代わりにくれると言う。

人から言葉をもらったお礼に、
自分の言葉を送る。
自然にそんな発想をする先生がとても素敵だと思った。

「私はいのすけ君みたいに社会性がないから・・・。」と言って、
ちょっと恥ずかしそうに、でも、ちょっとうれしそうに、
笑いながら渡してくれた。


ちょっと部分的に抜粋。

『優れた文章を読み、人間について、自然について、社会について学ぶとともに、その内容に対する自分の思いや考えを確認することで、新たな自分を発見したり鍛えたりしていく。その作業が私には面白いし、皆にも興味を持って取り組んでほしいと思ってきました。また、読んだり書いたりと言う作業に傾きがちな授業の中で、聴いたり話したりという、人と人とをつなぐ言葉の本来の力を活性化させたいとも思ってきました。
 そんな想いだけは御大層で、実際はうまくいかないことのほうが多い毎日の授業の中でも、こちらをしっかり見つめているまなざしに出会う日が確かにあるのです。そんな時は、役に立っていると言う喜びと、受けとめてくれていると言う感謝の気持ちで一杯になりました。
 老人は何かをしてもらった時よりも、役に立てたと思う時に喜びを感じるのだ聞いたことがありませんか。私は老いてもいないし、老成もしていませんが、これは老人に限ったことではなく、人間の真実です。何かを誰かにしてもらうことはいつだってうれしい。でも、まっすぐに受け止めてもらえることはもっとうれしいことなのです。』


その先生の人柄がそのまま伝わってくる文章で、
帰りの電車の中で読みながら、なんだかうれしくなってきた。

いろんなことを感じたけど、

最後に思ったのは、
自分の高校はこんな先生がいる学校だったんだ、ということ。

そんなこと前から思ってたはずなのに、
なんだか、大きな発見のように感じた。


自分に、自分の職業に、自分の行き方に、
自信と誇りをもって、誠実に生きている大人は
ただそれだけでえらいと思う。

そんな大人に高校と言う場で出会えたという事に、
いまさらながら感謝した。

 
 
今日、学校に行ってよかった。

卒業式の前に、「高校を卒業する」とはどういうことか、
きちんと素直に考えることができたから。


 
明日、卒業式。

せっかく時間をかけて書いた答辞。
とりあえず、頑張って読もう。

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