ひとりずもう
2001年12月18日誰かのことを『好きだ』と思う気持ちが、どんなものなのか、
実はよくわからない。
いつも突き上げてくる情動に身を任せ、
我慢できなくなると、
それが『好き』なのだと、適当に判断してしまうけれど、
果たして、自分がそうだと思っている『好き』が
本当に『好き』なのだろうか。
もしかしたら、僕がこれまで
本当に人を『好き』になったことがなく、
したがって、『好き』と言う感情がどういうものかわかっていない、
『好き』という気持ちの判断基準がない、
のかもしれない。
そうでないのかもしれない。
とかって、
こんなこと言ってるところが
自分は残酷な人間だと思う。
っていうか、最低だ。
あれこれと悩み、イライラし、自分の気持ちに自信がなくなるのは、
結局、自分が、
相手のことを気にしすぎるからかもしれない。
自分の心理状態や軽い言動に対して、
いちいち反応されるのが嫌いなくせに、
結局は、
『自分の言葉が相手を傷つけ、怒らせ、凹ませているかも知れない』
ということを、
常に過剰に気にしてしまっているのは自分の方。
これまで、ずっとそうだったのかもしれない。
少なくとも、自分の弱さゆえに苦しんだあの頃は。
そして、もしかすると今も。
自分の行動に対する相手の反応を、
自分で無意識のうちに気にして
自分勝手にイライラする。
全ては自分個人の内面の問題。
もし、そうなのだとしたら、とんだ一人相撲だ。
独善的かもしれないが、
気にするのをやめてみようかな、とも思う。
そうすれば、もう少し、楽に人と付き合えるようになるのではないか。
そんなことが、
異常なほど自意識過剰な僕に出来るのかどうかは定かではないが。
相手が許してくれるかどうか、
それを認めてくれるかどうか、
そんな僕と変わらず付き合ってくれるかどうか。
それはわからないけど、
もしうまくいかないようなら、
それならそれで新たな付き合い方を探るなり、
互いに身を引くなりすればいいのではないか。
自分らしく振る舞えばいい。
それで相手が離れていくなら、
自分との適性がなかったというだけ。
とかって思ったんだけど、
そんな僕はやっぱり最低。
そう痛感。
実はよくわからない。
いつも突き上げてくる情動に身を任せ、
我慢できなくなると、
それが『好き』なのだと、適当に判断してしまうけれど、
果たして、自分がそうだと思っている『好き』が
本当に『好き』なのだろうか。
もしかしたら、僕がこれまで
本当に人を『好き』になったことがなく、
したがって、『好き』と言う感情がどういうものかわかっていない、
『好き』という気持ちの判断基準がない、
のかもしれない。
そうでないのかもしれない。
とかって、
こんなこと言ってるところが
自分は残酷な人間だと思う。
っていうか、最低だ。
あれこれと悩み、イライラし、自分の気持ちに自信がなくなるのは、
結局、自分が、
相手のことを気にしすぎるからかもしれない。
自分の心理状態や軽い言動に対して、
いちいち反応されるのが嫌いなくせに、
結局は、
『自分の言葉が相手を傷つけ、怒らせ、凹ませているかも知れない』
ということを、
常に過剰に気にしてしまっているのは自分の方。
これまで、ずっとそうだったのかもしれない。
少なくとも、自分の弱さゆえに苦しんだあの頃は。
そして、もしかすると今も。
自分の行動に対する相手の反応を、
自分で無意識のうちに気にして
自分勝手にイライラする。
全ては自分個人の内面の問題。
もし、そうなのだとしたら、とんだ一人相撲だ。
独善的かもしれないが、
気にするのをやめてみようかな、とも思う。
そうすれば、もう少し、楽に人と付き合えるようになるのではないか。
そんなことが、
異常なほど自意識過剰な僕に出来るのかどうかは定かではないが。
相手が許してくれるかどうか、
それを認めてくれるかどうか、
そんな僕と変わらず付き合ってくれるかどうか。
それはわからないけど、
もしうまくいかないようなら、
それならそれで新たな付き合い方を探るなり、
互いに身を引くなりすればいいのではないか。
自分らしく振る舞えばいい。
それで相手が離れていくなら、
自分との適性がなかったというだけ。
とかって思ったんだけど、
そんな僕はやっぱり最低。
そう痛感。
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