愛のチャイム
2001年10月3日今日は地元の図書館でお勉強。
火曜日と水曜日は7時まで開館してくれるのです。
一度家に帰ってから、チャリで図書館に向かう道の途中、
僕の通っていた小学校の前を通り過ぎた。
なつかしい。
中学校に上がった頃は、よく遊びに行ったけど、
最近はもう何年も行っていない。
だって中学校にすら2年くらい行ってないもん。
ふふふ。
我ながら、人情の薄い人間だ。
・・・かったるい思い出は、わりと簡単に捨てていく主義なのです。
まぁ、そんなことはどうでもいいとして、
小学生たちが校庭で遊んでいる時間帯に、
その前を通り過ぎるのは、ほんとに久しぶりだ。
まったくがきんちょどもの元気のいいこと。
むかし、よく遊んでもらった用務のおにいさんとかが、見えたりして・・・。
と、そんな時、唐突に、
「七つの子」のメロディが、大音量にのって聞こえてきた。
しかも、まさに「割れ鐘をたたくような」みたいな、そんな音で。
うわっ。
最初はめんくらったけど、
そう、よく考えたら、今は4時半。
10月なので、よい子は帰る時間なのです。
それを知らせるチャイムなのでした。
けど、このメロディ、僕の頃と違う・・・。
僕が小学生だった頃、毎日聞いていたチャイムは、
「七つの子」なんかじゃなくて、
(や、べつに『なんか』って事も無いんだけど)、
もっと、ほんとに、曲になっていないような、正しい「チャイム」であった。
♪
ちゃーん ちゃーん ちゃーんちゃ ちゃーんちゃーん・・・
みたいな。
って、なんじゃらほい、って感じですが。
そんなわけで、「七つの子」じゃなかったんだよぉ。
その名も、『愛のチャイム』・・・。
そう、なぜか、このチャイム、『愛のチャイム』と呼ばれていた。
学校でもそう教わったし。
『愛のチャイムがなったら、おうちに帰りましょうね』
『はーい』
・・・みたいに。
だから、僕たち○○市民の子供達にとって、
夕方になったら鳴るチャイム=愛のチャイム
だったわけです。
そして、当然のことながら、
他の市でも、っていうか、日本全国どこでも、それは成り立つのだろう、
いや、成り立つに違いない。
そう思い込んでました。
高校入るまでは・・・。
いや、もっと正確に言うと、
今年(高3)の夏までは・・・。
私の記憶が正しければ、あれは、トレッキング部のメンバーで、
トレーニングをした後のことでした。
いつもどおり、私たちは、多摩川べりの土手に座り、
頬に当たる心地よいそよ風に身を任せながら、
『君がいた夏』と『君がいる夏』では、どちらのフレーズがより胸にくるか、と言う議題について、
活発な議論を交わしていました。
1年前にはやった『打ち上げ花火』などというえらく切ない歌を歌いだす者もいれば、
(♪きぃみぃがいたなぁつぅは〜)
ふと思いついた『あの頃はフリードリヒがいた』というフレーズを、
意味もなく、口に出してみる者などもいて、
いつになく気合の入った議論が展開されていました。
そんな時です。
耳慣れないメロディーのチャイムが聞こえてきたのは。
どうやら、この近辺では、これが『愛のチャイム』であるらしい。
私はそう思いました。
『あぁ、もうそんな時間かぁ。』
『そろそろ帰る?』
『そうだねぇ、愛のチャイムもなったことだし・・・。』
『えっ!?』
『愛のチャイム!?』
・・・。
ま、そんな話です。
「『愛のチャイム』=全国共通語」説は、もろくも崩れ去りました。
どうも、世の中には、『愛のチャイム』なんていわない、という市があるようです。
っていうか、
『そんなの聞いたこと無い』っていわれました。
ん?
もしかして、『愛のチャイム』いうの、私の地元だけなんじゃ?
そんな・・・。
ま、そんなはずは、無いです。
聞いてみたのは、そこにいた、ほんの数人。
そいつらが、全員、『地元ではそんな風に言わない』などと言ったとしても、
『そんな言葉を聞いたことすらない』といったとしても、
使ってるのが、うちの市だけなんて事は無いはずです。
だから、どこかにきっと・・・。
そんな夏の思い出です。
えー、長くなりましたが、
ふと、そんなことが思い出された夕暮れ時でした。
『七つの子』かぁ。
変わっちゃったのかぁ。
『愛のチャイム』だったのにさぁ。
様々な思いを抱えつつ、僕はゆっくりと、
なつかしの小学校の前を通り過ぎていったのでした。
まったく、こんなどうでもいい日記を書くのに、
どうしてこんな長くなるのでしょう。
なにやってんだか・・・。
そんなぼく。
火曜日と水曜日は7時まで開館してくれるのです。
一度家に帰ってから、チャリで図書館に向かう道の途中、
僕の通っていた小学校の前を通り過ぎた。
なつかしい。
中学校に上がった頃は、よく遊びに行ったけど、
最近はもう何年も行っていない。
だって中学校にすら2年くらい行ってないもん。
ふふふ。
我ながら、人情の薄い人間だ。
・・・かったるい思い出は、わりと簡単に捨てていく主義なのです。
まぁ、そんなことはどうでもいいとして、
小学生たちが校庭で遊んでいる時間帯に、
その前を通り過ぎるのは、ほんとに久しぶりだ。
まったくがきんちょどもの元気のいいこと。
むかし、よく遊んでもらった用務のおにいさんとかが、見えたりして・・・。
と、そんな時、唐突に、
「七つの子」のメロディが、大音量にのって聞こえてきた。
しかも、まさに「割れ鐘をたたくような」みたいな、そんな音で。
うわっ。
最初はめんくらったけど、
そう、よく考えたら、今は4時半。
10月なので、よい子は帰る時間なのです。
それを知らせるチャイムなのでした。
けど、このメロディ、僕の頃と違う・・・。
僕が小学生だった頃、毎日聞いていたチャイムは、
「七つの子」なんかじゃなくて、
(や、べつに『なんか』って事も無いんだけど)、
もっと、ほんとに、曲になっていないような、正しい「チャイム」であった。
♪
ちゃーん ちゃーん ちゃーんちゃ ちゃーんちゃーん・・・
みたいな。
って、なんじゃらほい、って感じですが。
そんなわけで、「七つの子」じゃなかったんだよぉ。
その名も、『愛のチャイム』・・・。
そう、なぜか、このチャイム、『愛のチャイム』と呼ばれていた。
学校でもそう教わったし。
『愛のチャイムがなったら、おうちに帰りましょうね』
『はーい』
・・・みたいに。
だから、僕たち○○市民の子供達にとって、
夕方になったら鳴るチャイム=愛のチャイム
だったわけです。
そして、当然のことながら、
他の市でも、っていうか、日本全国どこでも、それは成り立つのだろう、
いや、成り立つに違いない。
そう思い込んでました。
高校入るまでは・・・。
いや、もっと正確に言うと、
今年(高3)の夏までは・・・。
私の記憶が正しければ、あれは、トレッキング部のメンバーで、
トレーニングをした後のことでした。
いつもどおり、私たちは、多摩川べりの土手に座り、
頬に当たる心地よいそよ風に身を任せながら、
『君がいた夏』と『君がいる夏』では、どちらのフレーズがより胸にくるか、と言う議題について、
活発な議論を交わしていました。
1年前にはやった『打ち上げ花火』などというえらく切ない歌を歌いだす者もいれば、
(♪きぃみぃがいたなぁつぅは〜)
ふと思いついた『あの頃はフリードリヒがいた』というフレーズを、
意味もなく、口に出してみる者などもいて、
いつになく気合の入った議論が展開されていました。
そんな時です。
耳慣れないメロディーのチャイムが聞こえてきたのは。
どうやら、この近辺では、これが『愛のチャイム』であるらしい。
私はそう思いました。
『あぁ、もうそんな時間かぁ。』
『そろそろ帰る?』
『そうだねぇ、愛のチャイムもなったことだし・・・。』
『えっ!?』
『愛のチャイム!?』
・・・。
ま、そんな話です。
「『愛のチャイム』=全国共通語」説は、もろくも崩れ去りました。
どうも、世の中には、『愛のチャイム』なんていわない、という市があるようです。
っていうか、
『そんなの聞いたこと無い』っていわれました。
ん?
もしかして、『愛のチャイム』いうの、私の地元だけなんじゃ?
そんな・・・。
ま、そんなはずは、無いです。
聞いてみたのは、そこにいた、ほんの数人。
そいつらが、全員、『地元ではそんな風に言わない』などと言ったとしても、
『そんな言葉を聞いたことすらない』といったとしても、
使ってるのが、うちの市だけなんて事は無いはずです。
だから、どこかにきっと・・・。
そんな夏の思い出です。
えー、長くなりましたが、
ふと、そんなことが思い出された夕暮れ時でした。
『七つの子』かぁ。
変わっちゃったのかぁ。
『愛のチャイム』だったのにさぁ。
様々な思いを抱えつつ、僕はゆっくりと、
なつかしの小学校の前を通り過ぎていったのでした。
まったく、こんなどうでもいい日記を書くのに、
どうしてこんな長くなるのでしょう。
なにやってんだか・・・。
そんなぼく。
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